選べるはずがなかった。
どちらを、と言われて何と何を天秤しろというのだろうか。パウラの存在と……誰かの存在?ジル?瑠美?それとも主任や真矢だとでも?あるいは彼女を殺すことと殺さないこと、古今とトリニティ、フロラシャニダールとn倍枚葉のクローバー、あらゆる二極化が僕の中に渦巻いて、その中のどちらかを今この場で選べと言われているのか。
選べない、そんなことを急に言われても。急に?本当に急だったのだろうか。僕はずっと前からこの選択がいずれ来るのだと予感していながら、先延ばしにしてきただけじゃあないのだろうか。
出クン!
主任が叫んでいる。僕がここでパウラにとどめを刺すことを選択しなければ、もしかしたらこの場にいる全員が命の危機に瀕するのかもしれない。僕らの命とパウラの命とどちらかを天秤にかけろというのか?僕が生き延びるために、パウラを殺せと?そんなこと、僕には。
出来……
出来ない。そう拒否して、僕はパウラと一緒に死ぬとしても構わないと、ある意味で気違えた答えを返そうとしたことは、また選択を先延ばしにして事態を深刻化させたかもしれない。停止していた『パウラだったのもの』の体が、再び動きを活発化させた。
銃弾で穴だらけになったパウラの体が、重心をまるで無視して腰から上だけむくりと起き上がった。乱れ撃つように放たれたジルと瑠美の銃弾は当然関節部分にも当たり、関節としての方向限定を失っている。丈夫な人工体組織は銃弾の運動エネルギーを無駄に多く受け止めてしまう課題を残していたが、それによって砕かれた肘、膝の関節は曲がるべきではない方に曲げられていた。残った肉と皮で辛うじてつながっている状態だ。そうして不自然な方向に曲がる腕を使って、パウラだった何者かは、捲れて後ろ側にぶら下がるパウラの首を掴み取り、それを繋いでいた筋と皮を引き千切って例に漏れず銃弾で穴だらけで血まみれになった胸元へ、持ってきた。ちょうど前を向かせる形で、両腕で左右から固定している。
その貌は笑ったままだった。いや、さっきの気狂えた笑顔とは違って、いつものパウラが見せていた優しい笑顔をしている。古墳カフェに連れていったときにこの子達三人ではしゃいでいた、年相応の子供のような、でも彼女らしく少し控えめで慎ましい、笑い顔。
凍り付いたようにその表情のまま固まっている顔を胸元に抱いている、ジルと瑠美の斉射でズタボロになった彼女自身の体。下半身はラグドール化した異常な方向に曲がった足、欠けた臀部。腰だけぬらりと伸びて上半身を起こして支え、胸元に手で据えられた空気を読めない笑顔のまま写真のように固まった、首。胴体の首から上には何もないが、首が捥げ取れた後の露出した肉と骨、首の断面が見ている。それらは、その体組織というよりもその見た目自体がチープな映像処理で煮え立つみたいに画像的に変形して膨らんだ気泡を爆ぜている。小さな気泡がぷちんぷちんと彼女の体のバストアップ部分で沸いて爆ぜ、そのたびに内側から何か赤黒いものが溢れて出てきた。乾いて固形化しかけた血液、そんな色合いのタールみたいなどろどろしたものだ。だが、エクストラの体を巡る代替血液の色、とは微妙に違った。
その間も、パウラの首はずっと明るく穏やかな笑顔を見せている。その笑顔が、じっと僕の方を見ているような気がした。悪意も怨恨も、怒りも悔恨も、何もなく、ただ慈悲や容赦を含み抱擁するような彼女の表情が、僕を苛む。そんな風に僕を全肯定するのは、よしてくれ。僕は君達を道具として作り出して都合よく扱っている、外道なのに。そんな目で、僕を……。
う、撃ってくれ!
ようやく出た僕の指示に、ジルと瑠美は発砲を開始する。
真矢は半開きの口から涎を垂らして焦点がどこにもあっていない、呆然自失であるか、失神しているのだろう。主任は、何かに観念したように銃を放ったままその場に立って、煙草を吸っていた。白衣のポケットに手を突っ込んで、自分の顔を煙で燻す気なのかという勢いのない吐き方は気怠げで、何時もの主任のように見える。が、まだ口に煙草が加えられている内から、シガーケースを持った右手だけポケットから出して次の一本を探している。視線は、こちらを見ていなかった。
ちんっ、がしゃ。
銃声が止んだ。床に放り投げられる二人の銃。
弾切れだ
よわむし
ジルと瑠美はマガジン内の全てと手持ちの弾倉にあったすべてをパウラに向けて撃ち切った。が、気泡が爆ぜて赤黒い粘液が噴き出し続け、何かの活動が継続されていいるのは変わっていない。僕の決断が遅かったせいだろう。何より異様なのは、腕に掴まれた彼女の首だけは全く被弾していないということだった。血肉が飛び散りそれらに塗れて骨が見え、内臓が千切れた撒き散らされているというのに、パウラの顔は穏やかに笑っている。ちょっと垂れた大きく魅力的な目。笑うことで細まり、笑った口と並べば見ているこっちまで一緒に笑いたくなるきらきらした笑顔。それが、剥製になったように不動のまま、無残な肉塊に抱えられていた。
これがこのまま何も起こらずに機能を停止するとは、思えなかった。目の前のそれは、動きこそしないものの明らかに機能を停止しているわけではないのが、わかる。何故、と言われると答えに窮するが、寝ているとか全く僕らを無視しているとか、それは卵や蛹であるとか、そういった状態に思えるのだ。
まるでカウントダウンを開始して止められない時限爆弾を目の前に置いているような気分だ。どうなるんですか
わからん
わからん、って!青血漿とかいう薬は、主任が作ったのでしょう!?
「一部の草と鼠以外には投与したことがない。その時点で失敗だとわかったからな。明らかに……異常な姿になって手に負えなくなったからすり潰して殺して焼却処分した。あれは生き物の設計図を根本から書き換える……遺伝ではなくて、もっと霊的なアルケウスのようなものを変質させてしまうものだった。神妖がもたらす『東』という新素材の性質は、科学の常識をまったく超えている」そう言う主任の表情は、現代科学の敗北を思い知った悲壮と同時に、科学者としての歓喜を滲ませたものだった。この人も、真矢も例に漏れない、古今にいる人間はそうだし……これは僭越を承知で言うのだが、あらゆる人は皆、一皮剥けばマッドなのだ。自分さえ良ければとどこかで思っている。自分の望む結果になれば隣人の望む結果などどうでもいいと考えている。だって、今日、自分以外のことを考えて自分を犠牲にする余裕なんて、多くの人にはないのだから。勿論、僕も、そうだ。
ちょっと前に普通に口を利いていた子供が、血肉の塊になってこれからどうなるの想像もつかないという今この状況で、科学の未来を想像して剰え薄ら笑うなんて、と、僕には主任を軽率に責めることは出来ないように思えてえしまった。僕が、あんな姿の『もの』にもまだパ裏を感じてしまうのも。
パウラ
僕はジルと瑠美を押しのけて、不気味な塊にパウラの顔が付いただけの正体不明物体へ近づこうとする。科学は人の思いの権化であり、そうであるならこんな結果を導くことだけが科学の所業ではない。彼女を、元に戻さないと。元?溺死寸前だったあの状態?だがジルが僕の腕を引っ張ってそれを止める。振り払おうとしたが、ジルの力は強い。
ジル、離して
ダメだ
ジル
瑠美も、逆の手を掴んで引き留めてきた。
二人とも、手を離すんだ。僕は
だめ。あぶない
離せ!命令だ!
っぐ
ぁぁぅっ!
初めて、その命令言葉を使った。だが初めてだからこそ、彼女達には効果が大きかったのかもしれない。条件付けと暗示によって、その言葉は彼女達にとって、心身に忌避を催す強制力があった。
ぅぇっ
いってぇ……
瑠美は強烈な吐き気、ジルは激烈な頭痛を催して、よろめく。だが、手だけは離してくれなかった。
だ、め
たまには、娘の言うことも、聞けよ
僕のたった一言だけで、人工筋肉による強靭な力がすぐに弱弱しいものに変わる。もしかしたらもう、振り払えば離れるかもしれない。でも彼女達が案実条件付けがもたらす苦痛と嫌悪感、忌避を無理やり押してでも僕を引き留めようとする様に、それもできなくなってしまう。この優柔不断が、この結果をもたらしたのではないのか。
二人とも、パウラをどうする気だ
あれはもうパウラじゃねえ
だから、こす
だが!彼女は……!
僕が言うのに立ちはだかるように、煙草の白い煙で尾を引いた主任が現れた。僕の方を真っ直ぐに向いて、ふう、煙草の煙を吐き出してから、言う。
出クン、こんなことは言いたくはないが……パウラちゃんはもっと早い段階で再調整を施すべきだった。彼女の素体はその二人と比べても本来、維持にもう少し調整を強める必要があったんだ
あなたが、あの劇薬をきちんと処分していれば……!
……今更、詮無きことだな。事実、その二人は態度こそ偶に反抗的だが基本的に君に従っているし、何よりこんなことをしでかしていない
僕はパウラを失うが、主任は十中八九ティムを失うだろう。パウラの喪失は僕にとってだけではない、ジルにも瑠美にも、少なからぬ喪失になる筈だ。僕は悲劇のヒロインぶっているが、僕だけが悲壮に浸るのは、確かに違うかもしれなかった。だが、だからと言ってこの怒りと悲しみをどこにぶつければいいというんだ。
パウラは、何を望んでこんなことをしたのだ。
そんなことは知れていた。僕に認められたい一心だったのだろう。
直情な行為は条件付けに拒否され、それでもそれを抱くのを諦められずに歪んだのだろうか。それに、ジルや瑠美、他の人間たちとの狭間で承認欲求を自ら満たすことが出来なかったのだ。まだ、小さな子供に負わせるには、余りにも残酷な境遇だったかもしれない。ただの人間なら、おいたのひとつで済んで立ち直ることが出来たろうが、彼女達は、持ってしまった力で自壊するのが、末路だというのか。パウ……
このできそこないを、処分する。どいてくれ。
僕の言葉を敢えて遮るようにジルが、敢えてキツい言い方を選んだように、割り込んだ。
いつの間にか備蓄から抜き出していたミネラルウォーターを使い、F.O.Eに任せて承認なしに(もはや誰も承認の成否を問うシステムを監視していないが)アイスナインソードを作り出す。同様に瑠美の影も、彼女自体の大きさよりもかなり大きく膨らんで脈打っていた。
ひとおもいだ、一級花卉使用実行、冷凍……
ジルがアイスナインソードを頭上に振り上げた瞬間、それまではまばたき一つしない不気味な笑顔を固定して首から上に硫黄を撒く温泉源のように赤黒い粘液を泡立てていたそれは、突如口の形を笑顔のそれから絶叫するように大きく開け放った。笑顔に細まった瞼の下には微かに、忙しなく震えて左右非対称に暴れまわる瞳が垣間見える。
パウラだったモノの顎は関節の存在を忘れた様に開かれ、奥に二つの穴が見えた。そのうち一つが、カメラのシャッターのように複数の羽によって絞られ閉じる。それに伴ってもう片方の穴が倍以上に拡張した。
っ!
再活性を認めたジルは即座に大技を振り下ろそうとするが、巨大な何か塊にぶち当たったような強い衝撃を受けて剣を振り下ろす前に吹き飛ばされた。『影踏み』で跳躍した瑠美がそれをキャッチし、質量のある影で緩衝して着地する。それを後から追うように、強く短い風が降りかかった。LRADの音漏れに似ている。
っつつ、やっぱあたいら息ぴったりだな
……まーね。パウラもいればかんぺき。
逆さまに落下したジルと、くるりと回って綺麗に着地してる瑠美。
あんにゃろ、パウラの真似しやがって
おきちゃったね
出、真矢のねーちゃん、それと、所長さんよ。下がってろ。ちっとまずそうだぜ
ショチョーさんがわがままで、出氏がよわむしだから、めんどうなことになる
ジルと瑠美が険しい表情で、未遂したアズレドとなり果てたパウラを睨み付けている。パウラだった人工組織の胴体、千切れたバストアップの切り口から、まるで予めあちこちを引っ張って痛めつけた後のゴム風船が膨らむように、ぼこぼこと不規則な凹凸を持った赤黒い膨張が現れる。みるみる大きく膨らみ、体自体の大きさを超えてもなおカリフラワー状の拡張を続ける。
な、なにが
下がってろ!
膨らみ続ける袋の中に、無数の人間の頭部が透けて見えた。中から子供らしい黄色い笑い声が無数に交錯して聞こえている。膨張が大きくなるにつれ、カリフラワー状の膨らみの中から聞こえる声の数は増し、内側に透ける頭部の数も増えていく。
無関節となった腕が抱くパウラの頭部は、にっこりと可愛らしい笑顔を固定されたままだ。銃で撃たれてズタズタになった下半身はいつの間にか腐敗した死体が黒い液体を漏らし始めるように、同じく何か黒い水溜りを広げていく。頭部の肉風船が膨らむにつれて、パウラの頭部の下あたりにある腹部がばくばくと脈打ち始めていた。
ヤバそうだぜ……。瑠美。KENINNG:弓の氷柱!
だーくすふぃあ
ジルが左手の人差し指と中指を立てて前に突き出し、右手は拳を握って引く。弓を引くような動きだ。両足をそろえ両手を左右に広げて立つ瑠美の影がずるずると伸びて膨らみ上がり、黒い球体が浮かび上がった。ジルの右手拳の前に鋭くとがったつららが現れ、右手の拳を放つとそれは高速飛翔する。まっすぐに瑠美が創った黒い球体に突き刺さり、勢いは衰えるのではなく逆に加速して逆側から突き出た。
いっけえ!
氷の性質に質量のある影の魔名を纏って、ジルの放った氷の矢が、笑いっぱなしのまま停止しているパウラの頭を射抜かんと飛ぶ。が。
がッ!
パウラの頭部が再び口を開ける。目だけは笑ったまま口は鬼のように裂け、彼女のチャームポイントでもあった八重歯は今は邪悪な牙にさえ見た。ジルの矢は、何かに弾かれるように上へ軌道を変える。そのまま、赤黒く脈打つカリフラワーへ、突き刺さった。笑顔に戻るパウラ。
なっ……!
加速し運動エネルギーだけでも相当にあるはずの矢は、先端が肉膨れの中に飲み込まれると同時に信じられないほど柔らかく受け止められた。先端が突き刺さり裂け目が生じたそこから昆虫の顎のように左右に割れ、中途半端に刺さった氷の矢をずぶずぶと飲み込んでいく。
闇をまとったそれごと氷の矢をすっかり飲み込んでしまうと、赤黒い動物性カリフラワーが急に震えるように拍動を始めた。細かく、強く、徐々に大きく、ところどころの余計に膨らんでいるところに更に子供の瘤が膨らんで、ぼこぼこぼこと不気味に膨らみ分裂する肉腫。巨大化を加速させ、厚みを失って薄まっていく皮膜。首から上の大きさは、天井にまで及びそうになっている。膨らみに膨らんで組織にも限界が来ているということが、ほんの薄い膜が更に裂けて層に切れ目を作っていることからわかった。これは。
は、破裂するぞ!
ジルが警告を発した瞬間、粘性液体を空気混じりのまま勢いよく小さな穴へ通過させるときのような不快な水音、それを何重にも重ねて巨大にしたような粘る音を爆ぜて、歪に膨らみきった肉腫は爆発した。彩度が低く黒っぽい肉片は外側だけだったのらしい、破裂し周囲に撒き散らされた破片は生温く水気に富み、血色のよい肉色をしている。破片はいずれも人の体の一部を千切り取ったような形をしており、しかし人のパーツとは思えないゼリーや煮凝りのような柔らかさと半透明な質感を残していた。光に透いた胎児標本を思わせる。
ジルと瑠美は僕をカバーする形でそれ体のあちこちに受け、防ごうと前に出した手や腕に付着した腐臭漂うそれに顔を顰めながら、爆ぜた後に現れたものを見ている。僕と真矢はジルと瑠美の陰からそれを見ていたが、主任は白衣に両手を突っ込み立ったまま爆ぜたモノにまっすぐに正対して、まっすぐにそれを見つめている。表情には、微かに笑みが浮かんでいるようにも見えたが、横顔だけではよくわからない。
なんだ、あれ
肉疱が爆ぜ内側に孕んでいたぶよぶよとしたヒトモドキの更に内側から、生乾きの血液様のぬめりを帯びたまま現れたものは、全く不可思議な形をしていた。
シルエットは見上げるほど巨大な四角錐だった。銀色に光る光沢を持った側面を持ち、底面付近は解けた岩石のように不定形で、全面に鱗と吸盤をつけた蛇のような足が無数に生えて不快感を感じるほど滑らかに脈打っている。錘の側面からは一角獣の首、雀の頭、それに人の子供の頭だけがそれぞれ生えておりいずれも人の身長ほどの丈を有していた。それぞれの口が、鼓膜を直接紙やすりで擦られるような不快感と苦痛を与えてくる声を発し手ており、出鱈目なメロディーを口ずさんでいる。そして人の子供の顔は、パウラのそれではない。元の大きさを保ったままのパウラの頭は、錐体の下方、溶岩染みた不定形の付近に、まだ細い無関節症の腕に抱きかかえられたまま、笑顔で停止していた。その首からは、何か根を下ろすものを探し続けているように、植物の根の様なものがぞわぞわと生えていた。
四角錐の辺からは雀のような薄斑と縞を描いた翼が生えて絶えず湿った生温い風を起こしている。錘体に蜷局を巻くように螺旋に絡むのは、蔦性の植物のようである。葉は五本指のように尖り三角錐の体に先端を突き刺して、まるでしがみ付くように茂っている。ところどころに花が咲き、それは青い朝顔を思わせるが花弁の奥に蕊の代わりに人間の脚と性器が備わっていた。
無数に生え波打つ吸盤蛇の足とその上部の不定形は脈打ちながら、『音を鳴らすもの』を模した形へ波打つように変化する。今はありとあらゆる金管楽器とメガホン、モニタースピーカーの形をしていて、錐の上部に生えた顔が歌う耳障りな旋律に対して、聞いているだけで不安感で胸の辺りを掻きむしらずにいられなくなる音で不協和音の伴奏を付けている。
生き物として歪で機能性のないでたらめさ、オブジェとしても唾棄すべき醜悪、美の欠片も感じない僅かな意味性も見出すことが出来ないこうした造形こそ、相応しかった。
神妖……だってのか?
ジルが余りの忌々しさに直視出来ずに、視線をちらちらと漫ろに逸らしながら、言う。
あおけっしょうって、なんなの
瑠美の呟いた疑問はもっともだ、だが、僕はそれとは違うものを感じている。つまり
フロラシャニダールとは、何なのか
今更そんな疑問に、何の意味がある。それに僕は、承知の上で
パウラだけじゃない、ジルも瑠美に対しても、その能力を「神妖のようだ」と認識しながら彼女達を育て、メンテナンスしてきたのだ、今更この結果を微塵も想像しなかったわけではない。だがどこかで「そうなる筈がない」とも思っていたのだ。無責任な話ではあるが。
主任の方を見る。明らかに、笑っていた。この気味の悪い造形、忌々しい耳障りな音、神妖らしきものへ変質してしまった危機を前にして、この人は、笑っている。
主任、これは
どう見ても、神妖だな
冷ややかに落ち着き払った主任の反応。アレを見つめたまま目を逸らすこともせず、全身に飛び散った赤黒い飛沫は顔にもかかっているのに拭う事さえしていない。新しい煙草に火をつけている。もしかするとこれはこの人なりの動揺なのかもしれない。
うるっせーだけじゃなくってこれ、平衡感覚狂う……
色褪せた青化個体の複数の頭に加えて無数の金管楽器と発生器は、耳障りで注意力を著しく削ぐバラバラに不揃いな旋律を奏で続けている。耳を塞いでいても指の隙間を通って直接的脳に指を突っ込まれてかき混ぜられているような音。嫌悪感と苦痛が酷く偏頭痛を招き、目を開けていることさえ辛い。きっと、この場にいる全員がそうなのだ。ジルや瑠美も険しい表情で、たまに耳を押さえたりしている。
この胸を抉るようなうるささ
ぱうらのおうたはもっとじょうずだった
リメンバアンブレラがパッシブ展開していた『聖歌』に似ているが、不快感、実害ともに桁違いだ。三半規管を捻じられるような感覚で、僕も真矢も、まともに歩けない。主任は立ったまま動こうとしていないから様子がわからないが、きっと同じだろう。
そうして耳を押さえたまま忌々し気にその化け物を見上げたジルが、その名を示す単語を呟いた。
シェル、クーフ……
「俄作りの音波塔」とは言い得た名前かも知れない。どの道まだ識別名称は無いのだ。神妖であるか別の何かであるかも、今はわからない。 「俄作りの音波塔」の側面に生えた顔がそれぞれ目を見開いて、僕らの姿を品定めでもするように見る。気持ちが悪く、とても視線を返して目を合わせる気にはなれなかったが、何をしようとしているのか、危機感故にその方を見ないわけにはいかない。視線を向けているだけでも、胸の辺りがむかむかと気持ち悪くなってくるというのに。音波塔は光沢のある鱗に包まれた吸盤鱗の蛇足の波打ちを大きくしていく。そしてそれは突如としてまるで大波のようにしなやかに、だが明らかに僕らを狙って振り回された。
うわっ!
ばかっ
ジルと瑠美が飛び込んできて僕を突き飛ばして回避する。部屋の隅の地面に転がった僕の上に、ジルと瑠美が馬乗りになってしがみついている格好だ。さっきの足が当たっていたら死んでいたかもしれない。あの化け物は、やはりもうパウラではないのだろうか。
回避させるつもりで僕を突き飛ばし、その勢いでまだ上に乗っかったままのジル。それに瑠美。二人はちょっとの間、僕の上から降りようとしなかった。目の前に神妖がいて臨戦態勢も等しいというのに、危険な隙だ。自力回避できないのに前に出た僕を非難しようとしているのか?
あ、ありが
ちゅっ
ぺろ
ふざけるな、くらいの言葉は飛んでくるだろうと思っていたのに、飛んできたのは予想外。左のジルから唇にキス、右から頬をぺろりと瑠美に舐められて、僕は混乱する。
は?
……最後かもしれねえんだ、いいだろ
最後かも、とジルは言った。
ジルも瑠美も、準備なく神妖に臨むことが、いかにも無謀だとわかっているのだ。一度小型の神妖〝リメンバアンブレラ〟を相手にして、可も、そして不可も悟てしまったのだろう。今目の前にあるのは、人間サイズではなく、通常サイズの神妖だ。自衛隊が対処するときにはリメンバアンブレラの時のような通常兵器ではなく惜しげもなく戦略兵器を使い、それでも多くの場合対応できない。対して、こちらには何の備えもない。二人とも、僕らを守るのに決死を決めたのか。
銃を借りるぜ
ジルと瑠美がボクの銃と真矢の銃を受け取る。やるのか、こんな、準備も何もない状況で。パウラだったものを相手に。
だめだ、こんなところで……!逃げるんだ
逃げ切れるはずがないだろ、いきなり神妖の目の前だぞ。即死してないだけ……パウラに礼を言わなきゃな
銃を懐に収めて、二人は再び花卉使用宣言をする。
第一級花卉使用宣言。アイスナインソード
第一級花卉使用宣言。ダークサイドインザムーン
再度ペットボトルの水で氷の剣を作るジル。ペットボトルを放り投げると同時に、その剣が普段のそれとは違うことを示して、氷柱刃が一回り大きく成長する。
瑠美の背後には円形の光屈折が現れ、光の差し込めない影の部分が弧状に出現する。闇色の弧は月が欠けるときの様に形を拡大し、細い下弦を描いたところでその一端が瑠美の手に伸びた。大きな漆黒サイズとなって瑠美の手に収まった。
久しぶりじゃんか、鎌
にがてとかゆってられないしね
ジルと瑠美は僕らと神妖の間に立ってそれを見据える。
無理だ、何の備えも無しに!二人だけじゃ連携も
んなこと言ってられるかよ。なるだけ階段の方は開けるように動く。二人は、何とか逃げてくれ
アズレド崩れが側腕の何本かを振り上げるとその先端は形を変え、鋸の様な歯を備えた。触手、生物的な造形のもの以外にも、電源ケーブルみたいな非生物パーツが一緒に混じってのたうっている。今度は戦意を見せたジルと瑠美に向かって鋸触手が振りかざされた。
さっさと逃げ、うわっ
ジルは跳躍してそれを回避するが、自在に動き先端から放電を見せる電源ケーブルが回避行動の着地先の背後からジルを打った。
ジルぅ!
いきなり先制を食らったジルを助けようとした瑠美には、錐体上部の子供の顔の口から吐き出された強酸液が降りかかる。ジルの方へ向かう道を阻害され停止する瑠美。酸性液の付着した床はみるみる気体に化けて大きな穴を抉る。その瑠美にも鋸刃に変質した足が襲い掛かる。
わわ、っ
波打ちながら切りかかってくる一本一本が腕の太さほどもある夥しい数の足。瑠美はそれを飛び退きしゃがみ、あるいはサイズで切り捨てて回避する。切られた足も切り口が成長するようにすぐに元に戻っていく。
出氏、あしでまとい、なの。いんうぁいとへる!
この図体じゃここから出るのには時間がかかる。さっさと上に逃げて対策を考えてくれ。真夏のスノーマン!
瑠美が指示を出すと複数の地点の地面から各何本もの影の槍が生じ、無造作な扇状に展開する。ジルが指定した箇所にも、場に不似合いに可愛らしいゆきだるまが現れた。シェルクーフの足は攻撃を継続してきているが、それによって回避のスペースが生じているらしい。二人とも設置物を回避の起点にして立ち回りを強化していた。
主任、逃げよ!ティムも、連れてかないと!
私はこれを見届けるよ。あれは、私が片付けなければいけないからな
あれ、とは俄作りの音波塔の事だろうか。片付けるだなど、出来るはずもない。真矢が主任にも逃げるよう促しても、主任は全く動こうとしなかった。
無理だよ!逃げて自衛隊なりCYPHERなりに連絡を
それは真矢君、君がしてくれ
はあ!?ちょっと、何言ってるの?早く逃げようよ!ジルちゃんと瑠美ちゃんは心配だけど、それは
出クンは、私と一緒にここに残れ
……は?
主任は、エクストラの力を信じているのだろう。ジルと瑠美が、あれを打倒すると。主任はエクストラと言う存在に自己の強さと意義を全て費やしている節があった。
ボクに残れというのは、一体どういう意図なのだ。理解に苦しい主任の発言と逃げるか逃げないかで右往左往する僕と真矢をよそに、シェルクーフとエクストラの交戦が進んでいた。
音波塔の|妨害音響ララバイ《》はより音量を増しており、びりびりと部屋全体を震わせるほどになっている。錐体を包むほどに数を膨らせた側腕と触手足は攻勢を増し、ジルと瑠美は回避が苦しくなってきていた。
埒が明かねえ、瑠美、同時に仕掛けるぞ
え?なに?よくきこえない……
仕、掛、け、る、ぞ!!
あ、うん!
声が届きにくい。錐体上部の頭が常に不気味な讃美歌を不揃いに歌っていることと下部の金管楽器の群れがそれぞれ好き勝手にバラバラの音で伴奏している騒音で、二人の会話は途絶え途絶えになっていた。仮に妨害音響がなかったとしても、元よりエクストラ間の連携はパウラをハブとした通信だったのだ、急にそれなしに戦場意思疎通しろと言われても、上手く行く筈もない。
フロスト、コラムスっ……ああ、うっせー、これ!
空中に氷でできた尖り礫が無数に浮遊し、それがシェルクーフの錐体へ降り注ぐ。氷弾を浴びた音波塔の体は傷つき、氷の突き刺さった錐体からは青い液体が漏れている、効果はある様だ。
……本物の神妖よりは、脆いのか?
そうかも!たたみかけよっ!
ああ、でもこうも、集中できねえっ!!あいすびー……うっせー!!
いらいらする
氷礫弾に効果が認められたのを見て攻撃の手を継続しようとするジル。だが再度花卉を使用しようとするものの途中で耳を抑えて頭を振った。瑠美も何かを断念しているようだ。妨害音響はますます強くなっていく。耳からやかましい音が入り込んでくるのと、平衡感覚が来るのに加えて、向精神効果をもつらしい。集中力を欠き施行を妨げられ、不安感や不快感が煽られる。音量はますます上がり、ライブハウスのスピーカーの目の前のように実際に圧力を感じる水準にまで至っていた。このまま音響震でこの空間を破壊するつもりだろうか。そんなことが可能かどうかはわからないが。
シェルクーフの錐体側辺から生える翼が羽ばたくと、生温い風が乱気流を生じて二人の行動を抑制した。加えて、パウラのLRADの様な局所破砕音波が、足と風で動きを制限された二人を仕留めようと姿の見えない刃を振るっている。音漏れが無くパウラのように前段行動がないLRADは全く前兆がわからない。二人が一体どのように回避しているのかはわからないが、それこそが人間を超えるために作られた生物兵器の本領といえる。確かに彼女が飛び退いた直後に、その場所で音響爆発が発生していた。
跳弾かよ、隠れる場所がねえ……
先に作った障害物で側腕は防げているが、破砕音波は防げていないようだった。その度に移動を強いられている。
音は容易に壁などに反射する。恐らくシェルクーフは音の反射を使って障害物の向こう側にも自在に破砕音波を投射しているのだ。LRADと違うのは発声器が一つではないことかもしれない。錐体上部の頭部らしきもののうち、人の顔の口と、鳥の頭の口がそれぞれ別に発声している。目標地点に向けて複数の経路から別の周波数の音を投射し、反射を経て一か所で波長が重複して爆発しているのだろう。
ちっくしょ、やっぱ防戦じゃだめだ、行くぜ
あっ、まってよお
妨害音響に集中力を殺がれて起動手順が煩雑な花卉を阻害され、動きもLRADと足に制限されがちな状況に、しびれを切らしたジルがアイスナインソードを構えて飛び出した。身のこなしは十分だ、足の迎撃を綺麗にかわし、剣で切り捨て、ケーブル触手が生み出す電撃、錐体上部の頭部が吐き出す酸や邪視もものともせずに、懐に入り込んだ。瑠美も同じだ、ジルが飛び出したのを見て、後を追うように飛び出し逆方向から、潜り込んでいく。
とろいぜ、図体がでかい分小回りは利かねえか、それともまだ寝ぼけてんのかよ?
ミッシングブルーだからかも
そもそも神妖に一定の定義があるわけではない。だがこの『俄作りの音波塔』に関しては、神妖にしては守りが薄い印象を受けた。それとも『唐傘お化け』の人型部分のように、損傷自体には大した意味が無いのだろうか。
ジルが斬りかかったのは、笑ったまま凍り付いているパウラの顔だ。まるでデカールか何かのように、場にそぐわない笑顔のまま固まって張り付いたまま。不気味で気持ちの悪い図体にちょんと付いたパウラの笑顔は、場違いすぎてシェルクーフの気味悪さを一層増している。
まずはそのパクった顔を返してもらうぜ!いつまでもそれぶら下げてられっとやりづらいんだよ!
持ち前の小ささを活かし巨体の隙を縫って進むジル。阻む鱗触手は氷の剣で切り捨て、霧氷で動きを鈍らせ、パウラの顔に近付いていく。ジルはあれを幹と踏んだらしい。
偽物の分際でパウラの顔してんじゃねえ!廃坑奥の魔王の真似なら寝ぼけ眼のままくたばっちまえ!
剣を持たない左手を地面に突いて一喝すると、冷気をまとった帯状の領域がまっすぐに俄作りの音波塔に向かって走り進む。伸びる氷冷帯域にそって、上向きの氷柱が乱雑に突き出し剣山をなした。シェルクーフの脚を串刺しに固定し、封じた動きを解かれる前にその脇を駆け抜けて、目標地点へ一直線。勢いを殺さないまま、水平に構えたアイスナインソードを、勢いの慣性をそのまま乗せて一気に巨大化させる。
剥げろ、パチモンがッ!冷凍……ん?
比較的容易にそこまでたどり着き、にっこりと微笑むパウラの顔に憎々し気な表情を見せたジルだったが、冷凍剣を叩き込むべく構えたところで、しかしすぐにそれを中断して離脱した。
氷槍の磔にまだ動きを止められている足の代わりに他の足が伸びる。だが離脱するジルを深追いするものではなかった。
瑠美!離れろ、なにか……
距離を録りなおしたジルが瑠美を呼ぶが、瑠美はジルとは逆側で、錐体上部の人の顔の部分を狙って攻撃を仕掛けている。ジルとはバラバラに、幹を判断しバラバラに攻撃を続けていた。
瑠美!ちっ!!
ジルが呼びかけても離脱の気配を見せない瑠美。ジルは飛び上がって瑠美を引き剥がすために再度接近を強いられる。
ジルが感じたのは、周囲に満たされた空気の微妙にピリピリとした感覚と、余りにも容易に接近を許した相手の出方だ。そして一旦離れたジルの位置からはそれが見えた。さっきまでと異なり、一角獣の頭の目と、何よりも、目立つその角が鈍く光を放っている。何かの前兆にしか見えない。
瑠美は、分類すればインファイトを得意としてはいるが、それは自分が気取られずに敵に近付き一撃で仕留めて終わらせる方法によるものだ。ジルの様に正面切って接近戦を継続することは、苦手ではないかもしれないが、経験値が低い。何かを察して離脱したジルだったが、瑠美にはそうした空気の読みがまだ醸成されていなかった。
わっ、ジル?
離れるぞ。何か、タメてやがる
瑠美は鋸脚と電源ケーブル状の触手からの電撃、それに小型破砕音響を回避しながら、上部の人型頭部を目指して、錐体の斜面を上ろうと試みていた。だがジルに無理やり引っ張られてエンゲージを解くまで、まったくシェルクーフの様子の変化に気づいていないようだった。
もっとおっきいこえでゆってくんないと、きこえないよお
十分でかい声で言ったって。ああ、騒音がひどいからな。そういうことにしとくぜ
パウラがいないとふべん
連携の起点や、情報共有のハブになっていたのは、いつもパウラだった。今展開していた戦闘は、全く連携が取れていない。ジルは下部を狙い、瑠美は上部を狙っていた。普段なら、パウラが全員の意見を収集し、戦闘方針を一つに決め、それが全員にフィードバックされることで、そうした無秩序な戦闘にはならない。単騎での戦闘力はジルや瑠美には遠く及ばず、LRADくらいしか攻撃花卉を持たない(し、彼女自身がそれを開発しようとしなかった)エクストラだが、007やM.Iみたいなことをするなら別として、現代の戦争において運用するなら、パウラは最も有効な能力を持ったエクストラと目されていた。翼で上空から、あるいは音で無視界の戦場を俯瞰し、デバイスなしでほぼ無制限の通信を行える。傍受の技術も確立されていない。彼女の能力なら潜水艦に乗ったままでも戦果を挙げることが出来る。情報の優位は戦場の絶対有利なのだ。
だがその優秀なスカウトも今はただの騒音発生塔になり果てている。
二人が俄作りの音波塔の傍を離れてから間もなく、一角獣の角の光が一層強くなり錐体に絡みつく花がうねる様に蠢いて青い花弁の内側に光を秘める。妨害音響が一瞬止んでから、次の瞬間。
っ!?
うわっ、うるさっ!
電子音の様なギザギザした音が爆音で響いた。角錐の下の方を占める金管楽器モドキ全てが、一斉にフィルタなしの尖った矩形波音を重ねたような音を鳴らしている。
ぼこっ、と急に部屋の内壁が崩れた。丁度、音波塔の錘体を中心に球形を刳り貫いたように重要免疫区画の壁が細かく砕け、砂のようになって失われた。見事球形に刳り貫かれた空間が出来上がる。
粉砕された壁材は並大抵のことで砕けるものではない、それこそ地震などで地殻ごとずれるような強大な力が加われば割れることは間違いないが、こうして内部からのエネルギーで破損することは想定されていない。にも拘らずまるでビスケットでも叩いたみたいに粉々に砕けた壁材。
な、なんだこれ。LRADと同じか?全方位に無差別に放出されて、こんなに威力が出るってどんな出力してるんだ
チャージしてたっての、これ?
知るかよ。でも、あんなもん見せられたら近付きたくはねな。アイシクルマシンガン!
ジルはさほど当てるつもりもないのだろう簡易な(それでもそれなりの威力は担保した)花卉を宣言する。小さな氷の弾を高速で連射するものだが、放たれた氷弾はシェルクーフへ近づくと砂の様に砕けて消えた。丁度、円形に刳り貫かれたその空間に入ったところでだ。
振動波の範囲の中に入っていなくとも、何か音が聞こえる。錐体上部が垂れ流していた妨害音響と似ているが、今度は明確に、何らかの整ったメロディを紡いでいる。
戦場で歌が聞こえる?ふざけたことを……
うるさっ
「俄作りの音波塔」は、球形の粉砕空間を身にまとったままゆっくりと動き始めた。錐体各側辺に備わった翼を羽ばたかせると、それまで夥しい数の蛇足で支えらえていた錐体が、ふわりと浮き上がった。ここは地下深くだからしばらく神妖を張り付けておけると思っていたが、考えが甘かったらしい。振動波域をまとったまま浮かび上がった俄作りの音波塔だが、天井は砂になって消えた。本当にサブレでも砕いているくらいの容易さで、徐々に壁材が失われていく。ここを、出る気か?
まずいよお。かみさまって、きょうとめざしてるんじゃないの
大阪からだと、目と鼻の先じゃんか。御三方様よ、やっぱ、急いでここを出てCYPHERに連絡してくれ。掃除屋がいたら……運が悪かったと思え。どうせここで死ぬか、少し上の階で死ぬか、どっちかだ。所長サンが何を意図してここに残れってゆっているのかは知らんけど、座して死を待つ意味なんかないだろ
なかにはいれないかな……
滅多に見ない、深刻な表情のジルが僕に向かって脱出を進言する。ジルと瑠美でひきつけておく、とでもいうのだろうか。一体どうやって?シェルクーフ自身の動きとは別に、振動波の球形破砕領域は徐々に拡大を続けている。
球形空間全体が振動波の破砕効果に満たされているのか、表層に破砕効果が展開されていて内側はそうではないのか、ここからでは分からない。後者なら瑠美の言う通り内側に入るのは効果があろうが、前者であれば、あの中に入るのはミキサーの中に全身を突っ込むのも同じだ。
パワーでブチ抜ける要員がいないときにこんなタイプかよ、タフだぜ
かさみたいになかにはいれればなあ
ジルが忸怩たる様子でアイスナインソードを握りしめるが、今の彼女には打つ手がない。瑠美も同じだ。ダメ元で白色冷凍光線を放とうと花卉使用宣言を始めたジルだが、それより先に驚きが表情に現れた。
主任が、つかつかとジルと「俄作りの音波塔」の間に現れ、つかつかと奴の方へと歩いていくではないか。
お、おい!トチ狂ってお友達にでもなりに行くつもりか!?
慌てて主任を止めに行くジル。
一方の主任は、それらの攻撃は外れたらしい。白衣のポケットに手を突っ込んだまま、歩む足を止めず進んでいく。
何考えてんだ、あいつ!
中央にパウラの笑い顔の首を抱いた、しかしもはやパウラではない化け物は、無防備に歩み寄る梨来所長に対して一度浮き上がった体を再度着地させ、主任を(ジルもまとめてであったが)仕留める姿勢を見せる。再度側腕を伸ばし、群がる触手を向かわせ、刃を立ててきた。
主任!何してるんですか!
そんな無防備に前に出て、逃げ場はない。鋸となった触手の先が、完全に主任の体を剣閃先に捕えている。同時に酸性液や凝視攻撃、電撃なども重ねられていて、主任にはわずかな回避先もないように見える。触手に潰されるか、鋸に切り刻まれるか、強酸にやられるか、電撃で焼け死ぬか、間違いなくいずれかの結果になるしかないと思われた、が。
なに、?
主任は全く平然と前進を続けている。あらゆる攻撃は、まるで見えない球形の容器に阻まれているように失速し、梨来へ到達する頃には勢いを失い傷つけることが出来ない。いかなる攻撃手段もその見えない壁に阻まれているようだった。
うお、どんな魔法使ってんだよ
すごーい!そのままやっつけちゃえ!
主任が歩みを進めて近付くほどにシェルクーフの攻撃は一層苛烈さを増し、なぜか攻撃が通じなかった主任に向けて改めて複数の攻撃が繰り出される。が、そのいずれも違う結果を導く事は無かった。
抱かれたパウラの首が、あの攻性生物「俄作りの音波塔」の表情を示すとは思えないが、近付く敵性存在を排除しようとする攻撃が一切通用しない中でもやはり未だ笑顔のまま固まっているその様子は余りにも薄気味悪い。前進を続ける主任は振動波の影響球域に侵入するが、それさえも通用しない。一体、何が起こっているというのだ。
主任、あなたは……
主任の一歩ずつの前進に対してさえ後ずさるように押し込まれていく俄作りの音波塔。それよりも主任の歩みの方が僅かに早く、距離が縮まっていく。やがて俄作りの音波塔が地下空間の壁際にまで下がり、振動波で壁を砂化させる速度が後退の速度に追いつかないまま追い詰められていく。いよいよ主任との距離が、彼女自身の腕程に縮まった。シェルクーフは金管楽器を模した発生器から指向破壊音波を改めて主任へ向けるが、それも髪をふわりと揺らすそよ風になり防がれた。
いいこだ、こっちへおいで
目の前の化け物の目を背けたくなる悍ましい姿に対して、主任の口調は、至極穏やかだった。目の前に神妖がいて、実際に攻撃を仕掛けてきているというのに、全く恐れのない表情で対峙している。あの球形の防御フィールドがなせることなのだろうか。
さあ、大人しくしてくれ
穏やかにシェルクーフへ手を伸ばし近付いていく一方で、シェルクーフからの攻撃は一層強くなっていく。飛翔を辞めた翼も刃に変わり、攻撃に参加していた。だがそれらは全て止められており、やはりわずかにでも傷つけることは出来ていない。
無駄だよ、音波塔。君には私を傷付けることは出来ない。
暗示、なのか?主任にだけは、危害を加えないという
古今には、フロラシャニダールのプロジェクトにかかわる所員たちの間に「古今で生み出されるエクストラは、どんな個体であっても、誰が管理者であっても、一切梨来所長へ傷をつけるような行動をとることが出来ない」というまことしやかな噂があった。絶対不殺傷命令と呼ばれていたが、それを裏付けるいかなる証拠も、そもそも古今内でそんな諍いが起こったこともなく、それはあくまでも噂の域を出なかった。でももしかしたらこういう時のために、何らかのが施されているのかもしれない。僕は希望を以て主任を見る。
絶対不殺傷命令、本当だったのか
あたいらも、所長には逆らえないってことかよ
チート
でも、今ばっかりは、助かる
絶対不殺傷命令なんてそんな可笑しな契約、あってたまるか。私は魔法使いではないよ。……でも、青血漿
にはそう言う効果があったかも、しれないね?
彼女の足は依然一歩ずつシェルクーフへ近づいていく。攻撃の届かない球形の範囲はシェルクーフの側腕や触手、ケーブルや基盤の行動範囲を侵しており、大きな運動エネルギーを生じる活動を抑制されているようだった。主任は手を伸ばして穏やかな口調で歩み寄っているだけなのにシェルクーフの方は怯えて後退っていき壁に追いやられている。後方へ破砕は進がその速度は遅々としてシェルクーフの退避先を作るまでには至っていない。
希望が見え始めていた。主任はきっとパウラを制御は出来ずとも抑えつけ回収することが出来るのではないか。生きてさえいれば、処置と再教育で元のパウラに戻せるのではないか。なんせ青血漿は失敗作とはいえ主任の作ったものだ、対処方法もあるのではなかろうかと。でなければこうして、子供に言い聞かせるような静かな様子で一歩ずつ近づいていくことなんてしないだろう。聞き分けのない子供をなだめるとか、逃げた犬を鎮めながら捕まえるとか、そういうものに見える。
パウラ、聞こえていたら、大人しくしてくれ。主任は、きっとパウラを元に戻してくれるから
出クン
僕が俄作りの音波塔へ呼びかけているのを割るように、主任の声が出に向いた。
君は本当に、ロマンチストだね。そう言うところ、誰彼構わず優しいところも、好……きらいじゃないよ
元パウラだったものが、刃に尖った羽を主任へ振りかざし鋸のように引く。それでも球形の範囲に触れる傍から刃が零れ、ただの鳥の羽のように戻ってはらはらと柔らかく散っていくだけだ。シェルクーフの行動は、中央で笑い続けるパウラの顔面とは裏腹に、明らかに恐怖におののき主任を避けているようだった。攻撃して排除しようとしているようだった。だがそれは全くかなっていないのだ。
動きだけを見れば、子供が、親から叱られるのから逃げようと抵抗しているように、見えなくもない。
でもね
主任の目が、シェルクーフから僕の方へ向いた。その目は粗製神妖に向けられていたものとは違い、穏やかというよりは、悲しく寂しいものに見える。どこか、潤んでさえ見えたその変化を僕は、訝しむ。
何故。何か解決策を見出したからそんな風にパウラをいさめて止めているのではないのか。答えを求める様に梨来へ視線と短い言葉を返した。
主任?
……あそこで私を選んでいてくれれば、こうはならなかったんだ
どういう
僕の言葉をまるで背後へ見送る様に、梨来は振り返り音波塔へ向き直る。そして伸ばしていた手を、いよいよその巨体へ触れた。
シェルクーフの側腕、触手、ケーブル、音波、牙、凝視、電撃、酸性液、鋸刃翼による攻撃が、懐の主任へ集中する。抱き抱えられる様に、物理的に包囲される。だが攻撃は一つも通っていない様だった。
パウラの成れの果ての体に触れた主任の手先が手刀のように延ばされ押し込まれると、光沢さえある錐体の表面が裂けるようにその手の侵入を許した。笑いっぱなしで凍り付いたままのパウラの顔のすぐ右上あたりだ。やはりその表情が変わったりすることはない。だがそれは俄作りの音波塔がそれを受け入れたという訳でもない。その証拠に、彼女の手が入り込んだ裂け目からは真っ青な血液が脈打つように溢れてきており、懐で自分の体を引き裂いた外敵に対してなりふり構わず抵抗しているような、暴れて抵抗しているという言葉さえ適切に見える攻撃を繰り返していた。
側腕が攻撃とは関係のない方向へのたうち、触手がシバルバー内の壁や天井や床を打ち付けている。ジルと瑠美が飛び散る瓦礫や、振り回される触手の動きから僕を守ってくれている。三人とも、主任があの攻性生物を退治してくれるのを待つしかなかった。
さあ、おいで、こっちに
ずる、と嫌な音が聞こえたと思うと、主任の手は肘と肩の間辺りまで、一気に青化未遂パウラの内部へ入り込んだ。中を何か探る様に手を動かした主任は、そして目的のものを見つけ出したように、俄作りの音波塔の内側から、それを引き抜く。真っ青に鈍く青い光を放ちながら脈打っているのは、パウラの胸に咲いていたフロラシャニダールだ。青い血液に濡れているが、嫌という程それを見てきた出にはすぐにわかった。驚くべきことに、それは青く染まり、さらに子房を膨らませている。花弁と蕊はしおれ落ちほとんど残っていないが、膨らんだ子房が脈打って内側から青い光を透いていた。
元の心臓は不要な器官として隅に追いやられている。まもなく停止するだろう。今、この子を司る幹は、青色フロラシャニダールの子房だ。
ずるずると、まだ茎が、まるで血管のようにシェルクーフの各所と繋がったままのフロラシャニダールを引き抜いていく。千切れた茎からは、青色の液体が血液のように噴き出した。それが千切れ体からはなられるたびに、俄作りの音波塔は、その名の通りそれまでよりも一層の不快感を伴う金切り声を叫ぶ。苦痛を訴えるように身悶え、主任を攻撃するがやはり自らの心臓を鷲掴んだ梨来をどうにもすることが出来ない。
その様子を全く気に掛けることなく、パウラの心臓を握ったままの主任は、僕へ向き直った。パウラだった化け物の体から、フロラシャニダールの茎が引きずり出されて、これ以上伸びないと突っ張っていた。最後の太い茎。
主任?
ぶつん!と一際大きく太い音を響かせて、最後の一本の茎が、千切れた。一際多くの青い血液が……それと混じって、まるで残滓の様な赤い血液も、噴き出した。青、僅かな赤、それに混じった紫色の少し粘度の高い液体が、床に水溜りを作る。辛うじてパウラだったときにジルと瑠美の銃撃で出来た赤い水溜りとのコントラストが、目に喧しい。
振動波や妨害音響は停止し、足の動きも急に緩慢に変わっていく。仕留めたと、言うのだろうか。
どういう、ことですか?
管が千切れ捥ぎ取られた子房を、掲げるようにして眺める主任。その背後で、最後に心臓と繋がっていた管の部分から急激に水分を失い土になって崩れ落ちていくように形を失っていく俄作りの音波塔。『音が鳴るもの』の概念で形成された疑似器官と、それぞれの不気味な融合体、無数の側腕、触手、ケーブルが絡み合った化け物は、それぞれ音の鳴るものを吸着しておく力を失ったようにそれらを手放す。スピーカー、口、セミの腹、ヘッドフォン、手、トランペット、伝声管、バスドラム。全てが地面へ放り出され転がる。吐き捨てられたスピーカーやセミの腹や楽器の形も、大きな崩壊の流れの中で同じように土になり形を失い崩れていく。神妖が幹を失い送られる瞬間と同じだ。
これが、欲しかった。やっとここまで来た
その巨大な崩落を背景に据えながら、主任は手に持った青色フロラシャニダールの子房にキスしながら、出を見る。
私は、やった。ねえ、お兄ちゃんは、どうするの?どうやって、強くなるの?
目を細めて、僅かに笑うその表情。どこか非難がましい色を湛えた視線。漂う幽かな香りは、アカツメクサの蜜。
その後ろで、最後のひと絞りの力を使う俄作りの音波塔。崩れ落ちる発声器の集合体の真ん中で、千切れ落ちその下部の組織に根を着床させたパウラの頭部は、形ばかりは元の上半身の形を取り戻しながらも既に身動きすることはない。表情も笑ったまま動かない。だが上半身の形を再生し偶然にこちらの方を向いたその視線が、ボクを見ているような気がした。急速に崩れ落ちていく錐体、残された側腕はほとんどない。動くものは1本か、2本か、その内1本を弱弱しく伸ばす。主任へ最後の一矢を試みるのか?しかしその腕は、僕の方へ向かって伸びてきた。僕を求めて震えながら伸び、停止して、そして崩れ落ちる。主任の立つ背景の一部を出ることが叶わないまま。
それとも、もう忘れてしまった?……お兄ちゃん?
主任……あなたは、何がしたいんだ。僕の思い出を弄んで、どうする気ですか!
彼女の様子の変化と出の語気の変化と、を察知したジルと瑠美が、出と主任の間に立った。
思い出。ふふ、出クン、私のシナリオは、まだエンディングじゃない。途切れることなく、あの日から続いているんだ。そして、これからも!
主任は、青色フロラシャニダールの子房〝青結晶〟を頭上に掲げ、それを力任せに握り締めた。
青色フロラシャニダールの子房が潰れてその内側から血液の残滓が……いや、そうして絞り出される青は、俄作りの音波塔の体を巡っていた血液の青とは比較にならない程彩度が高く、まるで自ら発光しているような目が覚める青、恐らくは先の血液とは別のものだ、液状のアズライトを思わせる真青い液体が噴き出した。
その青い液体を頭上から受け、口を開けて舌を出しそれを飲み干す主任。顔中がその青い液体で染まり、顔だけではない、上半身も、それを受けたあちこちは青く染まった。こんな言葉が適切とは思えないが、青い飛沫を体に浴びてうっとり笑う主任を、僕は綺麗だと感じてしまった。
青結晶の果汁を浴びるように飲んだ主任は、恍惚さえ浮かべた表情で僕の方に向き直る。
見ていて、お兄ちゃん。私、強くなる
ほどなくして、主任の体が震え始めた。さっき、パウラが青血漿の症状を発言した時と似ている。うずくまり、背中を丸めて、自分の腕で自分を抱くようにして、背中に手を回す。見ると、白衣の背中部分が、大きく膨れ上がっていた。何かが、いる。
だが、僕はパウラがそうなったときの様な危機感を感じていなかった。薄く諦観と悲愴を垂らした様な、寂寞じみた安らぎを、感じている。
出
……だめだ
パウラとおなじになっちゃうよお!
警戒した二人は、青色のペンキを吹き散らかされたような姿の主任へ油断なく剣と鎌を構えている。だが、僕は攻撃を許可しない。
彼女の白衣はその下の着衣と共に押しのけられ、せむしのように曲がり膨らんだ背中が現れる。脈打つように膨らみ、そのまま脊髄が背の皮膚を突き破って顔を出し剥き出しになると、脊椎は無数の細い根に包まれていた。折れた脊椎の断面双方から伸びる太い管はその中央に脈打つ茎を生じている。背から、巨大な子葉が芽生えたのだ。映像の早回しのように、揺れながら成長を続けている。
脊椎が真っ二つに割れているのだ、普通であれば激痛を伴い、命令は阻害され動いたり話すことさえできないはずなのだが、彼女は折れ曲がった背を誇るように笑みを浮かべて声を上げる。
さあ、瑕疵なき花卉の開花だ。私は、強くなる。何者にも負けない、誰にも打倒されない、何人たりとも邪魔できない、絶対の強さを、手に入れるの。白い部屋で外の世界を夢見ているだけの、私はもう、身体中管だらけの弱く小さな花ではない!
背中に抱いた実生は通常の植物のように折れ曲がって生えているが、すぐにまっすぐになり茎を生長させて本葉を生やした。
パウラと同じじゃんか、出!
さっきとおなじ
いいや、その必要はない。もう、ないんだ。
パウラがシェルクーフへ変容してしまった時と、大まかにいえば同じような変化だ。ジルと瑠美の主張は正しい。でも僕は、パウラの時のように迷う事は無かった。主任の背から伸びて葉を茂らせ、大きく開花したその花を見て、僕は確信したのだ。
攻撃はしない
何でだよっ!
しゅにんさんのことすきなのはわかるけど
勝手にやるぜ。後で頭が割れたりげろげろ吐いたりしたって構うもんか。あたいらは出を守るように出来てはいるけれど、お前が死にたがってたりしちゃ、守れるもんも守れないんだよ!
よわむし!そこまでゆーじゅーふだんだとおもわなかった!
ジルと瑠美が、僕を非難する。そこまで感情を露わにして僕を非難することは滅多にない。否定的な見解を事実を超えて感情を上乗せして管理者に伝えることは、それだけでも彼女達には負担になっているはずだ。だが、それも今は、気にすることではない。
計画通りと言う事ですか
僕は主任に問いかける。この一連の出来事も、ティムがパウラに花を毟られ、パウラがあんな粗製神妖になり果て、自身の体に植えた寄生花にあの青い液体を投与してこんな風に花を咲かせることが、全て筋書通りだったのか。
その通りだ。トリニティと掃除屋の闖入だけじゃない、そもそもこの古今自体が、全て私の欲求を満たすための園だったんだ。……出クン、君をここに招いたのもね
まさか僕が子供の頃に入院していたことまで計画通りなんて、ばかばかしい話を始めるんじゃないでしょうね
さすがにそれは筋書の中には含まれない。それは、動機なんだから
そんなフィクションみたいな話があってたまるものか。『あの子』は、亡くなったのではなくて、退院していたというのか?
……まあ、出クンから見れば、単に人生を玩具にして遊ばれたようなものだな。そればかりは、同情するよ。だけど、済まないとは思っていない。キミが想っていた病弱な少女は、やり直しを願ったのさ。それこそ、神様とか、オカルトとか、妖怪とか、そういった類のキチガイじみたものにね
もしそうなのだとしたら、信じられなくとも今迄古今の中で見てきた色々の物の辻褄は合う。……いや、これが『筋書』なのだとすると、『平仄』が合う、と表現すべきなのか。
薄々感じてはいたが確証は得られなかった。そんな子供の頃の思い出が、年老いた今になって再始動するだなんて、余りにも童話めいた話がある筈がないと否定していたのだ。でも、そうなのか?梨来主任に直接問いかけようとしたが、
そんなことは
割り込まれて塞がれた。
そんなことは、どうでもいいじゃないか、出クン。
どうでもよくなんか
どうでもいいことなんだよ。その彼女が運よく無事退院したのか誰かが持ち込んだ異物による感染症で死んだのかなんてことは。梨来優花という人物が君の初恋のお相手だろうがそうではなかろうが。今の私を突き動かしているのが久しく歴史に忘れ去られてようやく開花した人体寄生花だろうがイカレタ科学者が遺伝子操作で人工的に作り出した畸形白詰草であろうが、ね。そんなことはどうでもいい。何も関係がない。私は私だ。キミの中にいる誰かじゃない。
主任には、何が見えていて、その手の中には何が抱かれているのだろう。主任の脊髄から生え生長していくあの花は、一体主任の何を吸い上げて成長しているのだろう。
私は私の感情を、私の感情以外の何者かの所為になんかしない。君を欲する感情に、もはや君は不要だ
その言葉には、『動機』と言ったその出来事から今の今まで積み重ねてきたすべての重さが加わっているのだ。その重さを、全て自分の所為にしようとしている。
主任、あなたは
こんなことは、私一人の問題だ。この筋書も、私一人で書き上げた。キャストも、舞台も、全て私一人でね。書き初めの動機も、その継続の意欲も、全て私の感情一つだった。キミはただ巻き込まれて私の欲求を満たすための配役に過ぎなかったのだと、そういうことだ。本当なら、それと知られることもなくこのシナリオはエンディングを迎えるはずだったのだけれど……色々と上手く行かないものだね
上手く行かずにティムや……パウラを殺したっていうんですか
これが筋書だというのなら、敵襲はともかくとしてティムの花が毟られパウラが化け物になり果て、その息の根を主任が自らの手で止めることも、全て計算づくだったといのだろうか。
上手く行かないものさ。どうしたって、クローバーズをこの筋書から降板させる方法がなくって。その子等が一番の障害だった。羨ましくって仕方が無かったよ、最初から、ジルちゃんも、瑠美ちゃんも、パウラちゃんも、最初から出クンから好感度MAXの状態でゲームスタートだ。いつも一緒にいて、邪魔で邪魔でしょうがない
出は、お前のことが好きだよ。望んだ通りに、なってるだろ。何が不満だっていうんだ
ジルが主任の言葉に割り込んで反駁する。僕が言ったって信憑性のない言葉だが、ジルが言えば意味を持つ。だが、それをジルに言わせるのは、僕と言う人間のあまりの甲斐性の無さを物語っている。だが、所長の背中で大きく成長している瑕疵なき花卉を見て、なすべきことは決まっていた。
パウラをあんな風にして、それで女の戦いに勝ったつもりか?
ジル、やめるんだ
しゃーないだろ、梨来がわからずやなんだ。そんなことをして、誰も理解なんかしてくれないってのに
しゅにんさんは、おんなのひとすぎる
「誰もいなくていいのさ。それが私の選んだ道だから。他人からの理解なんて、望んでいないんだ。君達だって、そうしているだろう?パウラちゃんは少し……踏み外してしまったけれど、君達が『そこ』に踏みとどまっていられるのは、二人がそれを理解しているからだ。違うか?」子供だと思って扱うと、妙に大人びていると驚かされることがあった三人だが、主任の方は既に、彼女達をいっぱしの大人と同じ扱いをしている。僕には今ひとつわからないところが多い女の子三人。でも、主任はもう彼女達のことをよくわかっているようだった。そして、今に至っては、ジルと瑠美さえ、主任のことをわかりかけているようだった。僕には、どうしてもあと一歩、まるで皮膚に届けたい爪先が布一枚を隔てて丸くぬるい感覚に化けてしまうように、全容を見るピントを合わせることが出来ない。理解は出来ている、だが腑には落ちない。
……出にさえ伝わらなくっても、いいってのかよ
私の感情は、私のものよ。他人の干渉など
他人ってのはあたいのことを言ってるんだってことにしとくぜ。……バカなガキのあたいに言われてんだ、あんた相当キてるって、気付けよ
ふふ。でも、出クンはもう、わかっているから
主任が言うのを聞いて、ジルと瑠美は僕を見る。確かに、僕は、もうそれをわかっていた。僕の理解が、主任の望んだ理解であったかどうかは、わからないが。
花卉を人間に使うことは、許可できない
僕が言うと、ジルと瑠美は僕を見て剣と鎌を収めた。
本当に、キミのそういうところ、 だね
……それはどうも
主任の背中から伸びた茎、その頂上で開花した花を見上げて、僕はいろいろなものに決着をつける必要を感じていた。過去、それと、全く、今。抱えていた思い出も、何かに駆られて始めた白詰草の遺伝子操作遊びも、ジルと瑠美、そして、パウラの事も。
そんなのwwwの噂だよ、雲月。そんな幻想にほだされちゃ、だめ
一番乗りそうな真矢に言われては取り憑く島もないな。でも、私はその通りだ。思うだけじゃない、願いを叶えるために努力し、あらゆる方法を実践した。手段を選ぶなんて手段は選択肢になかった。想いは願いは、強く念ずれば叶うだなんて、ばかばかしい。手段を選んでいる内は、願いなど叶わない。必要な手段であれば迷いなく実行する、そうでなければ願いなど叶わない
瑕疵なき花卉は、みるみる丈を伸ばし、横方向にも生長を続けていた。このただ広い空間が、何のために用意され何故ただの物置としてデッドスペースを任命されていたのか、ということだ。
成長する瑕疵なき花卉は茎を壁中に這わせ、頑丈である筈のその壁材に新生した根を下ろしている。葉は新緑の生き生きとした艶めく緑色をしているが、わずかに赤みがかっている。既に主任をしてその背後へ広がる床の扇状と、その延長上にある壁は、すっかりと瑕疵なき花卉の延ばす蔦に覆われている。どんなに広い空間をその茎葉が満たしたとしても、他の花が咲く事は無かった。すべての葉も茎も根も、中央で咲き誇るたった一輪の花を崇め抱くように繁茂している。
強くなることを願って、こんな姿に
俄作りの音波塔を見ただろう。あれではまだ未完成だ。だが、その子房から真に力を受け継いだことで、青色フロラシャニダールは完成した。私は人間的な知能にエクストラの理性性をブリッジして、そしてそれらによって制御される神妖の力を得た。この青い花は、私の物だ。私の力の象徴だ。やっと、やっと願いが叶った。長かった!私は!
折れた脊髄から蛇が擡げるように起こした形で、主任の上半身が笑う。その表情は、いつも気怠げで、真剣さを持っていないわけでもないのに不真面目にさえ見える、でもその様子が逆に綺麗な外見に生っぽい生気を与えていてとても魅力的だったときとは少し違う、活気に満ち溢れた明るい表情をしている。こんな表情はほとんど見た事が無い。彼女のプライベートを余り知っているわけではないが、あんなふうに屈託なく笑っている顔は、セックスした後に椅子でずっこけた、あの一度きりだったと思う。それさえも、今となっては、取り戻せない過去になっていた。仮にこんなことになっていなければ、その後主任と何らかがあったとしてもなかったとしても、きっと酸い想い出になったろうが、もはやそれは断絶した。
主任。この結果を、残念に思います
それでいい。これは私の問題だ。キミは私の筋書に巻き込まれたただの被害者でいてくれれば、それでいい。恨んでくれて構わない
恨みは、ありません。ですが、残念です。科学は、悪魔の業であってはならないという事ですね
「……人を人として扱わない実験で、悪魔に魂だって売った。偶然わずかに手に入れることができた上級妖魔との混血半妖の組織を、悍ましくも自分の体に取り込んで迷いなく人間の体も捨てた。私は『それをやってのけた』んだ、この身も魂も、もはや人間ではないだろう。強いて言うのなら、悪魔そのものだろうな。こうして青花妖に変わり果てて、」ジル、瑠美
僕が二人の名を呼ぶと、二人はその言葉がかかることを既に理解していたように即座に、花卉ではなく、銃を発砲した。パウラにしたように、迷いも、容赦もなく。すべての弾丸が、主任の上半身を貫く。
ははは、無駄だよ出クン!今の私に、銃なんか通用するはずがないだろう。神妖の力を得たん
この距離で、一発でも外す二人ではない。パウラの時がそうだったように、主任の体も襤褸雑巾のようにズタズタに破れ散った。主任の言葉の通りであれば、そんな損傷には意味がない。が。
い、たい……
主任の口からは花の力を得た無敵の人工神妖のそれとは思えない、苦痛の声が漏れた。主任自信が、信じられないという顔で。逆流した血液が、口から溢れ出ている。
力なく崩れ落ちる、主任の上半身。銃弾を受けても無傷であるか問題にならない損傷であることを恐らく確信していたのだろうが、ちょうど花を生やしている剥き出しの脊髄の辺りから、ぼとりと、手折れて落ちた。
主任の体は、強くなんてなっていなかった。変質した人体寄生花に蝕まれていただけの、全く脆い肉体のままだ。あれだけの銃弾を受けてまだ息があるのなら、それなりに強靭なものになっていたのかもしれないが、それは致命部位が上半身ではないところに移動している……つまり、生命活動が花の方に奪われているという証拠だ。これ自体は、主任が自ら取り出したフロラシャニダールの子房が元の体の心臓を不要器官として追いやっていたことと同じだった。
いたい……痛い……?なぜ、銃なんかで……この体は、そんな脆弱なはずがない。そうだろう、この青い、青い青い瑕疵なき花卉は、私に神妖の力と体を
信じられない、そんな目だ。泣きそうな表情にも見える。痛みが生きているのならそれ故かもしれないし、積み重ねてきた努力の結果が実らなかった無力感からならそうかもしれない。声を震わせて、目に涙を溜めて、現実を認めたくないと僕の方を見る主任。
さっき見た活力に満ち溢れた主任も初めて見たが、こんな風に……打ちのめされた表情も、初めて見た。僕は、主任のことを、何一つ知らないままだったのだと痛感する。もう、何もかも遅いのだが。僕は、死んではいないが血を吐いて、恐らくもう長くは無かろうという主任に、自分を強くしてくれると盲信していた花を見るように促す。
主任。ちゃんと、目を開いて見て下さい。自分の目で、ようくようく、目を開いて見てください
主任の体から血を吸い上げ咲いた花は、青くなんかなかった。
どう、して
主任、あなたは、悪魔でも神妖でも、花妖でもない
その花の色は、紛れも無く、赤。人間の血の色。
人間の血を吸って生長した、花の色だった。主任、あなたは、人間です
てめえら……下にいた奴か!?
階段を登っている途中で、粛清部隊らしい男に出くわした。
出氏、さがって!
瑠美が影踏みで、先行していた僕と粛清部隊の一人との間に飛び込んでくる。だが、男の抜いた銃は既に僕を捉えていて……。
まだいたか、消えろと言ったはずだ
突然、目の前にいたはずの男が、破裂音と共に一瞬発光し、その後すぐに黒い塊になって崩れた。5100度の炎が、粛清部隊隊を焼いたのだ。
わっ!?
わずかに炎と煙を上げている。瞬きをするほどの一瞬で人体の可燃部分が燃え尽きて炭化するとは、何事だろうか。瞬間的に「だけ」超高温下に晒されたかのような状態。目の前で何か爆発があったにしては、瑠美や僕、周囲の壁にも何の変化もない。熱ささえ感じなかった。
炭化し倒れた粛清部隊の向こうに現れたのは、髪の長い女性だった。幸みたいに真っ白い肌に真っ白い長い髪。真っ赤な目。アルビノっぽい質感の肌と髪だ。赤と白のコントラストが鮮やかな服装。長い髪は少女チックに無数のリボンで何か所も束ねられているが、その内の幾つかは外れているようだった。ポケットに手を突っ込み、咥え煙草の立ち姿は、少し……主任を想像してしまった。
あ!アル
おっと、その名前はもう剥奪されているんだ、言わないでくれ。そうだな、フジワラでいい
口振りからは、今の『人体発火』はこの人の仕業と言うことのようだが、そんなことが可能なのだろうか。
藤原、ってまた普通の人間みたいな名前だなあ。
私は死なないだけで普通の人間だぞ
知り合い?
「もう、雲月のばか!『ヒーロー』だよ!……主任が、言ってた人」え、妖魔は人間同士のいさかいに介入しないって
「『は?私は人間だぞ。妖魔のことなど知らん』……って、言えって永琳に言われたよ。これは伝えなくていいと言われたけど、あいつらの名誉のために、言っとく。妖魔ってのはどうしてこう、四角四面の面子を守ろうとするんだろうな」あなたがそれを私達に言うまで、先生の筋書なんじゃないですか?
……なんだそれ、畜生、ヒーロー差し置いてかっこいいじゃんか
上は、済んでるよ。そう言って、立てた親指で背後の階段の上の階を指すフジワラと名乗る人物。
下の問題は?
もう、終わっています。死体と残骸だけが。……実験の失敗による、事故です
問題が残ってないなら、私は詮索しない。上には、非戦闘員の一般人を無差別に殺した犯人がいたから懲らしめておいた。死んだ奴もいたし逃げた奴もいたし、既にいなかった奴もいるがね。目的は君たちの救出だ、他の事に首を突っ込むつもりはない。その子は負傷しているのか?
フジワラさんが指さしたのは、ジルが抱える仮死状態のティムと、僕が抱えたパウラだった。ティムは五体満足で花が欠けただけの仮死状態、もしかしたら別の花を植えればと言う望みはある。そのためにフロラシャニダールを何株か持ってきた。
だが、パウラは……銃でズタズタにされた上半身だけだ。根の様なもので縫い付いたように首が繋がっているが、それが正常な状態とはとても思えない。エクストラの生命力に下支えされ、途中で心臓を毟り取られたことで元の心臓が微弱ながら稼働していたせいでまだ生命活動自体は続いているようだが、脳との接続があるのかはわからないし、恐らくもう、助かる見込みはあるまい。顔は、もう笑っていなかった。どこか悲しそうに、目を見開いて口を半分開けたまま、力ない様子。一見すれば、やはり死体にしか見えない。
はい。そっちの子はすぐに処置をすればもしかしたら。こっちの子は、恐らくもう
腕のいい医者がいる病院を知ってるんだけどね、闇医者だ。良ければ連れていくけど。
ヒーロー。僕は藁にも縋る思いで、フジワラさんにお願いする。
ヒーローになれば、瀕死の状態からでもすっかり恢復すると聞きました。この子を……パウラをヒーローにしてください。もうすぐ死んでしまうんです、病院まで持たないでしょう。無理なお願いとは承知していますが、
「無理だよ。私はもう悪堕ちしてるんだ。ヒーローの伝承法は起動できない。それに、その子はもう、『改造』されているみたいじゃないか。ヒーローにはなれない。怪人は、怪人として死ぬしかない」かいじん?あくのかいじんって、パウラはあくなんかじゃ……!
瑠美。いいんだ。
瑠美はその言葉に噛み付こうとしたが僕はそれを止めた。改造した悪の博士は、僕だ。
お医者の所へ、連れて行ってください。こっちの子だけでも、何とか
わかったよ。道案内は任せな
フジワラさんに連れられて、一旦『黒十字診療所』へ向かう。
パウラを悪の怪人に改造したのは、紛れも無い僕なのだ。ジルも、瑠美も、同じようになる可能性は、あったのだ。
僕はそうならないように今後も二人を、ティムが助かれば三人を、見守っていく義務を感じていた。
いたい……いたい
ぶつり、と、折れた脊椎部分から、いよいよ体が分離した。梨来の下半身は赤い水溜りの中で、寄生植物に食われ、与えられる電気刺激によってびくんびくんと痙攣している。上半身は、まだ、生きていた。失敗だったとはいえ、過ちだったとはいえ、生身の人間よりは、頑丈になっていたのだろう。それが却って、惨たらしい延命を導き、苦痛を間延びさせていた。
お兄ちゃん、私は、ただ
手を伸ばして、出の去った階段の方へ這いずる梨来の上半身。悲痛な表情は、どこか、出が戻ってきてくれると願っているようでもあった。
いたい、よぉ
だが、出は戻ってこない。これは、さっきパウラが受けた仕打ちと同じなのだ。
たすけて、まだ、死にたくないよ
どんなにか、出も梨来に出に手を伸ばし、真っ赤な血を浴びることになっても彼女の上半身だけでも抱すくめ、血の味しかしないだろう口付けを、したかったろうか。
いたい……さむい、
だがそれはパウラへの仕打ちを考えれば、望むべくもないことだ、梨来にはわかっていた。すべてが失敗した今、自分にはこれっぽちもかかるべき慈悲はないのだと。
何も変わってない、弱いままだった、私は強くなれなかった。また、私が先にいなくなってしまうんだな
語り掛ける先の出はもういない。ただ、去り際に、強くなることを失敗した梨来優花を、しばらく見つめていた。
彼女に同情することはできない、それは彼女を愚弄することだ。非難することはできない、それは彼女を否定することだ。慰めてやることはできない、それは彼女の過ちを認めることだ。言葉をかけることはできない、口を開いて出てくるだろう言葉は、同情か、非難か、慰めか、あるいは別れかにしかならない。それを口にする決意も、出にはなかったのだ。
これが、私のエンディング、なのか……?Future">こんな筋書は、もう、もう散々だというのに
赤い水溜りの中央に横たわり、その色に染めたかった花を抱き、主任の上半身は階段の方を睨み付ける。狂気なのか。それとも、純粋な正気とはああいった姿をしているのかもしれない。
彼は、ティムとパウラの体をここから持ち出したが、梨来の事はここに置いていった。そのことが、すべてを物語っている。梨来と出の関係は、ここでエンディングを迎えたのだ。
やり直しだ、ああまたやり直しだ、また一から、最初から、やり直しだ!!出クン、私は、だが私は諦めない。何度でも、キミを、私は……!
もう、体に力が入らない。真っ青な血になれていたのならばいざ知らず、こんな赤い血の体では、もう、すぐにこと切れるだろう。むしろ、真っ二つになった体で、幾らも動き意識を保っている方が不思議だ。
ふふ、はは……。ならば続けるさ、続けるまでさ。次はうまくやるよ。このまま、一人で繰り返し続けてやる。誰の理解もいらない、誰の同情もいらない、誰の手助けもいらない、誰の邪魔も受けない。お兄ちゃんが忘れていたのなら、お兄ちゃんの理解だって、もう要らない!だってこれは、私の、私一人の感情なんだから!
梨来の血流を失い機能を縮小してく梨来の脳は、考えていた。もう、目は見えない。音も聞こえない。ただ、思いだけが、残ってまだ、まだ、燃え盛っている。命は尽きようというのに、梨来の想いはその逆の様だった。
呪いだ、これは、私から出クンへの、連綿と続き達されるまで終わらない、呪いだ!
梨来優花は……幼い日に出が花を送った彼の初恋の人は、震える手で、自分のこめかみに銃を、当てる。
……また来世でね
地下の深い場所で、もう誰も彼女に手を差し伸べることはない赤い溜まりの中で、銃声が一つ、響いた。
自ら吹き飛ばし粉々になった頭蓋と脳漿の飛沫の中に、蠢く幼芽があった。アンノウン種に似たそれは弱弱しくひょろりと伸びて、同じように何かの形を成す。
もう誰もいない。出もジルも瑠美も真矢もいなくなった、主を失った恐怖の舞台の底で小さく形作られたのは、人の姿。マントを羽織り額に触覚の生えた、漫画にでも出てきそうな少年の形だった。古今の技術があれば作れたのかもしれない作りの雑な神妖のような姿。それはしばらくの間形を保ち揺れていたが、やがて球形の胞子体となる。しかし開いた眼様の隙間からは空洞だけが覗き、不実の内に枯れ朽ち果てた。
その様子を、誰一人として見てはいない。誰も知ることはなく、語られもしない。
彼女が、それでいいと、言ったから。
……私が、怖い?
はい
「じゃあ何で来たの?あんたがその緊張感のないムカつく面を見せなければ、『恐怖』を呼び起こされることもないでしょうに。馬鹿な男」幽香さんがボクの精神に直接流し込んでくるものをそのまま受け続ければ、ボクの頭はおしゃかになってしまうだろう。
幽香さん、ボクは
聞きたくないわ、そんなもの。あんたが何を考えていようが私には関係ない。不要なものよ、特にあんたからのものはね
殺されてしまうかもしれない、この人は、たとえ世界で自分が一番強い存在でなかったとしても、世界で一番自分のことを大事にする人だ。幽香さんの自己愛故にボクが殺されてしまうことになっても、でもそれは構わないかな、と思っていた。
人は自己愛の強い者のことを臆病と言うが、それは浅はかだ。理性の下で自己愛を貫くことは臆病なのではない、洞察と共に臆病であっては、そんなことは逆に出来ない。社会と言う檻の中に入ってしまえば、理性の地盤に建築された自己愛の砦は勇気でなければ築くことが出来ず、出来上がれば強さとなる。幽香さんはそれを実践しようとしている。
そのことが、ようやくわかった。
でも、ボクはそれを知っている。その仮面の裏にある柔らかい肉の存在も一緒に、思い出してしまったから。
幽香さんが拳を振り上げて、それを、思い切り振り下ろしてくる。本気ではないにしろ、あんなのを顔にもらったら、頭が潰れて死ぬだろう。でも、そうして幽香さんに殺されるなら、いいかな、なんて。バカかな、ボク。
目を見開いたまま。逃げるように瞑るのではなくて、まっすぐ。
ムカつく。こんな、こんなやつが
轟音が響く。幽香さんの拳はボクの頬の皮を剥いて、その横スレスレのところを通って後ろの岩を砕いていた。ボクはかわしたわけではない。最初から、当たらないと踏んでいた、と言うわけでもない。
ああ、腹が立つ!私が、あんたを、本気で殺せないって、知っててそんな風に私を煽ってるんでしょう!?ムカつく、死んでよ!私の手でなくて、ねえ!?
殺せない。そうなのかもしれない。
もう一撃、今度は頬に入った。でも、さっきみたいなボクの頭が潰れてなくなるような一撃じゃない、頬骨が割れてしまう程度のものだった。
……知っててやってるのね、それ。腹が立つわ!できないっつってんのよ!あんたのこと殺すなんて!そのなよなよした様、女々しい根性、男らしさのかけらもない精神、弱々しいからだ、貧弱な妖力。ほんっとうに、見ているだけで、気分が悪い!
ボクのような小さな妖怪が殺した殺されたなんて、異変の内にも入らないはずだった。特に幽香さんほどの歴史と力を持った妖怪ならば、確実に数え切れないほどの人間と、他の妖怪を殺して自分の糧にしているはずなのだから。
確信、した。
殺せないの、私には、あんたのことが!どんなにムカついて腹が立って癪に障って苛々しても
ひゅっ、と軽く空気が切れる音がしたと思ったら、幽香さんの拳は腰くらいの高さから少し斜め上に放たれ、それはボクのおなかに。
ぐ、げぇぁっ!……っは、おぉっ、ぶっ
こんな風に、いたぶることは出来ても
一瞬の耐久もなく、胃の中にあったものが逆流して口からぶちまけられた。赤い色が混じっている。
反芻運動は数度に及び、嘔吐を繰り返すボク。激痛は遅れてやってきたが、それよりも吐瀉物と血を口から吐き出し続ける息苦しさが勝っていた。
一瞬かつ激烈の痛みは、どうやら通り抜けられずにシャットアウトされるらしい。ぉ、ぉぉおっ……!
私にはあんたを殺せないの
びちゃびちゃと、溢れ出てくるのは胃液と血液。舌をでろリと出して四つん這いになって咽ぶボクの髪の毛を掴んで無理矢理上を向かせる幽香さん。
まともに息の出来ない酸欠と、何かの内臓が破裂しているだろう激痛、未だに続く嘔吐感。涙目になって見えないが、幽香さんの顔が、近い。
ぅ、ぁ……っ
右手で髪の毛を掴んで、涙と鼻水と嘔吐物と血で顔がぐちゃぐちゃになったボクに、幽香さんは。
キスをくれた。
色んなもので汚れまくっているボクの口の中に、舌を差し入れてその中をまさぐる。
っふ、ん、っぁ
っに雰囲気出してんのよ
掴み上げていたボクの頭を地面に叩きつける。
鼻が無くなった。逆の頬骨も砕けたか。
ボクを殺すという幽香さんの言葉は信じられないけど、その紛れも無く僕を打ち付ける暴力は信用できる。でも、ボクを好きだという言葉よりは、ボクを殺すという言葉の方が信用できる。
再び髪の毛を引かれて顔を上げさせられると、赤いものがぼとぼとと顔とは逆方向に地面へ落ちた。目が、開かない。息も、ヒューヒュー音がしてうまくできない。口が右側に大きくなっちゃってるが、顎は砕けて半分くらいになっている。
リグル。あなたは覚えていないでしょうけどね、出クン。私は覚えている。全て、全て覚えているわ、お兄ちゃん!
幽香さんはそれをどんな表情で言っているのだろう。視界は赤く霞み、歪んでそれをみることは出来なかった。
耳は聞こえるけれど、その言葉には全く現実感がない。こうしてボクを打ち、殺しはしないが死んでしまう程にいたぶる暴力は、絶対的に現実感がある。
今ボクが信じられるのは、幽香さんの言葉ではない。ボクの記憶が擦り切れたフィルムだった様に、仮に幽香さんの口から好きだ惚れたという言葉が出たとしても、全く信用できるものではなかった。信じる自信も、ない。こうして圧倒的に残酷な暴力で無慈悲に扱われることの方が、ボクには実感があった。惨めだけど、その方が信じられる自信があった。
ゆ、がざ……
ひどい顔晒してるんじゃないわよ。醜いわ、リグル、醜い!
幽香さんがそう言うのなら、そうか、ボクは、醜い。
早くその醜い顔をしまいなさいと言っているのよ
再びボクの顔を地面へ激突させ、そのままおろすみたいに地面へ押しつけながら擦り引きずる。
顔が、みるみる削れてゆく。でももう、痛さなんて、感じなかった。痛みも、怖さも、もうない。
唇も鼻も頬も瞼もなくなったボクの顔。グロテスクで醜いボクの顔。顔だけじゃない。心も、気持ちも、思いでも、こんな風にずたずたで、千切れ、消え、痛くて、無惨。
抵抗しなさいよ。この理不尽に、抵抗して見せなさいよ。謂われのない責めに、抵抗して見せなさいよ!自分のせいじゃない、謂れのない今日の世界に抵抗して打ち勝つ強さを持つために、私も、あんたも、こうしてここにやってきたんじゃなかったの!?
そう、です
マウントポジションで、顔に胸に拳を入れてくる。いろんなところが砕けて潰れて、もう痛みは感じない。
それが、これなの?あんたみたいな弱小妖怪、人間にだって狩られるわよ。雑魚。あんたなんか、もう一度あの狭い無菌室でチューブだらけになって病と薬の副作用で苦しむ体に戻ればいいのよ!
弱い。弱い!何一つ変わっていないじゃない、あんたは。強くなりたいって、あの狭い部屋に押込められて世界の何一つも知らないまま生かされてる弱い自分が嫌だって、強くなろうって言ったじゃない!
ねえ、本当に、いっそ死んで?私は殺さないけど、てきとうにその辺で自殺して?お願いだから、お願いだからそんな
そんな弱い姿を見せないで。情けないあんたを見せないで?死んでないだけの雑魚が、私の思い出を汚さないで
私はもうあの頃みたいに弱い存在じゃない!あんな世界に閉じこめられて動けない、ちっぽけな存在じゃない。あんたもそれを願ったのではなかったの?それが何よ。あんた自身の願いは、思いは、そんなものだったというの!?
私は強くなった
「私は強くなった」
「私は強くなった」
「私は強くなった」
「私は強くなった」
「私は強くなった」
「私は強くなった」
「私は強くなった」
私は強くなった
でも、あんたは弱いまま
ちがう。ボクは、ボクは、まだ。
そう。あれは、私一人の、独り善がりな願いだったのね。約束なんて
幽香さんは、ボクを打ち付ける拳を止めた。代わりに、まるで歯肉に獣が群がり、その食い残しに虫が集まるように、うぞうぞと蠢く植物たちが、ボクの体を包み込んでくる。ボクの体に葉の先端を差し込み、茎を絡ませて根を下ろそうとする。
……今更、ね。最初から、わかっていたことだわ。これは、何もかもの全て一切の初めから、私の独り舞台なのだもの。他のなにもかもはエキストラで、舞台装置。何も変わっていない。最初から何も
ちがう。
あなたのつよさは、そんなにくたいのつよさではないのに。
きづいて。
ボクは、体を起こした。人型の腸を、蚯蚓と、蛇と、蛞蝓と、蜈蚣と、蝶と、蜻蛉と、甲虫と、そして蛍に変えて、そのお腹を足を頭を胸を突き破って飛び出し、幽香さんに絡みつく。
まだそんな元気があったのね
蛍のボクが幽香さんの顔の前で人型を取り戻し、綺麗な顔を見つめた。切れ長の目、すらりと通った鼻筋、少し厚い唇。何もかもが、宝石と貴金属、砂糖と蜜、非現実と思う位理想の塊。
この艶めかしく動く口がボクへの愛を囁き、普段はほっそりと白い腕がボクを抱き、湖を丸めたみたいな瞳をボクが占めるのを、何夜想像しただろうか。
喪神したようにそのさまを見つめていると、口元にヘッドバッドをもらって唇が裂け前歯が折れる。
触るな
嫌われているのだなどとは思っていない。これはきっと、自惚れなんかではなく、どういう形でかは幽香さんはボクの『方』へ好意をむけてくれている。ただ、その形がボクには全く捉えられない。ボクへなのか、ボクの背後にいる誰かへなのかも、わからない。
その焦点の合わない感情が、でも、幽香さんの仮面下に隠れた柔らかい肉なのだと思い出したのだ。
強くなりたい、なんて、欺瞞なんですよね。本当は、強くなることになんか全然こだわっていない。それはただの言い訳なんだ
自分がそんなにも弱いから責任転嫁?
幽香さんは、まだ、よわい
吹くじゃない。もう一度さっきのようにされたい?今度はおろし金で身体中を引き回すくらいにしてあげましょうか
再び滾々と沸き出でて足元を浸してく黒い空気。蠢きボクを捕まえてくる無数の腕。飲み込もうとする顎と切り裂く一億のナイフ、燃え盛る炎。ボクの体組織一つ一つが腐り落ちていくイメージ。自己と他者の境界がぼやけて存在が消えてしまうような錯覚。誰もボクのことを覚えていない世界の年表。自由落下。
その力は、確かに怖いです
何のトリックもない純粋な妖力で精神を押し潰す理解や理性の喉元に直接刃をあてるようなそれは、格下相手には抵抗不能のマインドエフェクトだ。そして幽香さんに格上なんて言う存在はほとんど存在しない。息をすることさえ、目を開けて何かを見ることさえ、耳から入り込んでくる小さな物音さえ、自分の心音でさえも恐怖の対象になって、体中を真綿で締め上げられて殺されるような確信的な感覚。
恐らくこの人はそういう小賢しい真似が好きではないのだろう、滅多に使うことのないそれを容赦なくボクに使い、研ぎ澄まされた暴力でボクを破壊寸前に追い込んでくる。それでも。
それでも、ボクが本当に怖いのは、それじゃない。
そう
「この『筋書』が、幽香さんの感情を震わせないまま、終わることです」蚯蚓を蛇を蛞蝓を、蝶を蜻蛉を斑猫を、天道虫を甲虫を油虫を、首に肩に腕に胸に上半身に戻して幽香さんに抱き付く。元の体は蟻と壁蝨と虱になって崩れるように消散した。腕を伸ばして幽香さんの首根っこに絡みつくが、鼻先を首元に突っ込んで、幽香さんの体温を飲み込むみたいにその細くてキメの細かい肌に口付けた。
でも互いに、甘い声はない。艶めいた声も、悦びもない。ただ冷ややかに肌が重なっているだけだ。幽香さんも僕を振り払わないし、ボクもそれ以上のことはしない。鼓動も高まらないし、体温も上がらない。この密着は、単に、お互いの存在誇示だった。体温と認識を押し付け合って、叱責するような抱擁。
ボクは、幽香さんにとって、エンディングなのですよね
は
幽香さんが腕を振り払うと虫達の体はあっさりと千切れて幾らか死んだ。痛い。けど、比べてしまえば痛くなんかない。よろめいたボクは追加で呼び寄せた蟲で千切れた体を再形成して幽香さんの前に立つ。
背が小さいボクには女性の幽香さんさえ見上げる格好だ。逆の幽香さんは、汚らしい者でも見るように見下す視線でボクを見ている。冷たい目。でもその奥には濡れた体温がある。
ボクには幽香さんの感情はわかりません。わかっているかもしれないけど、わかっていないかもしれない。わかっているつもりでも違うかもしれない。でも、ボクは、ボクから幽香さんに向かう感情の名前を、知っています。間違いなくその正体を
……だから何だというの
この気持ちは幽香さんが欲しているものとは違うかもしれません
ボクの顎を掴んでねじ込むように親指を口に押し込んでくる。無理やり口を開かされ、開いた口に入り込むのは冷たい指だ。ボクの舌を追いかけてきてぎりぎりと潰し込んでくる。
欲してなんかないわ
ボクは、欲しいです
……うぬ、ぼれれるな
ボクにぶつけたい言葉は沢山なのに、出てくる言葉は押し固めた出涸らしみたい。幽香さんがボクに向けてくる言葉はそんな温度だった。出口の小さい容器に入れて、一気に全部を出そうとするときみたいな、全部を一度に出したい気持ちに急かされて、逆に歪でつまらない塊がポロリと出る、そんな。
ボクには、ボクの感情が分かります。大きさも、膨らみも、色も形も、どんな声をしていてどんなふうに泣くのかも、好き嫌いも、息遣いも、指の長さも唇の形も、全部、わかります
そんなもの、どうせ矮小で弱虫で、卑屈でなよなよしていて、形の悪い体と胸糞悪い性格で、聞くに堪えない声をしているにきまっているわ。見たくもないし知りたくもない。
口の中を指で掻き回し、溢れる唾液をたっぷり指に絡めて、無様に顔を歪めるボクを汚物を見るような目で見下ろす。口を閉じることを許されず、言葉こそ紡げるが溢れ出る唾液を止められずに口の端から溢してしまう。別に、恥ずかしいとは思わない。そうして零れる唾液が、幽香さんの求める物であるなら、それが幽香さんの体を汚していく様はボクにとっては優越感でさえある。
知ってもらいます
要らないわ。
いいえ、
ぶつっ、下唇に爪が付き立てられて皮膚が裂けた。血が噴き出るがふやける程ボクの口に入れた指に、その赤いものを追加で掬って幽香さんはその指を舐めた。赤く滑り照る舌がボクの唾液と血を舐めて、冷たい表情を見せている。
要らないと、言っているの!私の感情を、汚さないで。あんたの感情が正負どっち向きで流れているものであっても、それが超高圧であっても小便みたいな流れであっても、宝石みたいにきれいな物でもゲロみたいな汚物でも、赤でも青でも白でも黒でも、山でも海でも大きくても小さくても、一切が異物なのよ。入って来ないで。私を、汚さないで!
幽香さん、ボクはそれでもあの日に抱いてもらったことを
前にも言ったでしょう、好きじゃなくったってセックスなんてできるのよ。仮に受精も妊娠も何もかも人工的に行うことが出来て同性とだって子供が作れるようになるとしたら、配偶に行為は関係がない。実際、レイプでだって妊娠はするわ。愛情と性行為に必然的な結合はない。相互に交わる愛なんて、要らないのよ。双方向の愛に何の意味があるの?愛なんか、自己満足の方が都合がいいのだわ。
幻想郷では……女の子同士が子供を成すこともある。片方が男性に性転換したり男性器を形成したり、方法はいろいろだ。でも、最終的に交尾はする。真の意味で同性同士で配偶することはない。
同性同士の配偶が許されるなら、愛情の形はもっと柔軟になるんじゃ
愚考ね、逆だわ。そんな世界では相互愛は不要な産物になる。純粋を保つ一方通行だけがあればいい、交わって濁らせる必要なんてないのよ。愛はそうね、さしずめアクセサリ位のものになるんじゃない?自分を飾るだけのもの。自分のためにあればいい。
そんなの、認めたくないです……
言ったでしょう、認めてもらうなんて、考えていない。外道と罵ってくれて構わないわ。
幽香さん、ボクは
要らないと、言った筈よ、クソ蟲
指が抜かれたかと思うと、そのまま平手が飛んだ。
押し売りは結構よ、わからない男ね!あんたの臭い感情なんて入り込んでこられたら、迷惑なのよ!……あんたはただマネキンのように舞台の真ん中に突っ立っているだけの、主役級の舞台セットでいい。それ以上余計な真似をしないで!
幽香さんが望んでいるのは、ボクがあなたのものになって朝から晩まで幽香さんへの愛を吐き続ける愛奴になることだ。ボクが視線が向けば跪き、顎一つでふやけるまででも足の指を舐め続け、言葉一つで喜悦する、半径三メートル以内から決して離れない玩具になることだ。ボクを無料男娼のようにいつでも抱いて、飽きれば布団鎌倉に出来る都合のいい男に仕立てることだ
ええ、そうよ。ついでに言えば椅子や机の代わりに使ってもあげる
でも、自分でそれをする勇気がないんだ。さっきボクを殺せないと言ったように、幽香さんは、まだ弱いままだから
弱い、そう言われてプライドを逆撫でられた幽香さんは、殺意が形を成して飛沫を散らす程の表情を見せ、次の瞬間再び拳が飛んできた。今度は、確実にボクの頭を吹き飛ばす照準と威力。でも。ことばもこぶしもかわらない、そう言いたげな幽香さんの目は、ボクを殴ることを強いられたみたいに、血走り鬼気迫っている。
……ちっ
ボクは幽香さんの感情を殺すための道具なんです。そうでしょう?
ボクは幽香さんの拳を両手で受け止めた、その両手には蟲玉が蠢くほどの夥しい数の虫を従えている。半数近くのボクが潰れて死んだが、もう半分とボク自身の腕で、幽香さんを受け止めきった。その様子に一層憎々しげな表情を浮かべる幽香さん、だがその一端には驚きの色が滲んでいる。
幽香さんの姿に、白衣を着た別の女性の姿がオーバーラップする。幽香さんよりは幾らか剽軽で人付き合いがよく、幽香さんと同じ感情の聖域を抱えていて、そして隠された恐怖はより根深かった。みるみる小さく縮んでいくそのイメージは、少女へ、子供へ遡ったころには真っ白いベッドの上で身動きの取れない弱弱しい姿になっている。ベッドの中で誰か少年へ笑いかける表情は、全く見たことのない眩しいもので、それらが一直線に接続されていることを僕は知っている。でもボクはその幻影を追い払うべきなのだ。もう、二度と出てこないようにと。その接続を、引き千切るように。
……その人は幽香さんのことを好きだったのでしょうね
知らないわ。彼がどんな風に彼女を見ていたかなんて、そんなことは関係がない。いいえむしろ、邪魔なのよ。あの時にも、言ったでしょう!?
あの時。彼。彼女。ボクと幽香さんの間の地下に引かれた下水道、でも、それは。
液相をした恐怖が足元から這い上がってくる。それでもボクは幽香さんを見据えて、腕を伸ばした。もう一度抱き寄せたい。冷たい抱擁で、ボクはあなたを呵責させたい。ボクを認めて欲しい。あなたに求められたい。ボクを思い知らせたい。でも。
知っていた。あなたは彼の気持ちを知っていて、それでも拒絶した。自分の感情を一点でも濁らせることを恐れて。それがあなたの弱さだ
うるさい。あんたは黙って這いつくばっていればいいの。優しいなんて聞こえはいいけど優柔不断で何も決められない、意志薄弱の男。あんたはただ甘えた声で私にくねりながら擦り寄ってきて、踏みつぶされて悶絶しながら死んでいくクソムシでいればいいのよ!
幽香さんはボクを振り払って、傘を投げつけてきた。傘の石突が、ボクのすぐ横の床に穴を穿って突き立った。幽香さんは、頭を掻きむしりながら、ボクへ殺意の籠った視線を投げている。綺麗な顔をぐしゃぐしゃに崩して、怒鳴り散らすように。
相思相愛なんて、廃油みたいな感情は、要らない!べたべたとしつこくて匂う、混じれば容易に濁り、バランスを誤ればこぼれ、使い道もないのに危険物、一生気を遣いながら扱わなきゃいけないのに、時が経つほど劣化する。こんな恋愛感情化合物なんて、要らない!
これだ。これがこの人の、弱さなんだ。人は馬鹿だというのだろう。臆病でコミュ障で、言い訳と逃避だと笑うのだろう。でも、こんな風に他人を拒絶するほどの、悪意と見間違えるほどの好意を、狂気によってではなく理性によって運用できる人が、どれほどいる?こんなにも純粋で透明で、硝子細工みたいな強さにボクは、どうしようもなく惹かれてしまうのだ。
両想いを美化して腰をくねらせている女どもに吐き気がする。好きな女と一緒になったと鼻の下を伸ばしている男の下劣さったらない。どうせそんな奴らは、自分の気持ちを毎日一つずつ折りながら、相手の好意に殺されて自分を変えていくの。好きな相手に自分が都合よく殺されるのが、どうして気持ちのいいことなの?相手を殺しておきながら生きる約束をする、そんな行き止まりの関係を美しいものと嘯く奴らの恋愛信仰には、もううんざりなのよ!自分の感情をソリッドに保つ勇気がないから、相手と共有して重さを半分ずつにしようなんてね、笑止だわ。自分の気持ちさえ自分で担保できない奴が、笑わせる
だから、幽香さんにとっては、ボクからのどんな感情でさえ、汚染でしかないのだ。その内容如何に関らず、遠ざける。あらゆる感情汚染を避け、自分の感情を箱にしまったまま純化させていく。それが幽香さんの自己愛の形だ。ボクはそれを、美しいと思う。
私の気持ちは、私のものよ。他人の干渉など
でも、幽香さんはきっとわかっているんだ。そんな純化が叶う事は無いということも。
……その通りよ。あんたの存在は、もう今更隠す必要はないだろうけど、私にとっての猛毒だった。あんただけが、私を汚して濁らせることが出来る、たった一人の存在だった。私を不幸にできる唯一の相手が、あんただった。その甘い毒瓶の蓋を開けて、今私に振りかけている。
こんなにも窒息な好意を、ずっと続けられるこの人は一体どんな精神力の持ち主なのだろうか。肉体的な強さは、幻想郷では言わずもがな。病室の中にいた誰かに比べてもはや比較になるまい。でもそんなフィジカルの強さはカムフラージュなのだ。真髄は、この踏みしめられた氷の道の様な好意の道程を、ただ一歩一歩と進むその精神力。
それでもボクは、その感情を温めて溶かし、焦点を合わせて誰かに抱かせ、像を結ぶ形を持った感情として誰か(ボクかも知れない)の腕の中に収めて汚染することで致命的に破壊するための役として、ここに生きているのだ。
それを、幽香さんの奥底が望んでいるのなら。この感情があなたを中毒死させる有害化合物であったとしても、ボクは、あなたのことが好きです。大好きです。でも、あなたが強くなくったって、ボクはそれでも構わないんです。あなたは、弱い人だ。ボクはもっと弱いけど、あなただって強い人ではないでしょう?それでも、いいじゃないですか。肉体的な強さの追求なんて
だって幽香さん、そんな風にひたすらに長い時間をかけて一人で感情を研ぎ澄ませていくことは、強靭な自己愛を持っていなければできないことです。それは、何物にも代えがたい心の強さの象徴なんだから。
自己愛を弱さだという奴なんか、笑ってやればいい。あなたの強さはその決して揺るがない自己愛で、ボクはそれにまみれてぐちゃぐちゃになりたいと願った、ボクこそが弱い虫なんだ。
それでも、ボクはこれを破壊しなければいけない。それがボクに与えられた配役なのだから。
ああそれね。よく知っているわ、そういう安いヒロイズム。でも生憎間に合ってる。私は誰かに受け入れて欲しいのじゃないから。誰の許容も誰の許可も誰の認知も誰の承認も、私は欲していない。リグル、あんたのものであっても。強くなくたって構わないとは思っている、でも、弱くていいとは思えない。私は約束したの。強くなるって。そのためにありとあらゆる手段を講じて、この意志以外のなにもかもを代謝してしまった今でも、そのシナリオを続けている。あんたとちがって、私は!
幽香さんは、傘を拾い上げてボクを見下し、唾を吐きかけて言う。胸の中では幽香さん自身の願う幽香さんの強さについて肯定するものだが、口に出来る言葉はその真逆だった。
それが、ボクが幽香さんの肉奴隷になるか、もしくはもう一つ望まれた在り方だと、知っているから。
でももう、遅いです。幽香さん、あなたはボクを傍に置き、剰え一瞬でもボクを求めてしまって、ボク自身もそれを受け入れた。ボクは幽香さんを好きになってしまったし、幽香さんはその心中をボクに知られた。ボクにとっては望むべくもない理想の展開だけど、あなたにとっては
……ゲームオーバー。最後のナイフが動いてしまった。猛毒は私の胸に滴った。またやり直しだわ。あんたは、私に、何度やり直させれば気が済むの?入って来ないでよ、私の、中に、その異物を持って私の中に入り込んで来ないで。私は、あと何回、あんたに殺されればいいのよ。私のプレイングミス?
自嘲するように鼻で自身の言葉を笑い伏す。
感情の純潔をまもり、それが出来なければ壊すか死ぬか、この人はいったい何度こうして来たのだろうか。これからも続けるのだろうか。
求めてしまった。そうね。私はあんたに、求めてしまった。愛欲の見返りを愛情で求めて、ああ、浅はかだわ。そしてそこからひびが入って、こうして終わりを迎えた。異物を受け入れたこの感情は、このまま濁って腐っていくだけ。せっかく、約束通り強くなれたのに。
殺意と落胆を隠せない幽香さんだが、その眼は、光を乱反射している。
私は、もっと強くならなければいけない。あんたを好きで、あんたを求めないくらいには。ねえ、出クン
……そんな人、ボクは知りません
その名を、誰か知らない人のものだと告げても全く気にしない幽香さん。私が知っているのだからボクなどどうでもいいと言うように。幽香さんは指を一つ鳴らした。
店の中を壁も天井もなく鬱蒼と埋め尽くしていた赤詰草の一切が、萎れて枯れて、茶色く変質して崩れる。壊死した赤詰草の残骸が灰の様に消え、残ったのは一輪の花。それは確かに一輪に違いないが、夥しい数の葉を持っている。前に見た、n倍枚葉のクローバーだ。何度見ても、大小バラバラの葉を中央部分からぞわぞわと生やし、だが線が細く脆い外見は、歪で正直気持ちが悪い。こんなものを。
見て。キミがつくろうとしていたもの、私がつくれるようになった。キミが望んでいたものを、この手で産み出せるように、私は強くなった。
その葉の中央から、ひゅるりと細々とした茎がひときわ高く頭をもたげて伸び、蕾を孕んで開花した。花開いた白詰草は、真っ青な花弁をぼんぼりにまとっている。さめざめと冷たいほどに青い色をしたそれは、自ら光を放っているかと思う程に、単身周囲の風景から浮き上がって安っぽい合成写真を思わせる程。幽香さんはそれを摘み取って掌の上に乗せると、元々まるまるな形を成すよう沢山茂らせている白詰草の花弁が、一本一本がまるで暴走するように長く伸びて幽香さんの掌からしなだれて落ちる。真っ青な流れが掌に沸いて零れているような光景だが、その掌の上に残ったのは、種だった。
幽香さん、その花
覚えているのね?
その花には見覚えがある。あの時のものとは形は少し違ったかもしれない、向日葵の近縁だったあの花、そして今目の前にあるのはマメ科白詰草の、でも青い花。出来上がる実も種も形は違う。でも、きっと同じ質のものだ。だがそれを覚えていようがいまいが、ボクには関係のないことだ。それに、本当ならば幽香さんにだって。
もう、終わらせるわ。失敗した時の幕引きは、決まっているの。あんたも覚えてるでしょ?このシナリオは、何も私一人だけが壇上にいる者ではないわ。舞台装置としてのリグルもいるし、機械の神様としての歌姫も、抜かりなく招いてあるのだから
それって……
幽香さんはその種をしまう。
博麗が、異変認定したようじゃない
まさか
特定の地域で特定の高さの音が失われる、という怪異が発生している。これを、博麗が異変認定したということは、恐らくまだ高位の存在のみに知らされていることだろう。それも、筋書だというのだろうか。異変として認めるにはあまりにも些細で実害のないことだ。幻想郷ではこうした些細な怪異はいくらでも起こる。些細なものでも長く続けき解決を見ない場合は異変として解決されることもあろうけど、この怪異は実害が薄い上に先週あたりに発覚したばかりだ、性急すぎる。
紫太妃が……
いいえ、これはきっと霊夢の思惑だわ。あいつ、本当に余計なこと
憎々し気な口調とは裏腹に、幽香さんの表情にその色は薄い。実際のところ、幽香さんが他人に向けて強い感情を向けることは非常に稀なのだ。何にも興味が薄いよう見えたり人情に欠くように思われたりするのは、その感情を他人に対して表現することを億劫に思っているからに過ぎない。内面ではきっともっといろいろに感じていて、人並みか、それかもっとそれ以上に感じているのだろうと、ボクは思っている。幽香さんの内面などボクにははかり知ることは出来ないけれど、今回のことで、少し、その自信が持てた。
だから、幽香さんと当代博麗の霊夢さんの間にあるうっすらと見える線について、少し羨ましいと思うところもあった。
それは話が別です
そうかも知れないわね。でも、そうなのかちがうのか、決めるのは、あんたの気持ち一つだわ。博麗は第三者の視点から、異変という客観事実を与えて正当化し、合理的で誰もが納得する形でそれを解決する。誰も文句は言わないし、誰から見ても望ましい結果でしょう。でも、それは当事者が望んだ解決法なのかしら。あなたにとっては、あの夜雀の選択は、理由も弁解の余地もなく誤りなのだと?
霊夢さんが、幽香さんの思惑を理解しているとは思えなかったし、察してはいるのだろうけれど、ボクと幽香さん、それにローリー、ルーミィ、チーの足元から伸びて繋がる外の園での出来事について理解しているとも思えない。博麗は、この出来事に対して、他人の顔で介入して他人のまま解決することが出来る唯一の破壊者だった。
外に出力された自分の感情が招く結果なんて、こんなものよ。正しく伝わる筈もないし、伝わったところで望ましい結果は招かない。だったら、一人で抱えている方が、何倍も理想だわ
そんなのは……間違ってます
わからない奴ね。間違っているのか間違っていないのか、それを決めるのは、私と、それにあんた自身だと言っているの。あんたがこの件を博麗に適当に心地のいい形で解決されてしまうのをよしとするなら、そこで見てなさい。
博麗が異変を解決する方法は、2パターンある。ひとつは、対話が可能な場合には力づくで話を聞かせる。もうひとつは、対話が不可能な場合には力づくで浄滅する。前者はその異変が能動的に引き起こされている場合に、異変を能動的に引き起こしている者に対して適用される。首魁の力が大きく聞き分けがいい場合にしか適合しない。スカーレット卿や比州藤原氏(実質的には亡命月人を含む蓬莱人自治区)などがそれにあたる。いずれも、結果的に博麗に帰属した後は領地を抱えるようになる支配階級の力の持ち主だ。そして後者はそうではないもの、つまり大して力が強くない存在が起こしてしまった異変がすべてこれに当たる。前者が生き残され支配体系に組み込まれるのは、利用するに値する力を持っているという性質を別にする優先度が働くためでしかなく、基本的にそうした利用価値がないものは、民衆や他の妖怪たちへの示しの面からも博麗の抑止力を利かせる面からも、浄滅してしまうのが基本方針となっている。
元辺境伯とはいえ、既に風見辺境伯へ権限移譲している(外交的には多重封建的な扱いとなる)ため、ボク達4人は今は雑魚扱いである。仮にローリーが、話を聞き分けるくらいの理性を残して異変化していたとしても、博麗は、浄滅を解決策に選択するだろう。
Furure">ゲームオーバーなりの幕引きを、私は納得いく形にする
幽香さんは、ボクに、ゲームオーバーをもたらした僕に、後始末の自己満足を手伝うように言っているのだ。それも、ボクがローリーを浄滅させることを容認する筈がないとわかっていて、断れないのを前提に。
もしかしたら、幽香さんとローリーの間にあった確執―これは、白衣の女性と少女型アンドロイドの不和を引き継いでいるのかもしれない―考えると、幽香さんは単に博麗の手で浄滅させるのではなく、自分の手で引き裂いて殺すことを目的に言っているのかもしれない。それだけは、止めたかった。
ボクは博麗には勝てない。でも……もしかしたら幽香さんを止めることは、出来るかもしれない。
自惚れかもしれない、でも、どこかで確信があった。
もしボクが、ここに来なかったら、一人でローリーを?
さあ
博麗が異変認定していなければ
知らないわよ。IFなんて、興味がないの。そうなったことに対応するか、そうならないように手段を講じるか、どっちかだけだわ。それがあんたたち雑魚妖怪との違いよ
そうなんだろう。当たり前のことを言っているだけなのに、そこに含まれる
後悔をしない
……かっこつけすぎたわ。もう一つある
え?
やり直すか、よ
それも、力の大きな存在にしか許されない選択肢であることに変わりはない。でも、大きく異なる点は、やんごとなきひとたち、の間でそれは『優雅でない』という理由で、品位を疑われるほどにさ蔑まれることだった。
選択の余地なんて、ないんですよね
端的に言えば、そのつもりで言っているわ。あんたに、博麗と私とあの夜雀全てを止める力があるというのなら、その限りではないけど
残念ながら、と拳を握り締める。確かに、誰よりも何よりも強ければ、自分の主張を通すことが出来る。たとえ腕づくでなかったとしても、実行力は責任なのだ。自らの手で実行できない主張など、責任の伴わない赤子の泣き声と変わらない、幽香さんはそう言いたいのだろう。
博麗のところに
ええ、面倒だけれど必要な手続きもある
その前に一つだけ、言っておきたいことが
幽香さんは何も言わない。ただ黙っているのはでも、続けなさいの意味だということを知っている。拒否するときにだけは余さず明確に返事をするが、返事をしなかったりぼやかすときは肯定だというのは、幽香さんの特徴だった。
ボクは、なんとかっていう、植物を改造して悦に浸っていた気持ちの悪い男の人の事なんか知りません。そんな人に想いを寄せていた女性の事も、その二人の間に小さい頃にどんな思い出があったのか、あるいは既にその二人がすでに過去の誰かの亡霊だったのかも、そんなことは知りません。
全く、誰かが言っていたことと同じ科白だった。人がどんな感情を抱こうとも、頭の中と頭の中は繋がる事が無い。だったら、どんなに素敵な感情を抱いても、どんなにひどい感情を抱いても、どんなに理解し合っている人同士でもどんなに仲の悪い人同士でも、究極的には自分のことを守る以外に方法なんてないのだ。幽香さんは、それを実践してしまっている。その強烈な諦観と自己愛が、ボクには、いろんなものを通り越して愛しかった。蟲っていうのは、すごくたくさんの個体を一つの存在としてみなさないと存在が危ぶまれるほど弱弱しいものだ。そういう個としての自己愛の在り方は、エキゾチックであり、憧れでもある。
でもきっと、そういう二人は、どんなに求めあっていても隣合わさっていても、重なり合う事は無いのだろう。それが、幽香さんがボクを
私を不幸にできるのはあんただけ
さっきからそう言ってるじゃない。あんたには関係のないことだわ。
ええ。だから、ボクは、そんなのに関係がなく、幽香さんのことが、好きです。幽香さんみたいに昔の誰かの幻影を追っかけて、ボクじゃない誰かを好きになっているのとは、全然違います。……幽香さん風に言えば、ボクの感情は、ボクのものですから。ボクの感情が外に向いていることも、ボク次第です
……あっそ
そう言って幽香さんの顔を見ると、その瞬間に、幽香さんの表情が変化するのが分かった。その変化の意味までは、わからないけど。
ボクが博麗にケツを叩かれてやってきた結果と博麗がローリーのことを異変認定していることで、こんな形でも幽香さんはきっと別の一歩を踏み出したのだと信じたい。結局ボクにせよ、幽香さんにせよ、博麗のすることがきっかけで方向が変わったように見える。最終的に裏で糸引いてるのは、やっぱ博麗なのかな……。
異変解決の委任を受けに行くわ。弾幕協議になる可能性があるから、それなりの準備をなさい
……風見夢幻伯の御意に
これは幽香さんにとって、想定通りではあるが望む結果ではないことは明らかだ。そのための行動に引き締めるのも、きっといい気分ではないだろう。それでも、最悪の結果、ではないのじゃないか。だから、幽香さんは渋々かもしれないけどボクを巻き込んで、『今回』ばかりは濁った感情に決着を付けに行くことにしたのかもしれない。
そんな不本意ではないだろう行動の前、少し不機嫌そうな色を残してでも、引き締まった表情を見せる幽香さん。もしかして、陰謀というのは悪い結果を招くものばかりではないのかもしれないな、と幽香さんの横顔を見ながら、思った。
そして、やっぱり、すきだな、と思った。好きだけど、つながらないのだろうな。
好き、の感情を、言葉の通りに模ってしまう。そうしてできあがる、予め形を決められた感情。幽香さんを傍で見ていたボクの中では、一つの言葉で示される感情は、何もそうした定型を持っているわけではないことを、どことなく感じていたのかもしれない。
幽香さんに向けられた感情の名前と、ローリーに向けられた感情の名前は、同じだった。でも、形は違う。全然違う。だから、こんなことになってしまったんだ。一つの感情の名前が導く一つの結果。でも感情の名前を一つに絞ることはばかばかしいのだ。ボクとローリーが、ボクと幽香さんが、チーが、ルーミィが、雲月出と梨来優花が、一つの名前を持った感情を抱いていたからたった一つの結果に落ち着くと、そんなはずはない。名前を与えて感情を愛でることは、感情そのものに対して酷く愚弄であって、自分自身を量産型に卑下する行為に違いないのだ。
ローリー
ぽつり、とその名が口をついた。それ自体にもう後ろめたさを感じる事は無くなっていたけれど、それを口にしたボクをちらりと見る幽香さんの表情を、読み取るには、もう少し、ボクは強くならないといけない様だった。
邪魔!
けたたましい叫び声が滝の下の方から響いてきた。この声は、博麗霊夢、それと一方後ろをついてくるのは八雲紫。山を守護する守矢の手下を札と幣帛で払いながら、滝を登ってくる。天狗のパトロールが警告を発するもそれを突っぱね、ぐんぐんと上昇する。それもそうだ、相手が八雲紫と知れれば、普通なら平伏して道を譲る。そうでないのは、外で同等の地位を築いていた歴史を持つ者の眷族だけだ。
だが別に妖怪の山にも守矢にも、この二人は用はない。ただ通り道だというだけだった。然るに、天狗達にとっては、ただのとばっちりである。博麗の異変解決活動とはいつもこのようなものだった。通った後に無傷の妖怪はもはや残らぬ。
さて滝の上には、天狗や山神の類がそうであるように、二人の前に立ちはだかる者が、二者一対。風見幽香と、リグル・ナイトバグだった。
あら、仲直りしたの、幽香ちゃん
お生憎様、喧嘩なんかしてないわよ
え、それマジでゆってるんですか幽香さん
全くスピードを衰えさせぬまま、そのスピードに見合わぬ安穏とした科白を口にする八雲紫。だが。
私達はここで紅葉狩り中。避けて通るのは、そちらの方だわ
同じく涼しい科白で返す風見夢幻伯。
ふ、と不敵に笑いながら近づいてくる博麗の懐には大量の札、それに針。後ろの八雲も直ぐに手出しを出来る態勢であることは明白だった。
夢幻伯、博麗が立ち塞がる者には容赦しないこと、知ってるでしょう?
魔理沙に当てられ過ぎね。少し猪突猛進過ぎやしないかしら
「まあ、アイツのそういうところ、嫌いじゃないからね。でもこないだの件で懲りたんじゃない?……どかないなら、『そういうつもり』なのよね?」どくつもりはないわ。この消音異変、私達に解決させてもらえない?
……はっ?
流石に博麗もその申し入れには驚きを隠せない様だった。
それでわざわざ私達の進行ルートのど真ん中で紅葉狩りをしていたというのね、紅葉なんていつでも見られるあんたがすすんでするわけがないもの
そんなことはないけど
でももう遅い。この件は、神宣として、異変認定された。妖怪共には黙っていてもらう……この件は幽香の思惑も、事の真相も、もう関係がないの。ただきれいさっぱり解決されるべき異変として認定された
どうしても、駄目かしら
ゆっくりと、博麗の巫女に向き直る風見幽香。だめかと問うている言葉尻とは裏腹に、もう臨戦態勢のオーラが漂っていた。
博麗の巫女は右手にホーミングアミュレットや妖怪バスターらしき札、左手に封魔針を構える。八雲紫は扇子で口を隠したまま、流し目の様に横に立つ自らの従者を見やる。
まかせても?
当然。どうせ働く気はないんでしょ?
そんなことないわよぅ。私は霊夢の美しい神楽舞を見ていたいだけ。
同じ意味じゃない
お互いに引かないというのなら、弾幕協議で決めなさいな
もとよりそのつもりよ
道中一度も妖怪モードにバトンタッチしてくれなかった八雲紫に、博麗の巫女は既に諦めを抱いている。同時に、戦闘行為前の宗教的高揚に入りつつある巫女は、普段よりも幾許か……いや、かなり、好戦的だ。
どきなさい、妖怪風情。封印されたいの?それとも浄化して欲しい?どっちもいやならどくべきよ。って、もう遅いけれどね
相手を選んで言うことね。私の様な妖怪風情相手に、そういう科白は
飛来する博麗を迎えるように、花妖も傘を開いて存在を誇示する。何事か、呪文の様なものを口にする風見幽香。
いなていきはえたこら
しかいいもてっいてっもどけだ
のいたきいてりかをちたこのこ
だいあのしこす
風見幽香が声ではないような声、言葉ではないような言葉で呪文を唱えると、その高さに合わせるように魔界から召喚された獰猛な食肉草花が無数に丈を伸ばした。美しいその姿からは想像も出来ない獰猛な性格のそれらは、自ら肉を捕食する運動性を持ちながら、致死性の瘴気と種子の弾幕を撒き散らし、霊夢を邀撃する。幽香は更に花びらを模した持続性の高い弾幕に通常弾を重ねて展開。自身も傘に霊力を纏わせて細剣となし、それを構える。一瞬にして博麗の巫女の逃げ場がなくなった。
ちょっ、いきなり本気出しすぎじゃない?
カッコつけたくなるタイミングって、あるでしょう?
紅葉狩りじゃなくてデートの最中だったってわけね。こりゃあタイミングが悪かったわ
避けて通る?
愚問だわ。今更退けない!
巫女は食肉草花に向けて封魔針を放つ。針の突き刺さった花はみるみる萎れて機能を失うが、それを嘲笑う様に次から次へと新しく生えてくる。地面に向けて常置陣を敷き、発芽を抑制するがそれも限界があった。
そうしている間に花妖のフラワーショットが行動を妨害する。
巫女はそれを、回避し、バスターで相殺し、追い詰められるのを防ぎながら、ホーミングアミュレットを敵に向けて放った。何枚かに一枚、拡散アミュレットを仕込んであり、一度に数十数百という数に分散するそれは不定期に撒き散らされて風見幽香に防御行動を取らせた。自律攻撃を続ける食肉草花は仕方がないが、拡散アミュレットに対峙したその一瞬だけは花妖の攻撃の手が休む。霊夢さん、これはボク等の問題なんです。ボク等に、やらせて下さい
「異変認定された以上、もう博麗の仕事よ。妖怪同士の勝手な決闘は許可していない。幽香、あれをいいだけ放置しておいて、仕方が無いから私達が来たら『だまってろ』ですって?虫がよすぎるわ」問答無用の様子の巫女を前に、花妖は細剣化した傘を構える。フラワーショットの手が休まったその一瞬を、霊夢は見逃さなかった。博麗には、もう夢幻伯の科白を聞くつもりなど、あまりない。一気に距離を詰め、八方鬼縛陣を準備する。
……罪登云布罪波在良自登
祓給比清給布事乎
天都神國都神八百萬神等
共爾聞食世登白須……
起動マクロによって、人の耳には正確に聞こえぬほどの高速詠唱を執行する博麗の符。草花とフラワーショットの残り香の間を、博麗霊夢はスピードを殺さぬまま縫うように進んで風見へ近づく。八方鬼縛陣の符を配置できる射程まで後少しというところで。
接近戦、あなた、苦手でしょう?
なっ
巫女が目標としていた位置に目標は既になく、代わりにその姿は目の前にあった。
れ、烈!
風見が向こうから近づいてくることは想定の一つだった。だが瞬間移動をも思わせる予想外の速度に対処できず、巫女は後手を余儀なくされ、慌てて鬼縛陣を起動する羽目になった。
即時起動された八方鬼縛陣の範囲内に、浄化処理を予約された光が柱状に立ち上る。
散!
次いで、追加発動の号を掛ける巫女。鬼縛陣の中に立ち込める光を、粒状にして広範囲に撒き散らした。
ふうん、当たらないとわかったから花の払拭に切り替えたのね。
光の粒に触れた食肉草花は封魔針に刺されたように萎れてゆく。その範囲は霊夢の周りだけでなく、滝や高台全体を覆い尽くす程。光の粒は降り積もり、新しい草の発芽を気にならない程度まで抑制した。
……もう花は出てこない
まあ、こまったわぁ
霊夢は虎の子を目的の方法に使えずに歯噛みしながら、再び大量の札と針を取り出して戦闘を続行する。
あら、その装備でいいの?
何?
だから
再び瞬間移動に等しい速度で、100メートルほどにもなる距離を、瞬きの間に詰める。気が付いたときには、再び風見伯の顔は、博麗にキスも出来そうなほどに近い位置にあった。
いきなりこの距離で、その装備は意味があるのかしら?ってことよ。そこの日和見のような変わった能力はないけれど、純粋な身体能力や妖力は、アレより上よ。スピードだって別に出せないわけじゃないの
っく!
とっさに亜空穴を掘って距離を取る。それも追ってくるだろうことを予測して、巫女は幣帛に霊力を込めて打撃を受け止める姿勢をとる、が、風見はそれを追わなかった。
やめやめ。相手にならないわ。
ちょっと!まだこれかr
と、息を巻く巫女の鬢をまとめる紅い髪留めがはらりと落ちた。
!
「無理よ、『今の』あなたでは」霊力の刃を纏った傘が、博麗の顔のすぐ横を掠めて飛びぬけていた。傘はそれを通り過ぎたあたりで無数の花びらに解けて散り、主の手元に伸びた蔓の一本が、代わりの傘を結ぶ。
風見幽香は虫妖に向けて、もういくわよ、と目配せをするが、しかし一方の博麗霊夢は腹の虫が治まらない様子。
調子に乗るのもいい加減にした方がいいわよ。
巫女装束の袖、胸の合わせ、うなじの隙間、袴の裾からおびただしい数の札が噴出し、一帯を覆った。巫女と、それに花妖と虫妖を囲い込むように、球体に面を形成する。回転しながら分布するそれら一枚一枚には、高位の妖怪でも触れるとただでは済まない強力な浄化祝詞と、それら一枚一枚が連携するためのモジュールが書き込んである。
あらら。これは、本気ね。使う相手が違うんじゃない?
花蟲ともども仲良く、しばらく大人しくしていなさい。
さすがに龍殺陣は勘弁願いたいわね
傘を剣に変化させ、構えて博麗へ切りかかる風見。発動前に押さえ込むつもりだった、が。
巫女はしっかりと幣帛でそれを受け止める。身を翻してもう一撃、今度は突きを加えると、刃の通った巫女の体は札の塊となって散り、その札が敵めがけて飛散する。それをグレイズし、霊力を圧装した拳で払いながら、現れた真の博麗へと更に距離を詰める風見。巫女は敵の行動を警醒陣や常置陣で制限しながら、斬撃を、蹴りを、拳を、幣帛で受け止め、紙一重で回避し、刹那亜空穴で受け流す。
これ設置中に動けないって聞いていたんだけど
誰から聞いたのか知らないけど、取材不足ね。大方、人のスペルを模倣するのが大好きなヤツじゃないかと思うけど。
不敵に笑う巫女。
この範囲内ではどんな手を打ってもそれは中近距離限定。そうとわかっていれば、持ちこたえるくらい出来るわ。そして私は、発動まで持ちこたえるだけでいい。どうするかしら?
言葉通り、幣帛を構えてはいるものの、博麗の巫女は全く仕掛けない。八方龍殺陣が発動すれば終了、発動するまで持ちこたえれば決着というわけだ。
ふ、知れたこと。
幽香は傘の刃化を解除して距離を取り、傘の先端を巫女の方へまっすぐ向ける。そして、その先端に妖力が集中し始めた。
その誰かさんの得意技、模倣元は誰のものだったのか、忘れてはいないわよね?
ええ、勿論
いいかしら?札も幣帛も結界もあなたも、まとめて飲み込んであげる。本家は、一味も二味も違うわよ?
チャージなどさせるものか!
巫女は妖力凝集中の花妖めがけて突進する。発射前にダブルキャストで陰陽鬼神玉をぶち込もうという魂胆だ。
八方龍殺陣も術者のコントロールを離れて符の配置が変われば、失効してしまう。発射させないために巫女は動かざるを得なかった。が、その実、これを警戒して魔砲のチャージをキャンセルすれば、八方龍殺陣が先に発動する。当然チャージをキャンセルしなければ鬼神玉の餌食。博麗の必勝経路が見えた。
だが、花妖は悠々とチャージを続ける。表情は不敵に笑い、霊夢を見据えていた。
だから、相手にならないというのよ。あなたはもう一人の敵を忘れている。理想の位置取りよ?
な、に?
博麗霊夢が風見幽香へ向かうことで、三者の位置取りは、リグル・ナイトバグと風見幽香が博麗霊夢をL字に結ぶものとなっていた。
前後での挟撃は互いに被弾の可能性がある上、左右軸ずらしによる回避が容易で、さほどの効果はない。しかしL字配置されるとそれが出来ない。Z軸を使用するか、移動効率的に不利な傾斜角移動を強いられる。そしてリグル自体は殆ど動いていないが、花妖はZ軸の回避行動を常にカバーするようにL字に位置取っていた。
残念だけど、本命はあっち。リグル、発動なさい!
リグルをダブルスパークの媒体に?は。小虫程度、一瞬で潰して
巫女は一瞬注意を虫妖に向け
えっ、何?
それはぽかんと口を開けていた。
え
その一瞬で十分よね。ご苦労様、リグル
なっ
ぴちゅん……
目線が外れたの見てチャージキャンセルから縮地移動、打撃で余裕でした、と。スピード出せなくないって、言ったじゃない。前にもこれと似たようなことを、ちっちゃな妖精さんたちにしたことがあるのだけど、今の博麗ってそんな手にも引っかかっちゃうのね
八方龍殺陣の起動準備に舞っていた札が主の操作を失ってはらはらと舞い落ちる。地面に落ちた札は、初冬の雪がそうであるように、染み入るように溶けて消えた。それを見届けながら、風見幽香はゆったりと地面に降り立つ。魔界の草花も花妖が
もういいわよ
強力とはいえただの妖怪である風見が、魔界の産物を手懐けているように見えることに、幾許かの疑問を抱く博麗。
……ずるい
二人いることを覚悟で挑んできたのはあなたでしょう?
命名決闘法が執行されていた以上、どんな攻撃を食らっても霊力は消費するし多少の怪我は負うが重症を被ることはない。博麗の服は幽香の掌底を受けた胸の辺りに大きな穴を開け、サラシも破れていたが、それでもそのルールのおかげで、肉体へのダメージはほとんどない。
あーあ、霊夢。帰ったらまた稽古付けてあげる
ああああん、もう!言い返せない……ちくしょ
幽香ちゃんだけじゃない、紅魔の蝙蝠も、守矢の神も、とかく大物になればなるほど、大技なんて使わないのよ。滅多に動かないし、動いたとしても今みたいに最小の消費でケリをつける。変に消耗すると、その疲労を他からつけ入られて危険な時代が長かった、その名残ね
そんなことくらいわかってるわよう、と口を尖がらせている博麗の巫女だが、実際にやられてしまったとなれば強くも言えない。
人を怠け者みたいに言わないで頂戴
優れた生存戦略を褒めているのよ。いいわ、この件は一旦、風見夢幻伯に任せましょう。霊夢、いいわね?
協議の結果よ、NOを言える立場にないわ
話の分かる人で助かるわ
でも、ちょっとでも問題が深刻化しそうだったら、その時は私達がまた、お邪魔するわね。覚えておいてね
……博麗と八雲に楯突く意図あってのことではないわ。その御意のままに。リグル、行くわよ
は。世話が焼けるひとだこと
こっちは妬けるわ。霊夢にあんなに気を遣ってもらえるなんて
ぱんぱん、と手の汚れを払うような仕草で言う博麗と、その後ろで仕事をしなかったその祇主。
やっぱ連れてきたのがあんたでよかった。他の奴らだと話が面倒くなっちゃう
出戻り組は、少ないものね
二人とも、何かを思い出しているようだった。六霜は今年で17年だが、妖怪の間では妙な噂が立っている。当代の博麗は、践阼之礼以降ほとんど外見が変わっていないということだ。出戻り組、という言葉もよくわからない。が、それは二人の中では完結していることの様だった。ここでは深くは触れるまい。
帰りましょ、と八雲が促す。
疲れた
家帰ったらゆっくりなさいな
もーうごけない
が、博麗はその場にへたり込んで動こうとしない。全くただの駄々っ子のような様子の博麗。急な変貌だ。
呼吸をするのと同じように飛べる人が何を言っているの
やだ。
もう。子供みたいなこと言わないの
どーせわたしはまだこどもですよ
負けたのが悔しかったのはわかるけど。幽香ちゃんが博麗の体制下にいるのは、最初から力で組み込んだからじゃないのだから
ほら立ちちなさいな、と博麗に手を伸ばす八雲。巫女はその手を掴んだ。不意に、強い。驚いた八雲が博麗の顔を覗き込むと、巫女は暗い顔をしていた。弾幕ごっこに負けたときの様なそんな表情とは違う。
八雲は、巫女が何か言いたいのだと感じて、黙って待つことにした。袖をつかんだ博麗は、そうして俯いたまま長いこと黙っている。30秒か、1分か、あるいは3分程度経ったかもしれない。博麗霊夢はようやく、口を開いた。あいつら、
うん
あいつら、なんていうか、キマってたね。顔見たらわかる
そうね。
幽香、紅霧のときのレミィと、おんなじ顔してた。蟲のヤツも、メイドと同じ顔してた。
動きたくない、としゃがみ込んで八雲の袖に縋っていた博麗がようやく漏らした声は、不安と、それに多分の悲し気な色が混じっている。
よいしょっと、との声と共に、博麗の体が浮かび上がった。
それは霊夢が飛んだのではなく、八雲が、巫女を負ぶったからだった。
そうされると思っていなかったのか、少し慌てる巫女。だがすぐに体重を、誰よりも信頼して……思いを寄せている相手に預けた。
そうして背負われた博麗はその背中に頬をぺったりとくっつけて目を閉じる。世話の焼けるのはどっちなのよ、と小さく呟く八雲だが、表情は優しい。その背中で、博麗はぽつぽつと、少し弱弱し気な言葉を紡ぎ始めた。この世界は、あんな辛そうな奴らばっかりなのかな。やっぱり、やめた方が良かったのかな。
既に密着しているというのに、それでもまるで布団の中に潜り込んで逃げるときの様にその背中に額を押し付けている。そうされている八雲は、だがそれを一つも咎めることなく彼女に言葉を返した。この内容について答えを提示できるのは、自分だけなのだとわかっているからだ。
だからこそ、素敵な楽園の巫女が、水先案内をするのでしょう?あの子たちの間にあったことなんて、私達には知る由もないわ。でも、私達は全てを受け入れるのよ、それが残酷なことであってもね。そう決めたのじゃない。あなたが、まず最初に理解をしてあげないと。
八雲紫のいうことを、目を閉じたまま聞いていた博麗霊夢の皮膚に、わずかに凹凸が現れる、まるで鱗の様な。それは堅いものに肌を当てたまま寝ていた時の僅かな肌のカタの様に浮き上がったが、すぐに消えた。それが何の術か、呪か、魔法の影響であるかは知れないが、そうした後で、博麗霊夢は少し気が晴れたような声に戻っていた。
紫の、言う通りだわ。私が、しっかりしなくちゃね。もう少し、空から火の裁きを落とす女王の真似事でもしてやるか
そのちょうし。それに、霊夢が重いっていうのなら、半分はこうして私が持ってあげるから
背中に負ぶさる博麗霊夢は、八雲にしがみつく腕に少し力を入れる。化粧が付くのも気にせずに顔をべったりと背中に押し付けた。
もうちょっと持ってよ
願わくば、あの二人もまた、そとのそのにに焦がれるのを、もうやめられるように。
もう、と八雲は言うが、それ以上は何も続けなかった。飛んで帰ればいいものを、隙間を通っていけばあっという間であるものを、八雲はわざわざ自分の足で、博麗の巫女を負ぶって歩く。
ありがと
こんな場所、初めてきました
そう?
湖を、湖岸を伝うようにずうっと歩いていくと、古墳がある。古墳自体は珍しいものではないのだが、それを起点に右へ折れると、見たことのない奇妙な堀がある。木が鬱蒼と茂っていて上空からではわからなかったがこの堀の水は湖の水とは違う澄み方をしている、恐らく水脈が通っているものではないのだろう、全く別のうみなのらしい。
なんか、変な場所ですね。どこが、ってわけじゃないですが
植相が、不自然なのよ。この辺りは、洗いざらい植物の構成を交換したから
幽香さんが?
まあ、そうね
こんなことまでは憶えていないけど、きっとそうなんでしょ。と興味なさげに不自然な植相とやらの中を歩いていく。確かにこの一帯には虫達の存在感がない、よりついていない様だった。不自然な場所にでもすぐに適応する草木と蟲、小動物たち。でも、ここでこの停止したかのような時間とほこり一つも沈殿し尽くしているような空気の中では、植物しか適応を試みていないように思えた。さく、さく、と草を踏みしめるたびに、人の足どころか獣や虫達も立ち入っていないのらしい、ここはふわふわと柔らかい土になっていて、クッションの上の様で足を取られそうになる。水をよく吸う土壌のように思えたが、件の堀の水を招いて湿地になったりはしていないらしい。明らかに人の手が入った土地の様相を呈している。
そのまま奥へ進むと、奇妙な建造物が姿を現した。妙に角ばった作り、硝子でも宝石でもない不思議な透明の素材。金属をこんなにふんだんに使う建築は、幻想郷の現行建造物ではない。さっきの幽香さんのお店がそうだったように、もさもさと蔦性の植物が繁茂している。ガラスらしいものも所々に残っていた。割れた窓らしいガラスのひび割れと穴からは、その崩壊を丸ごと抱擁するように草が顔を出している。石に似た色合いだが粘土の様に形成した形跡のある素材には、土がかぶり土には根が下り、大きく育った樹木はその石とも粘土ともつかない素材を、まるで母が腹を膨らませているかのように包み込んでいる。
一見して、植物という自然体が、朽ち果てた人工物を刷新してしまう征服のようにも見えるが、こうしてよく目を凝らせば人工物と自然体、過去に留まったままの時間と現在動き続けている時間、崩壊と創造、死と生の両者が不思議な調和を見せていることが分かる。崩壊して死んでしまった人工物は、時間に見放されて停止しているのではない。それらもまた、形を変えただけで、樹木や草木に抱かれながらも、それらを独特の景観へ形作っている。老朽というものが成長し、崩壊というものが作り上げられ、死は生まれている。ここでは、過去と現在、停滞と変遷、崩壊と創造、自然と人工、それに、生と死が、融和的に折り重なって絡み合い、共存していた。
こんな場所を他にも知っている。博麗神社だ。
年に一度だけの大御神楽の夜、夜明け前の拝殿がこうして、朝と夜、白と黒、生と死、今と昔にくっきりと色分けされる。二極化されていながらそれは不思議な調和を見せ、巫女の宗教的高揚が最高潮を迎えるこの瞬間が大御神楽のクライマックスのシーンになっている。ここは、そうしたものと似た雰囲気を持っていた。幽香さんに連れられる形でやって来たが、ここにローリーがいるのだろうか。いるとして、こんな場所で、何をしているのか。
古墳、ではないですね
憶えてるでしょ、これ
いえ、と答えそうになってから、それを飲み込んだ。言われてみれば、知っている気がする。これは、ボクがまだ蟲の妖怪になる前の記憶だ。ボクはここで……
行くわよ。私達は過去に囚われているけど、今ここに至ってはそんなことは大した問題ではないわ
地下……?
そうよ。わかっているじゃない。その先に何があるのかも、その顔はわかっているのかしら?
地下深くに続いた構造体である、ということは思い出せていたが、その先に何があるのかを知っているかと問われても肯定は出来なかった。ただ、酷く嫌な予感がするというだけだ。ローリーがいるという事ならば、その理由だって見当はつかない。
神殿、あるいは聖堂のような建物だった。堅牢なつくりは、この構造物が建築され打ち捨てられ忘れ去られてからも久しくこの姿を保っている。蔦性の植物が周囲を取り巻き蔦と葉でその色をほとんど覆い隠してしまっているが、壁そのものは白を基調にした潔癖感のある作りだったことがうかがえる。寺院の類だったのではないかと思えるのは、この潔癖なつくりからだった。色だけではない、形も、妙に角ばっているとは思っていたが直線と、頂点をそう多く持たない曲線によって構成されており、歪な形の線はほとんどが植物たちが作り出しているものだ。
床材壁材がひび割れ穴をあけた向こうから植物が顔を出して、まるで猫用の小扉のようにするすると通り抜けている。それ以外にも、まるでこの建物の素材そのものが土であるかのように直接これに根を下ろしてそこから生えている草もあった。
この人工物はきっと人間から見放され、その主人を植物や水、光、空気といった自然に切り替えたのだろう。植物に侵食されているように見えるが、そうではないのだ。この少し変わったレンガのような壁材は今でもところどころでぴかぴかと光沢さえ保っていて、そこには植物たちはその尊厳を損なわないかのように侵入していない。被造物と原風景が混然一体となって存在している不思議な空間だった。この匣で、降りるんですか?
残念ながら止まっているわ、階段で行くしかない
ボタンを押すと迎えに来る機械仕掛けの使い魔だと、なんとなく感じてはいたが、それは機能してないのらしい。それもそうか、もうこの構造物は打ち捨てられて久しいのだ、何らかの動力が必要な機械仕掛けの使い魔が機能を保っているわけがない。
零点動力増幅型の半永久駆動機械仕掛けの使い魔は、アリス・マーガトロイドという傀儡士を称する魔女(紅魔卿と同じく吸血鬼であるとの噂があるが本人ははぐらかしている。吸血鬼であることが公然となれば紅魔と何らかの政治的な調整を強いられることを嫌ってのことだとか)が生み出しているが、零点動力増幅によって得られるエネルギーがまだ小さいことからサイズも極々小さいものに留まっている。ましてこんな人を乗せるようなサイズの機械仕掛けの使い魔が、継続的にスタンバイ状態にあるはずがない。
ボクは何の気なしにそのボタンを押してみた。
ぽーん
えっ
あら、生きてたの
扉が開いた。見ると、ぽっかりと口を開けたその機械仕掛けの使い魔の上に並んだ目が一つだけ開いている。目は3、2、1、G、B1、B2、B3、今開かれている目にはGと書いてあった。なんて読むのかは知らない。
わあ
誰かが電源供給したのかしら。……誰がかは、知れているけれど
ここに他に来る誰かがいれば、ローリーしかいないのだと、言いたげな幽香さんの口調。
ともかく助かったわ、下まで足で降りるのなんて大変だもの
幽香さんは迷わず機械仕掛けの使い魔の口の中へ入っていく。正体を知っているからなのだろうけれど、ボクもこれが何なのかはなんとなく知っていながらもその閉塞空間に入ってしまうことを躊躇していた。これが、魔術的なトラップだったら一巻の終わりだ。
なにしてんの
あ、いえ
促されて乗り込んだ。左右から閉じられる口、なんだか蜻蛉や飛蝗の顎みたいだ。幽香さんは口の内側に並んだ小さなボタンの内B3と書かれたものを押す。その目だけが光って、使い魔が動きだした。
わ、あ
飛んでいてに降下するときみたい重力のかかりかが薄くなる不思議な感じ。ということはやっぱり地下に向かっているのだろう。
ぽーん
だがその感覚はすぐに終わってしまった。楽しくなってきたところなのに。
……楽しそうね
え、あ、や、機械仕掛けの使い魔に乗るのって初めてだったので
僕がそういうと、さっさと降りて行ってしまう。幽香さんは真剣な意味でここに来たし、ボクを連れてきたのもそれと同じだったのに、一瞬でも浮かれたような様子になったのを怒ってしまったかもしれない。
すみません
は?
浮かれてしまって……怒っちゃいました、か?
別に怒ってないわよ
本当だろうか……。
これからローリーと対面するのだとすると、幽香さんは気が立っているのかもしれない。ボクにとっては久しぶりの再会、もしあんなふうになっていたとしたって今のボクにとっては望んだ再開だが、幽香さんにとっては気分よく会える相手ではないのかもしれないのだ。すたすたと先に進んでしまう幽香さんを、ボクはかける言葉もなく付いていく。
B3、とは地下三階のことらしいことが、ところどころに見える階層を記した図からわかる。ボクは未だに人間語が読めないので、書いてあることの多くはよくわからないが、つまりはこの構造物は人間が作り出したものだということだ。ボクが人間だったときのことが、記憶の中でだんだんと泡が浮かんでぷつぷつと弾けるみたいに顔を出していた。
地下に潜ると、光源はなかった。ボクは元々夜行性だし夜目は利く方なのだけど、ここはどうにも見えない。触角の方に感覚を集中させると、僅かに空気の流れと音の反響、温度の違いが感じられるのでそれを頼りに歩く。最近は文明に浸かってしまってすぐに明かりを焚いていたからこんな風に暗所の行動は久しぶりだった。
そっか、あんたは見えるのね
あっ
ボクはともかく幽香さんは無理だった。
大丈夫よ、別に火なんか無くたって純粋魔力の摩擦光で、光は出せるから
ただの閉所でならともかく、地下でそういう乱暴な発光はやめてください!ボクが光を焚きますから!
指先を蛍に分離して、幾つか放つ。発光器を大きく、またペルオキシソーム中酸素量を意図的に増やして光量を増幅した特殊な鬼火蛍光で、実在の蟲ではなく離れていてもボクの体の一部である。どちらかというと使い魔に近い。通常の暗所なら20くらいまで放てばそこそこ見えるようになるものだが……
全っ然見えないんだけど
えっと、おかしいな……発光には成功しているんですけど、見えないですね……なんでだろ
共有された感覚からは、オキシルシフェリンの励起→基底化の完了継続報告(つまり発光中ステータス)が伝わってきているが、幽香さんが言う通り、辺りは全く闇に包まれたままだ。
不審に思って蛍の一匹を掌の上に招いて目を凝らしてみるが、それでも目からは全く発光を確認できない。蛍側からは発光成功の返却があるにも拘らず。これ、目の方が
そうね
ローリーの能力に、相手を鳥目にする、というのがある。ルーミィと協力すれば、光源視覚によって外部を認識している相手のほとんどを無力化できるもので、4人で縄張を守るときは大体そうやって相手を封じてチーとボクが刈り取るスタイルになっていた。この鳥目は、ローリーがここにいることの証明だ。多少光があるくらいじゃ全く見えるようにはならないだろう。
あの夜雀の仕業か。困ったわ、これじゃあ歩けない。やっぱり、魔力でこの鳥目トリックを吹き飛ばして
わーわーわー、それはですからそれはですね!
幽香さんの言う摩擦性魔名発光は、不安定な発光現象だ。空気中の何らかの粒子が魔名つまり魔力で無理やり励起状態になり、それが還元されるときの放出エネルギーが発光するもので、強力な魔力の滞留によって結果的に発生するだけの副次的な現象だ。発光するまでにどれくらいの魔力を空気中に滞留させればいいのかもその時の環境によってまちまちで分からないし、発光することによってどんな物質が生成されるのかも時に応じて全く分からない。光の色も光量も定まらない。つまり読書するのに光が欲しいからと蝋燭に火をつけるのではなくその辺の可燃物を適当に燃やして光を得るのと同じくらいの行為なのだ。通常の部屋の中の閉所程度であれば換気すればすぐに収まることだし、魔力がどうしても部屋から漏出するため滞留に上限がかかるので問題はないが、とかくこんな地下深くでは何が起こるかわかったものではない。
ぼ、ボクが、手を引きますから。うっすらなら、見えますし
そう?仮に爆発してしまえば、こんな異変手っ取り早く解決すると思ったのだけど
きっと本心ではないのだろうけれど、やりかねないと思うところもあったのでボクは慌てて触角を振り幽香さんの匂い(それは、すぐにわかる)を捕まえる。そっちのほうに手を伸ばして、幽香さんの手を掴んだ。
あら、本当に見えるのね、すごいわ
すごくはないですけど……
そんなことより、手に取った幽香さんの手の感触の方が、すごい。柔らかくて、やっぱり女の人の手だなって思う。チーやルーミィや、ローリーの手よりも指が長くて、すっと通った形をしている。三人の手はもちもちと柔らかい印象だけど、幽香さんの手はまるで目の細かい絹みたい。初めて抱かれたときにも思ったけれど、やっぱり、体そのものの作りが上等な芸術品の様だと思った。
早く行ってよ
えっ、あ、はい
幽香さんに促されるまで、手を握ったまま固まってしまっていた。慌てて歩き出す、が、どこに向かえばいいのかさっぱりだ。
あの、どっちに……
エレベータがすぐ傍にもう一つある筈だから、それを探して
はい
とはいえ。ここにあるだけの匂いと温度と、それに空気の流れだけでさっきの機械仕掛けの使い魔を探せというのはなかなか難しい。少しふらふらと歩いてみるが、それらしいものを探そうにも手掛かりが無さ過ぎた。それに、感覚を触角に集中しているつもりでも、どうしても、手の方に気が散ってしまって。
そ、そんなに得意ではないというか、何か目印は
光らないタイプのエレベーターか、そうねえ、機械の音とか
幽香さんの手を握る感触に、気が散漫になる。少し低めの体温、柔らかいという程ではないが、薄い感じのする肉感。許されるのなら、手を握った状態で指をすりすり動かしてもっと肌を感じたい。見えないだけに、その手の感触が生々しく感じられてしまって、どきどきする。
そんな風に、目的のものを探しきれることもなく、悪戯に幽香さんの手を握っているだけの時間が流れている内に、ふっと手を振り払われた。
あっ、ご、ごめんなさい、ボク
あああ、邪な感情を読み取られてしまったらしい、見えなくてもわかっちゃうくらい、わかりやすい状態になっていたのだろうか。幽香さんの匂いを探る、それはすぐに見つかったけれど……低い?屈んでいるような感じ。空気の流れも温感も、それを示している。
ボディブローでも来るのかと思って、身構えてしまっていたその時。
ん!?
突然、唇に感触。これは。
キス、されて、る
幽香さん、何を、と聞こうにも唇はふさがれていて、聞こえるのは二人の口が混じる水音と、息遣いの音だけ。見失っていた手は今はボクの頬を左右から挟むようにしていて、捕まえていた。
ん……
幽香さんの鼻から抜けてボクの耳元に届く、息遣いと、小さく呻くような声。舌が、ボクの歯を割る。急に何で?どうしてこんなところで?ボクへの好意は出力されるべきではないものではなかったの?疑問はいくつもあったけど、それでもボクには抵抗する理由までを探すことは出来なかった。口を開けて幽香さんの下を受け入れ、こちらからもそれを差し出す。肌はさほどでもないのに、幽香さんの口の中はとても熱かった。唇も、舌も、頬歯茎も唾液も、全部が信じられないくらい熱い。気付けば、幽香さんの鼻から抜け出てボクの唇付近にかかる吐息も、熱を帯びて湿っていた。
んっ、ん、ふぅっんっっちゅっ
あ、ふっ、ん、ゆ、か……さんっ
頬に添えられていた手が離れて、ボクの頭を掻き抱いている。後ろ髪をくしゃくしゃと混ぜるみたいに指を絡めてきて、もう片方の手は背中に回っていた。ボクもそうする。
幽香さんの体の方が一回りか二回りくらい大きくて、幽香さんは僕を抱くのに腕の長さを余してしまっているけれど、ボクからではそれは少し足りない。ボクの手は背中に精々届くくらいだったが、それでも強く抱き付きたくて、幽香さんのノースリーブベストの背中を掴んでしまう。ボクの手が届かないのに気付いたのか、幽香さんは体勢を直して口を離し、深くボクを抱いた。ボクは声を出してこのキスの真意を問おうとしたが、幽香さんの指が口の中に押し入ってきてそれを封じられる。
舐めなさい、そう言葉ではなく指先の動きで命じられて、ボクは幽香さんの背中にしっかりしがみついたまま、幽香さんのしなやかな指を舐める。先細った指先の形をなぞる。つるつるの爪の先は、完全に乾いてないのかな、少しだけエナメルの有機溶剤の風味が残っている。関節の折れ目に沿って舌をなぞると、幽香さんが小さく、でも甘い声を漏らす。ボクの口に指を入れた姿勢のまま幽香さんは頸玉にかじりついて、ボクの名を呼んだ。リグル。それだけでボクも頭の中が沸騰する。
指の腹を舌の先でなぞると、縦についた筋の形まで伝わってくる。ふにふにやわらかい感触に導かれて指の股にまで舌を伸ばすと、幽香さんが耳元で深い吐息をつく。甘いものが混じっている。それを噛み殺すみたいに、ボクの首筋に厚くて柔らかい湿った唇が押し付けられて、そのまま吸い付かれる。もっと強く吸ってほしい、そこから、ボクの体を幽香さんの中に吸い取ってしまって欲しい。それを示すように、幽香さんの指を吸う。吸い上げながら舌で指を撫でると、かくん、と幽香さんの体重がボクの方に投げ捨てられた。首筋から離れた幽香さんの口から吐かれている息は、荒くて細かい。
すごい、すごい興奮する。えっちな気分であることに変わりはないのだけど、それとは少し違って……幽香さんが、ボクを求めてきていることへの快感、優越感、この言葉を使っていいなら、支配した悦びに近い。それと同時に、ボクも、もっと幽香さんに支配されたくなっていた。今のボクなら、幽香さんのどんな命令だって、聞いてしまう。死ねと言われれば……本当に死んでしまうかもしれない。
幽香さんに抱き付くボクの腕は、二度と幽香さんを離したくないって強く絡みついていて、できることならこのまま両手を幽香さんの体に溶接してしまいたい。手だけじゃなくて、今くっついている体全体を、そのまま、熱い鉄で。大火傷したって構わない、そのまま二度と離れることが出来ないようにくっついてしまいたい。ボクみたいな雑魚妖怪にとっては幽香さんみたいな大妖怪とこんなことをするだけでも、既に火傷前提のことなのだから。
ボクの口から指が引き抜かれる。名残惜しい、ずっと、この甘い指を舐めていたい。幽香さんの指は粘膜ではないけれど、ボクの口の中は紛れも無く粘膜で、その柔らかくて湿った敏感な粘膜に幽香さんを感じ続けていたかったから。引き抜かれていく指に対して、唇を窄めて引き留めようとして、それでも出て行ってしまうそれに舌まで延ばして未練を訴える。もっと、口で、えっちしてたい。
ゆう、かさ
何の意味を持つのかわからない、ただその名前を呼んで万感を満たしたかった、名前を呼んでもらうだけで耳から溶けそうになったそのお返しをしたいと思った。呼ぶことで自分を更に胸の辺りから燃やしていくみたい。でもその名前を言い終える前に、また、唇が重ねられた。もう、今度は堪らない。キス、なんて生易しい粘膜接触では全然足りない。自分から舌を出して幽香さんを誘い、あんたに誘われるまでもないとそれを押しのけて入ってきた幽香さんの舌は、熱い唾液と粘膜。骨格を持たない柔らかでしなやかな筋肉の塊を、お互いの唾液の滑りに任せて絡み合わせる。
ボクも、それに幽香さんも、下品な鼻息を隠そうともしていなかった。そうやって熱烈に相手を求め、求められている様が互いの興奮を―自分の吐息でさえ自分の興奮を―高めていく。
もう、はやく、はやく、と、気を急いている。股間に溜まって来たものを早く放出したくて、ぱんつのなかでぎちぎちになってしまっているものを、ボクは無意識に小さくゆっくり腰を動かして刺激してしまう。ボクはまだ子供で、性欲を覚えたばっかりのガキで、セックスしたいというよりもただ、ただ、射精したいという欲求が走っていた。幽香さんを好きで、こうやってくっついて、すごくえっちなキスをして、大好きな人ともう一回交わりたいと思う欲求と、おなかの下にずっしりと蟠っている塊をおちんちんの先から吐き出したいという欲求は、似て非なるものだった。似て非なるものだが、それは切り離せないものだとも感じている。多分、どっちかが消えると両方消えてしまうと思う。幽香さんを好きだと思う感情は、幽香さんに向けて射精したいと思う性欲に過ぎないのか?そう思うと、この感情は、汚らしい。こんな感情を、知られたくない。ただ口から『すきだ』と言っていればこんな汚らわしい『好き』を知られなくて済むのだとしたら。
幽香さんにはおちんちんがない、射精欲なんかない筈だ。だから、ボクの『好き』とはきっと違うのだろう。百万が一幽香さんの『好き』の中に、女性器でのオーガズムを求めるものが連結していたとしても、ボクにはそれを理解するすべがない。女の子は男と違って『そういうもの』の起伏にムラがあるとも聞く。求める快感も違うとも聞く。ただ抱き付いているだけで満足だなんて言われたら、ボクはトイレでオナニーするしかないのかとも。
ただ男性器と女性器を交わらせて摩擦するだけの行為一つとっても理解が及ばない、これが日常生活一つ一つにまで広がれば、『すき』の言葉で丸められた、ありとあらゆるなにもかものことは、その些細な違いを牙にして襲いかかってくるのではないか。
好きなんかじゃなくて、セックスするだけの関係なら、多分すごく簡単なのに
好きだから面倒くさい。
好きだから辛い。 好きだから、弱い。なんだこの矛盾は。
ボクは幽香さんから唇を捥ぎ取って、その顔を見る。見えないけど。
幽香さん、ボク、ぼく
理解できないということが急に理解出来てしまったボクはそのことを口にしようと思った、のに、幽香さんはそれさえも赦さないと唇を重ね直してきた。唇から逃げて、追われて食い付かれて、また逃げて捕えられて、逃げて畳みかけられて、逃げても逃げても、幽香さんはボクの唇を離そうとしない。もう一回逃げようとした時には、唇に歯を立てられた。それは、好意を言葉に直すなと、違いを認識するなと、懇願されているみたいで。
ボクは諦めた。
それで、いいのかもしれない。だからただ、好きでもないのにセックスできる方が、幸せなのかもしれないと。
もう一度、舌を絡め合って唾液を混ぜ合った。どこか、悲しささえ感じるオーラル同士のセックス、頬に水滴を感じた。この距離ならボクからは幽香さんの表情を見ることは出来たが、それはしなかった。
偶に口が離れても、もう、お互いに言葉を発するのはやめていた。ただの息継ぎ、あるいは喘ぎ声を自他に聞かせて興奮を増すための性行為。そうしてお互いにただ性欲の凹凸が合致した契約を示すみたいなキスをしていると、幽香さんの手が、ボクの股間に触れる。ショートパンツの上から、すっかりおっきくなって上に向かって窮屈に背伸びしているソレの、裏側の指先で。面ではなくって、指先の点が3つ4つ、バラバラに動き回るようなむずがゆい感触。破裂寸前の風船みたいになってるボクのおちんちんは、それだけで堪らなくて堪らなくて、腰が前に出る。先端に力が走ってしまって、ぱんつのなかで押し付けられて苦しんでいるそれはそのままでは刺激に耐えることが出来ず、おしっこを我慢するみたいに力を入れてしまう。ぴくんぴくんと身を捩って跳ねるのを、そのまま包み込むようにされて、ボクはもう舌同士のセックスに気を回す余裕を失ってしまった。口の中は幽香さんの侵略を受け入れ、されるがままになる。口の端から溢れ出す唾液を抑えることが出来なくて、だらだら零れ始めた。
涎を垂らす唇をそれでも離してくれないままで上の口同士でセックスを続けながら、幽香さんの手はは器用にボクのショートパンツを下ろしてしまった、そのままぱんつもするりと下ろされる。
口を離して、幽香さんは「脱いで」と言った。もう悶えて言葉を紡ぐ余裕を失っていたボクはその間に何か言う言葉を選びきれなくなって、ただ従う。おちんちんにぐずぐずと溜まっているものと、頭の中でどろどろ蟠っているものと、同時に処理できるほどボクは性能がよくない。
裸になって剥き出されたボクのそれはぱんつの中で暴発こそしていなかったが、おねだりの涎をとめどなく漏らしていた。下げられたぱんつはじっとり濡れていて、ぱんつが下ろされた瞬間に、冷たい滴が太腿に跳ねる。幽香さんの手は涎を垂らすボクの棒を手で包んで、掌の真ん中にそのぬめりを受け止める。ぬるりとした感触が幽香さんの滑らかな肌の感触によって亀頭全体に広げられて、もうとうに臨界状態だったボクはそれだけで、あっという間に射精してしまう。
んあっ、あふぅっ!
ボクが、ちっとも男らしさの感じられない惨めに高い喘ぎ声を漏らして射精すると、幽香さんは耳元で、ボクの名前を呼んだ。
リグル
呼んだ。
リグルっ
何度も
リグル、リグル
何度も呼んだ。
りぐ、るぅっ
ボクを抱いたままの幽香さんの体は、脱げとぼくに言ったのと同じく裸の素肌で、びくっ、っと大きく跳ねて、そのまま弛緩した。全然気づかなかった。幽香さんは、ボクを手コキしながら、自分も手淫していたのだ。真っ暗闇で全然見えないけれど、射精後の倦怠感の中で、その後を追いかけるようにボクの名を呼んでいた幽香さんからは、女の人の強烈な匂いが、していた。
はっ、はっ、はっ
はあ、っ、く、はあっはあっ
ボクも、幽香さんも、絶頂を得た。でもボクはどうしても、まだ……。
ボクのは、まだ勃起したままだ。幽香さんの掌をべっとりと精液で汚したけれど、吐き出し足りない。満たされていない。
幽香さん、ボク、ま、だ……その、前したみたいに
それは、なし。だめ
幽香さんはボクに抱き付いたままだ。首根っこに鼻先を押し付けたまま。ボクも同じ。お互いに交差しない距離感で、声をかけあう。
あんたと、セックスは出来ない
なんで……この間は
こないだはこないだ。今は、もう……だめよ
今は。幽香さんはそう言った。今は。この間、押し倒すようにボクを抱いたときとは何が違うっていうのだろう。いや、わかっている。それはもう、ボクにもわかっている。
ボクが、好きって、伝えてしまったから。
ボクは理解してしまったのだ、ボクと幽香さんの『すき』に大きな違いがあるのではないかということを、それが幽香さんの言うことだとも。『すき』の言葉の持つ多義性と甘いイメージにほだされて、その言葉に甘えてその感情と意味を交換してしまうことへの恐怖を。
好きという言葉は誰の目にも同じだけど、この感情はきっと誰のものとも違う。こうやっていきなりボクに性行為を求めてきた幽香さんがボクに抱いている感情とも、きっと違うのだ。それでも、ボクは幽香さんが好きだ。好きだ。好きで好きで、たまらない。セックスだって、したい、汚らわしいのかもしれないけれど。幽香さんの望む感情じゃなかったとしても。でもそれは言葉の上では繋がっても、一方通行同士なのだ。
ボク、幽香さんと、幽香さんの事
リグル、やめなさい。やめて
ボク、幽香さんと、セックスしたいです。……好きだからじゃ、なく
ボクは、負けたのかもしれない。自分自身に。幽香さんに向けて『外に向けた感情としてあなたが好きだ』と言っておきながら、ボクはその感情を曲げてしまった。好きだからセックスしたいんじゃない。好きじゃなければ、きっと、もっと素直にセックスできる。いや、本当に好きでない必要はない、ただ、好きだと、伝えなければいい。自分だけが相手を心から求めていて、でも体だけのセックスをすることが出来れば、それが一番、救われているのではないか。
幽香さんを好きだからじゃなくて、ただ、ただ、射精したいんです!
言ってはいけない最後の一戦だったかもしれない、でも今のボクにはそれを抑えることは出来なかった。どうしても、どうしても幽香さんとセックスしたい。そのために、自分の感情を自分以外の手に触れないように奥の方に、これは宝石箱なんかじゃない、ただの牢獄に、押し込めて。
そうなんですよね、幽香さん。きっと、あなたも、こうなんてしまったんだ。ああ、ボクは伝染されたのだ。感情の純化を願う、自己愛と他己愛のはざまで苦しむ病気を。幽香さんのそれを理解しようとして、ボクもまた。だって、幽香さんを好きだと思ってその感情を遂げようとするなら、ボクもこうするしか、ないのだから。それに、今なら幽香さんの気持ちが、わかるから。
好きだからじゃないく……お願いします、射精、させてください……
覚悟を決めたばかりのボクは、絞り出すようにしかその言葉を言うことが出来なかった。でも、幽香さんはそれを全部聞き取ってくれた。ぎゅって、頭を抱き締めてくれる、これが、本当に僕のことを好きでない人がすることだとは、思いたくなかった。そのまま、幽香さんは
―いいわ。射精させてあげる。その汚らしい感情を、ここに存分に吐き出しなさい
鳥目トリックは解消されていない。ボクには幽香さんがどんな顔をしてボクにセックス許可を出したのか、わからなかった。この行為を、ローリーはどこかから見ているのだろうか……。
一時だけ、ボクら二人を盲目にしたのは、ボクらがそれを見ずに済むように、だったのだろうか。何も見えない。幾ら鬼火蛍光を放っても、やっぱり自分の姿も、幽香さんの姿も、幽かにしか見えなかった。そんな真っ暗な中、手探りで幽香さんの体を求め、指先に触れた滑らかな肌に掌を置く。
いつもはわずかにひやりと冷たさを感じるその肌が、今は熱くて、湿気を含んでいる。目を閉じてもいつでも瞼の裏に描き出せる真っ白な肌、艶めかしい曲線、それは今も目にすることは出来ないけれど、目の前に、ある。しかも、熱を帯びている。肌を重ねることを求めたのは、お互いにだ、ボクの妄想ではない。 この形は、間違っているのかもしれない。一度射精したにも拘らず、下の根を乾かす暇もなく脈打ってしまう。
さっき幽香さんの手が先端を包んだ感触、未だに鮮明に思い出せる。亀頭の先をぬるりと包んだそれは熱くって、少しひりひりする感触にむずむずの快感、融け合わなさそうな感覚なのに、先端から刷り込まれればチョコミントみたいで、おちんちんの付け根まで伸びた神経をひやりと甘く刺激した。 その感触は、たった一発で、あの日幽香さんに押し倒されて訳けも分らないまま膣内に出させてもらったあの興奮を呼び覚まさせてしまう。 鳥目で全然見えないのに、あの日にボクの目の前で揺れていた圧倒的な肉感を暗闇の中に描き出せていた。 股の間でボクの欲望を代弁して幽香さんを求める肉の突起。 チーやルーミィとしたときと全然違う、性欲というよりこれは衝動だ。 ローリーとした時とも少し違う、愛情というよりこれは渇望だ。 何かとてつもなく逆らうことのできない本能的な欲望、言葉でも理性でも説明できない、何を感じているのかさえ分からない。ただ『ほしい』のだ。これは『すき』の延長かと言われると、やはり自信がないのだ。もっと下よ
は、いっ
ぬるり、と上手く入れることが出来ない。
この間抱かれたときには上に乗られて悶えている内に射精してしまったけれど、今は、手探りで見つけた幽香さんの体を抱いてそのまま絡み合った結果、僕が上になっている。ボクが入れなければならないとなると、形や質感をどうしても意識してしまう。ふっくらと膨らんだ下腹部は、チーやローリーのものとはなんだか形まで違うように思えた。
もっと下、と言われたとき、ボクはまだ、熱く溶けて柔らかくなった肉ビラが先端に絡みついてくるような入り口で、既に翻弄されていた。まだ押し付けただけで入ってもいないのに、こんなにもエロティックな感触だなんて。擦り付けているだけでも、射精してしまいそうだった。
はっ、はっ、ん……
そ、それって、焦らしてる、つもり?
ちがいま、ふぅっ
そんなつもりはない、焦らしているのは幽香さんをではなく、強いて言えば自分をだった。恐怖と期待が一緒になった眩暈がするほどの興奮。こんなところにおちんちんを埋めていったら、ボクはそのまま中に吸い込まれてしまうんじゃないだろうか。気持ちが良過ぎて、おちんちんからそのまま溶けてしぼんでしまうんじゃないだろうか。
は、はや……く
あんまりにも手(?)を拱いているボクに向かって、幽香さんが、急かしてきた。
急かして……?
欲しがってる?ボクを?
喉が、鳴った。
顔が見たい、幽香さんの顔が。どんな顔をして、今の『はやく』を言ったのだろう。いつもみたいに少し怒ったような顔?それとも……
どこなのか見当が付かなかったけど、もう手あたり次第に押し込んだ。ぬるり、ぬるりとまるで形がない生き物みたいにがはぐらかされて、でもそうして押し込むたびにふわふわのお肉に先端を包み込まれて消化液をまぶされていくみたい。
あっ、あっ……はい、らっ
ちょっと、あせんないでって。あんた、他の子と、シてたんでしょ?
してました、けどっ、ちがうんです、ゆうかさんは、ちがうんですっ!
何を言っているのか自分でもわからなかったけど、どんどん冷静さが失われていく。元々興奮で熱病みたいになっていたのに、今のボクは、ほとんどパニック状態だ。穴がある筈だとぐりぐり押し付けるけどデタラメ、何度やってもいなされて、その度にヌルヌル快感できもちいいスリップダメージを受けていく。
はっ、はっ、はっ、はっ、
お、おちつきなさいってば、ばかっ
これが初めてみたいな、とんでもないへたくそ。でも、幽香さん相手に、ちゃんとなんか出来る気は、最初からしてなかった。
もうっ、ちょっと、まちなさいって、かし、て
幽香さんがボクと幽香さんの体の間に手を入れて……探っている、きっとボクのモノを導くつもりなんだ。そしてすぐに捕まる。握られた途端に。
あっ、ああっっっ!だ、めえっ!
射精してしまった。
乱暴にボクのものを探り当てた幽香さんの手は、亀頭を握りしめていた。びりびり感電するみたいな快感が突然送り込まれて、ボクは我慢できずに、吐精した。どぶどぶと、情けない勢いで、でも量は信じられないくらい沢山。
ご、ごめん、変なとこ、握っちゃった……?
ごめんなしゃひ、ごめんなひゃ、いっっ
幽香さんの底なし沼を目の前にして、その中に入る前に、達してしまう。情けなさ過ぎて、泣きたい。真っ暗で、鳥目になっていて、よかった。こんなところ情けないボク見られたら、舌を噛み切って自殺したくなっちゃうよう。
ぐす
ほんとに、童貞みたい。経験豊富というわけではないし、その何度かだって人型のまましたわけではないのだけど、こんなのはあんまりにも情けない。のそりと体を起こして逃げ出そうとしたとき。下半身に幽香さんの脚が絡まっていた。股で挟むようにして、ボクの太腿辺りを抑えている。これが同じくらいの体格の男性なら、腰の辺りをがっちり掴んでいるんだろうけど、チビのボクではそうはならない。するりと抜けることが出来そうだった。実際にそうしようと思ったら今度は、肩を手で掴まれた。そのまま脇の下に手が潜り込んで、ずるずる引き寄せられて、幽香さんのやわらかいおっぱいに上半身が乗っかる。そのまま手がボクの後頭部に回されて更に引っ張られる、抱き寄せ、られる。
口付けられた。舌が入ってくるかと思ったら、ほんの少しだけ。唇を撫でて前歯を少し割って舌の先端同士が出会ったところで、口が離された。
いいから、大丈夫だから、続けなさい
頭をくしゃくしゃ撫でられた。
ずるい。こんなときにばっかり、やさしいの。こんなときにはじめて、あまいの。ずるいです。
ボクたちはもう、いや始まってさえいなかったっていうのに、やっとそれに自分を言い聞かせてお腹の中に無理やり落とし込んだというのに、今更、そんな風にされたら。
ね。つづけ、て
上手く見えない闇の向こうで、こんなの聞いた事が無いっていう位優しい声で、ボクの頬を撫でる幽香さんの手。やめてください、そんな、勘違いしてしまいそうな、やり方は。
好意を拒絶され、だから行為だけを求めたっていうのに、愛おしくなってしまう。もっと、幽香さんのものになりたくなってしまう。もっと、好きになって、好かれたくなってしまう。好意の等価交換なんて、出来ないって、わかってしまった後なのに。
それでも、いや、それだからか、単純な男の欲望は、すぐに勢いを取り戻した。体を引き寄せられて密着する二人の間で、硬くなっていくものを幽香さんも感じたらしい、抱きしめる腕を少し緩めて、腰を揺らしてボクを受け入れると言外に伝えてくる。そのえっちに甘やかしてくれる様が、言葉にできないくらい、ああ、これって、『すき』じゃ足りないよ。これも『すき』じゃない、なんだ。こんなレギュレーション違反の感情、どうやって表現すればいいの?できるわけないよ。
ボクはもう一度挿入を試みた。今度は、最初から幽香さんの手がリードしてくれている。ふわふわの肉ビラを掻き分けて先端を押し込んだ先には、行き止まり感がない。きゅうきゅうと包み込まれる感触のまま、奥へ、奥へと取り込まれていった。
ふぁ、あ、はあぁっ
世話の焼ける子
見えないのもあるけれど、リードされたとはいえこうして自分の体重で中に入り込んでみると、幽香さんのものは、チーやルーミィ、ローリーのそれとは全く別物のように思えた。おんなじもので出来ているとは、思えない。三人のおんなのこは、例えるなら洋梨の様だった。硬さを残して柔らかく、押し入れば入り込める。湿り気が染み出してきて、甘さもキツさも十分だった。でも幽香さんのそれは、余りにも余りにも、別物だった。例えるなら、過熟な程の白桃。ぐずぐずに柔らかくて過剰なまでに汁気がある。酸味を捨てたみたいに甘ったるい、水蜜だった。直ぐに奥まで入っていけるが、中の柔らかさは緩いのではなく、きついというよりも包み込まれているような感じで、快感よりも幸福感が攻めてくる。ずっと、この中にいたい。
ボクは入ったのが分かった後は、しばらく動くことも出来ずに幽香さんのおっぱいの上に体を投げ出して抱き着いていた。幽香さんは何も言わずに僕の頭を撫でてくれていて、でも時折、きゅぅってあそこが締め上げられた。幽香さんも意図していないのかもしれない。
しばらくそうしている、穏やかなのに、ボクのおちんちんは幸いにもおっきいまんまだった。まだやる気があるのだって幽香さんが分かっててくれいる。
そろそろ、うごいてよ
はにかみを含んだちょっと笑うような声。こんな、ふうに、しゃべれるんだ、このひと。普段からそうやっておしゃべりしたい。そういう声で、そういう口調で、普段からしていれば、ボクみたいなしょうがない男じゃなくって、もっといい人と幾らでもやり直せるのに。
でも、それは口にしなかった。それは、ボクにその意図がなくったって、ある意味で幽香さんを愚弄することにもなってしまうから。本当に、すてきなひとなのに。
は、はい
ボクは上体を持ち上げて、腰を少しだけ引く。そのまま前に出したり、揺すったり。
ん
ふあ、ぅっ
ボクのちっちゃいおちんちんが、幽香さんの中で、いろんなところを締めたり撫でたりされている。付け根だったり、先端だったり。一方でしまってないところは、メレンゲの中にいるみたいにふわふわ。締まっているところはきちきちに、柔らかくぬかるんでいる部分はぬるぬるの凹凸が舐め回してくる。こんなの、こんなのすぐに、おわっちゃうっ。
ボクは我慢のしどころが分からなくって、すぐに腰の動きを早くしてしまう。幽香さんの膣内の変幻自在の締め付けに囚われて、すぐに射精欲に駆られて走り出してしまった。幽香さんに気持ちよくなってもらうなんて、これっぽっちも考える余裕がない。
ゆうかさん、っ、ごめんなさ、っ、とま、らっ、ボクっボクっ!
そのまま。がまんしないの。どの道あんたなんかに、本気で感じたりしないから。あんたが楽しみなさい。ね?
それはその通りだろう、ボクの行為で幽香さんが感じてくれるなんて、思い上がりだった。でも、ボクを受け入れてくれている。へたくそで失敗したボクを、それでもいいって包み込んでくれて、でも、すっごいえっち。ボクの事なんか、相手してあげてるだけだって口調なのに、こうやって重なっていると、わかる。幽香さんの体も、ボクを欲しているの。
ボクは幽香さんに言われた通り、我慢しないで、おちんちんを擦る。幽香さんにおちんちん絞ってもらうのが堪らなく気持ちよくて、我慢しなくていいと言われてしまったら、もうブレーキどこかに飛んで行ってしまった。
はっ、はっ、はっ、ゆうかさん、ゆうかさんっ!はあっ、きもちいです、幽香さんの中っ、ぬるぬるのふわふわで、きゅってきゅってされて、きもちよくって、がまん、できない、ですっ!
そう、よかった、わね
ボクが腰を打ち付けて揺する度、幽香さんの声も震える。感じてくれているのだとは思っていないけれど、途切れ途切れに届いてくる幽香さんの声は、それだけでもボクにとってはえっちすぎてくらくらしてしまう。耳から直接おちんちんに届いてくるみたいで、それが呼び水になって精液を引きずり出されてしまいそうに。
はっ、はっ、はっ、んくぅっ
いい、わよ、その調、子
幽香さんの脚がさっきみたいにボクの体に絡みついてくる。チビのぼくの顔は幽香さんに届かなくておっぱいにうずまってしまう。おっきいおっぱいに、でも触っていいのか、そんなにべたべた触るものじゃないのか、ボクにはよくわからなくって地面に腕を突っ張って頑張る。正直何度も腕立てできるような腕力はないので段々辛くなってくるのだけど、幽香さんがぎこちのないボクの動きの理由を察した。ボクの頭を掴んでおっぱいに押し付けてきた。
わぷ……
何も言わないけど頭をさわさわと撫でられて、ボクは心地よくなってしまう。おちんちんきゅってされながら幽香さんのふかふかのおっぱいに顔を埋めて、頭をなでなでされてるなんて、もう死んでもいいよお。
これで、好きの気持ちをちゃんと共有できるのなら良かったのだけど、もう、望むべくもない。
ボクは上半身を幽香さんの胸の上に投げ出した姿勢のまま、まるでおっぱいのお肉のベッドに沈んでるみたいな状態で、腰だけをへこへこ動かしてしまう。幽香さんも上下に腰を揺すってくれていて、くちくちとエッチな音が聞こえる。えっちなお肉で握り締められて擦られるおちんちん。もう、とけちゃう。
ゆうかさんっ、ゆうかさんっ
そ、そんなに名前呼ばなくっても聞こえてるわよ
呼びたいんです。YU・U・KA・SA・Nの音それ自体が、ボクにとっては恋の呪文なんです。それを唱える度にボクはどんどんよわっちい虫になって、どんどんあなたのものになりたがるえっちな男の子になってしまうんです。今は、そうなりたいんです。それくらいは、ボクのしたいように、させてください。
幽香さんの名前を恋心のあぶくみたいに吐き出しながら、おっぱいのお肉の海に沈んでいく。おちんちんもふわふわできゅうってされる逆らえない膣圧に飲み込まれて、もう何が何だかわからない。このまま。このままっ。
はーっ、ゆーかさんっ、でまひゅ、おちんちん、また、れましゅ……
っ、ふ、雰囲気、出し過ぎ、よ、なによその、気持ち悪い、こえっ
そう言って、幽香さんの腕がボクの頭にもう一度絡みついて、口がふさがれる、おっぱいのお肉で。
んぶっ、んんっ、んーっ、んっ
ちょっ、ちくび、口当てたまま、しゃべら……んっ
慌てて位置をずらされたけれど、一瞬聞こえた幽香さんの上擦った声が、耳に残る。可愛い声だった。いつもみたいに無理にトーン落としているのじゃなければ、あんなにも、可愛らしい声、してるんだ。舌を伸ばして、堅さを増している乳輪と乳首を追いかける。舌先が乳輪の縁に触れたとき、幽香さんの体がぴくんと震えた。好きなんだ、ここ。ボクは首を伸ばして、幽香さんのおっぱいの先っちょを口に含む。
ばっ、かぁっ!なに、いっちょまえに、感じさせようと……はぅんっ!
腰の動かし方も変える。チーやルーミィは、入り口のところを回すみたいにすると、悦んでくれた。同じように、幽香さんはどうだろう。
なまいき、やってんじゃ、ないわよ。私のことはいいから、さっさと射精しなさい。イキたいんでしょ?
ちがうの、かな。もっと奥?
もう、おちんちんがびりびりのぱつんぱつんになってて、ちょっとだって我慢できなさそうだけど、もうちょっとだけ、もうちょっとだけ、幽香さんに気持ちよくなってもらえるように、がんばりたい。
入り口のあたりが全然ダメだから、奥の方を探る。これでダメなら、ボクの経験じゃやっぱり幽香さんに気持ちよくなってもらうのは無理なんだと諦めよう。
ルーミィの喉を奥の方まで犯したり、チーの深いところまで責めたときみたいに、おちんちんを……
ちょっ、と、これっ!?
チーは硬くて痛がってたけど……今は大好きってゆってるし、もしかしたら大人になると奥の方がいいのかも。輸精管をぐぐっと伸ばして、奥を目指す。幽香さんの柔らかくてあっつくてとろとろねうねうねのヒダヒダ膣がボクを擦り上げる面積が増えて、これは、自爆だったかも。すごすぎるっ。長くした分、全部が、握り締められて、こすれてっ……。
あっ、あっあっあっ、すごいっ!がまんっ、できなっ、い!おちんちんが、ぜんぶ、ぜんぶぶつぶつにシコシコされてぇぇっ!
ちょっと、はっ?これっ、何!?ふくぅっ!奥まで、あたっ……
こつん、と奥に当たった。ぷにぷにした感覚、幽香さんはこんなところまでもやわらかい。すぐにでも射精しそうなのを我慢して先端でぷにぷにの第二の入り口を押したり舐ったりすると、効果はすごかった。それまでボクの動きを追いかけるように腰を上下していた幽香さんは、ボクから逃げるみたいに腰を引いている。でもそれは、チーやルーミィにしてきたときの感じだと、嫌だからじゃないって気がする。だって、こんなにも声が急にえっちになってて、怒られるかも知れないけど、可愛い。
だめ、これだめっ!やめなさい、やめなさあぁぁっヒぃっ
唇を噛んで我慢する。幽香さん、奥の方がイイのかな。もう、射精しちゃいそうだけど、がんばっ、ら、なきゃっ。
す、ごっ、いっ!やれば、できるんじゃない、のっ!は、はっ、はあっはあっ!ヤバっ、これ、これ、ちょっと、シャレになんな……っ、く、ふうっ、ひあ、あっ、すっご、ひぃぃっ❤
でも、幽香さんの声が余裕を失っていくのが、堪らなくって、もっともっとしてしまう。
んおをっっ、そこ、だ、めえっ……オク、押すの、擦るの、やめっ、ふぅぅっ❤っ!?で、でてるっ!射精、っ、いきなりキテるっ!ドバドバ、凄い量っ!?しかも、あついっ❤アルコールはいってんじゃないのこれッ❤アツ過ぎせーし、子宮に、直注入、とかっ❤
いきなり、射精した。堪えられなかった。でも、この形になったら、射精はおわりじゃないのっ❤このままずっと、もっといっぱいするためのものだもんっ!
ちょっ、まだ、動いてるっ❤出すまでって、射精するまでって、ゆったじゃない!まだするのっ!?んホぉっ❤こ、こんな、隠し玉、もってたなんて、きいてないわよっ❤まちなさい、これ、これ、それ以上、やめなさ……
輸精管の先端を変形させて、ミトンみたいにする。そのままぷっくり下りてきてる赤ちゃん部屋の入り口を、まるごとぎゅって、握る。
っんぐぅうっ!?おく、がっ!奥の入り口が、に、にぎりしめられっ……❤なによこれ、なによ、これぇっ❤こんなの、こんなのしらないっ❤こんなチンボ反則ぅっ❤
漏斗状に下りてきている第二膣の肉管を、輸精管の先でぐいぐい握る。膣内射精しした精液がぐちゅぐちゅに泡立っている。熱い膣の中ででろでろの半ゲルになったボクの精液を、肉ツボをもたげる子宮の入り口の周りのお肉に擦り付ける。
ヲホぉっん、んぐ、きゅぅっ!そ、そんなところ、むりやり、ぎゅって、するの、ナシよっ!ひょんなの、なしょおぉぉおおぉおほぉぉっ……❤子宮口っ、子宮口、手コキされてるぅっ❤ザーメンローションで、子宮チンポ手コキされてるっ❤ありえない、ありえなひっ❤
どぷんっ❤
くヒぃっ!?
また、射精してしまう。膣の行き止まり、ぽっちり穴だけ開いて盛り上がりひくひく蠢くえっちな赤ちゃん部屋に向かって、三発目、出来立ての新鮮ザーメンを注ぎ込む。
んぎぃっぃひぃぃっ❤あつい、あついぃっ❤注がれたナカが、ザーメンかかった肉壁が、ひりひり性感帯にされてるっ❤精虫泳ぎ回った後のトコ、めちゃくちゃ敏感❤ずるいっ、こんなの、卑怯っ❤
肉漏斗の穴に向かって管の入り口を伸ばして、もう一発❤今度は漏らさないように、全部中に注ぐ。
どぶっんっ❤
ほひっ!?ほぁへはへぇぇぁぁっ❤だめ、えっだめえっ❤そんなに、そんなにあっつあつのラブラブザーメン子宮に来たら、耐えられないっ❤私の卵巣、耐え切れなくなるっ❤
さっきまで腰を引いていた幽香さんだが、今はまた逃げるのをやめている。むしろ、イヤイヤ言いながら腰を高く押し上げて、ボクの触手化輸精管をもっと奥まで銜え込むように腰をくねらせてぶつぶつ膣壁を収縮させている。
なでられてるっ、つかまれてるぅっ❤赤ちゃん産したことないのに、子宮の入り口、ぎゅうぎゅうされて、と、トぶっ……!反則よぉっ、こんなの、こんなチンボはんそぐぅっ!!おほぉぉっぉっ❤もう一発、もう一発来たら、終わるっ❤もう一発子宮の中にザーメン直飲ませ来たら❤私の卵巣、陥落しちゃうっ❤排卵しちゃうッ❤だめよ、もう一発はダメ、次キたら負けちゃっ……、私の卵巣、負けちゃうぅっ❤次は外よ、わかった?膣外に射精して、リグルわかったら……な、膣内射精しィッ❤
どばっ、どばどばっ!びちゃっ!
ひゅごほぉっ❤いままれれいチばん、多ひっ❤おおゅぎぃっ❤排卵っ、排卵キちゃうっ❤欲し過ぎて、ザーメンほし過ぎて卵管くぱぁして、卵巣が、卵巣タマゴ出しちゃうっ❤射精量多すぎて卵管までぎっちり精子詰まっちゃってる❤排卵、今排卵しちゃら、私のタマゴ、終わりっ❤孕むっ、確実に受精完了して孕んじゃうぅぅっ❤あ……でちゃ、った、卵子、でちゃっら……❤リグルの精虫うじゃうじゃの海に、無防備な卵子、で、ちゃ……❤
こぽっ
ぞわぞわっ、うじゃうじゃなのぉっ❤私の無防備タマゴに、孕ませ欲求100%の精子虫っ❤何十億匹のリグルが、私を、犯してる、犯してるのぉっ❤オっんぉっほぁぇぇっええええっ❤❤❤
ボクが腰を打ち付けて、一番奥の奥の奥へ最後の射精をぶちまけると、幽香さんは断末魔みたいな声を上げて体を沈め、僕の体を股に挟んだまま爪先をぴんと伸ばし、ボクをぎゅうううって抱きしめたまま身体中をこわばらせて、ぶるぶるぶるっと震えた。イってる、んだ。
キスしたい。こんなに可愛く無様に絶頂できる女性だったなんて、幽香さんにちょっと幻滅してしまった。
ボクが、輸精管ずるずると抜くと肉漏斗が追いかけてきて、過熟白桃を思わせた柔らかな陰唇をさらにはみ出してきた。淫裂の奥から顔を出すピンク色の肉筒。そのまま更に抜くと、完全におちんちんは幽香さんの肉から抜け取れた。栓を引き抜かれたそこから、噴き出すように精液が出てくる。
は、っ、はっ、はっ、幽香さん、すご、い、おまんこ射精しちゃってます……すごい、えっち、です
子宮が……赤ちゃん専用の部屋だったのに、リグルに陥落ちゃ……❤んぐっ、はひっ❤しゃせ、しちゃって、るぅっ
蟹股に開かれた真ん中から飛び出た赤い筒から、白い液体がごぼごぼ溢れてくる。腰が痙攣していて、その赤い筒はプルプル震えながら、白くて臭い液体を撒き散らしている。湯気さえ上がりそうな体温と体液。二人の匂いがキツい。痙攣しながら蟹股でアヘ顔してる幽香さんがエロすぎて、僕はまたおちんちんを扱いてしまって、最後の飛沫を飛ばしながら横たわってアクメ痙攣している幽香さんに、また精液を絞り撒いた。
幽香さんの、イキヌード、すごくえっちです……❤
はっ❤はーっ❤こわされ、ちゃぅっ❤
ん?
幽香さんの子宮射精、淫乱すぎますっ❤
あれ?見えて……?
はあっ、はあっ……す、すご、すぎよ、バカっ❤せ、成長しすぎでしょ、こないだされるがままだった可愛いショタは、どこいっ……
幽香さんも気付いた。
お互いの姿が、見えている。鬼火蛍の明かりで、苔が蒸し植物の根が這い回る洞窟様の空間に、裸のまま抱き合うボクと幽香さんが……。
みえます、ね
み、み、み
幽香さんが上半身を起こして、ボクの肩を掴んで押し離し、そして。
見るなァッ!!
ぶげっ!
思いっきりグーで殴られた。
結構吹っ飛んだ。
やば、おれた、あとで肋骨再構成、しない、とっ。
ごろごろ転がって最後に瓦礫の角に頭が、ゴンっ!ぶつかる。あう。
あ、肋骨だけじゃなくてなんかいろんなの潰れた。
体組織の再構成って、結構たくさんいろんな虫さん使うんだけど……
見えないから、したのに。なんでいつの間にか見えてんのよ。ああ、もう、殺すわよ
も、もうすぐしにます
幽香さんの方を見ると、みないでっつってんでしょ!と怒鳴られたので顔を背ける。股の間を、いろいろと、なおして、いるみたい。ああもう、とか、クソが、とか、なによこれ、とか、なんか最終的にボクが罵倒される形の呪い声が聞こえてくる。
あ、あの
……もういいわよ
恐る恐る顔を上げると、全くいつも通りの幽香さんが立っていた。ボクだけまだいろんなところが裸なんですが……。
女の子をこんなごつごつの岩場で下に敷いてするなんて、最低ね
さ、誘ってきたの、ゆうかさ
あ?なに?
なんでも……×
つかつか歩いてボクの方へ寄ってくる幽香さん。まだぶっ飛ばされてその辺に転がっている僕の前にしゃがみこんで、ボクの顎を掴み上げる。
よくも、あんなに、シてくれたわね
そんなぁ
射殺すような視線でボクを見て、見て、見つめて、そろそろ穴が開くかという位、ただ黙って睨み付けてくる幽香さん。
すごかった。
小さくそう呟いてから、ぐい、と顎を光れて、唇を吸われた。舌は入ってこない。唇同士だけの、甘いキス。ちょっと離れて、今度は抱きしめられて。言葉が何も出てこない。ボクも、幽香さんも。ただ二人でお互いの体に腕を回して、体をくっつけて、沈黙の時間を抱き締め合う。
とく、とく、って心臓の音が聞こえる。幽香さんの音なのか、それとも自分の音が幽香さんの体に反響して感じられているのか、わからない。
幽香さん、ボク
記憶の残骸が具現化して廃墟と化しているこの地下の空間で、蛍の光だけがボクと幽香さんの姿を薄緑色に浮かび上がらせている。もう何の機能も残っておらず暗く黴臭いこの空間は、ボクと幽香さんの間に流れた時間とその間に底敷かれた出来事の墓標のように思える。もう、そんなものは、残っていないのかもしれない。それとも、崩れて何か別のものへ変化していくその変化そのものが生きているのか。
どちらにせよ、ボクと幽香さんの間にある関係性は何らかの変化を求めているように思えた。いや、そうでなければならない。そのためにボクは、ローリーの異変解決を博麗から奪い取ってまでしようとした何らかのアクションに水を差すためにボクは、幽香さんについてきたのだ。
まさか、こうして幽香さんに、この空間で、また抱いてもらうことになるなんて、思っていなかった。もしかして、幽香さんも、筋書の繰り返しではいけないのだと、感じたから?そうだとしたら、もしかして。
ボクは……
嘘を吐くようなら、容赦できないわよ
ボクが胸元に絡みついてどうしようもなくなっている感覚を何とか吐き出そうとしているのに対して、それを見越していたみたいに割り込んできた。嘘、とは、ボクがセックスの口実に言った『好きではない』の言葉のこと以外にはない。
でも、それは、すべきじゃなかったんだ。嘘だから、というのはある。でも、それ以上に、セックスしてしまってボクは、やっぱり幽香さんの事が好きであるとの自覚を深めてしまったのだ。やっぱり、やっぱりボクは、幽香さんの事が、好きなのだ。その形は幽香さんの望んでいる形ではないのかもしれないけど、セックスしたいっていう気持ちを好きと切り離して考えるのも、そうしないでくっつけたままで置いておくのも、どっちが間違いだなんて言わなくっても、いいじゃないのかと。
何とか、嘘をつかないように言葉を選んで、幽香さんに気持ちを伝える方法が無いかとない頭を捻る。胃の中に吐くものはとっくに入っていないのに嘔吐感だけが途切れないときみたいに、肺の中かにとっくに空気は入ってないのに横隔膜が痙攣して更に空気を押し出そうとしているときみたいに、欲求だけが働いて、この口からはやっぱり何一つだって出て来やしなかった。
リグル、やめて
でも、でも
ここから見える、蛍の光に照らされて、陰りのある表情を見せる幽香さんの顔は、ボクの見間違いでなければ悲しげに見えた。悲しい?何が?幽香さんもこの結果を、望んでいたのではなく、どうしてもそうならざるを得なかったものだと、思っているんじゃないんですか?
幽香さん
お願い、だから!
語気を強めて僕を制止する幽香さん。その声は声量こそ大きいが、いつも僕を怒鳴りつけるときの鋭い声ではない。悲しそうな、泣きだしそうな、声。こんな声、初めて聴いたかもしれない。リグルとしても……雲月としても。
お願いだから、好きって、言わないで
ボクの両肩を掴んで、もう一度抱き寄せられて。お互いに腕を絡めて抱き合って。そのまま耳元で、幽香さんは言った。
好きって、言わないで……でも、好きでいさせて
鼻声だった、ボクの耳のすぐ横にある幽香さんの声は。これが望ましくない結果だということは、幽香さんもきっとわかっていて、でも、もう身動きできないのだ。悲しい、結果だと、わかっていても、是正不可能性を悟っている。
そんなの、ずるいです。そんなのって
ごめんなさい
幽香さんがボクを抱き締める腕が、ぐっと強くなった。震えているように、感じられるけど、わからない。それに、幽香さんはそれを知られたくないだろう。強くなりたいと願って、そのためにあらゆることまでしてきた人だ。そんな弱いところを見られたいとは、思っていないに違いない。
それでも、こうして肩を震わせているのが、弱いことなんだろうか。幽香さんは最後の一線を退いていない。踏ん張って食い下がって、自分の信じた感情のあり方を貫こうとしている。やっぱり、強い人。
でもボクは、だめです。ボクはやっぱりあなたのように強くはなれない。そんな風に、強くても弱弱しく震えているあなたを、さっき急に優しくしてくれたあなたを、見て、やっぱりボクはあなたを愛おしいと思っている。それをどうしても『わかってほしいと思ってしまっている』。
好きの感情を相手に押し付けて、気持ちのズレを修正することを相手に押し付けてしまう。自分と同じようにあなたも自分を好いてくれと、わがままで高慢な感情を、押し通そうとしてしまう。二人の違いを、わかちあうという甘い言葉にかまけて、相手に強いてしまう。こんな身勝手で我儘で傲慢な感情が、美しいものかとわかっていても、ボクにはそれを一人で抱え込むほどの強さは、ないんです。
ごめんなさい、ボクは、やっぱり……あなたが、すきです
結局、嘘をついてしまった。お互いの顔が見えない状態で、ああ、さっきのまま鳥目トリックが聞いたままだったらよかったのに。そうなら、もっと簡単に、こんな、切ない体勢でこんなことを言わなくっても、澄んだかもしれないのに。
幽香さんはボクの『嘘つき』を聞いて、しばらく何も言わなかった。すすりあげるような音がたまに聞こえてきたけれど、聞こえないふりをした。
私もよ、リグル。……すき。だいすきよ。
不意に、幽香さんの声が、返ってきた。
これが、エンディングなのだと、幽香さんは溜息を吐いて肩を落とした。しゃくり上げる特有の脆そうな仕草を残したまま、幽香さんは、ボクの気持ちに答えてくれた。そしてそれが、とどめだった。
これは、忘れかけてしまっていたけれどこれは、エンディングへの道行きなのだ。ハッピーエンドじゃない、ボクも、勿論幽香さんも、もしかしたらこれから会いに行くローリーも、きっとこれから訪れるのがバッドエンドだということをわかっていて、それぞれのシナリオを歩き続けているんだろう。ハッピーでもバッドでも、主役でも舞台装置でも、たとえ悪役であっても。
幽香さん
ボクが声を掛けても、もう言葉を返してはくれなかった。ただ、ボクの頭の上に包み込むようにある幽香さんの顔。その表情をここから知ることは出来ない。ボク自身、次につなげる言葉なんて考えていなかったしわかりもしなかった。たった今一瞬掌に舞い降りてそしてもう消えた雪の様なものを、ボクは惜しみ続けてしまうだろうか。それとも。
浮かんだ言葉を、でもボクはかけることはしなかった。もしかしたら黙ったままの幽香さんも同じなのかもしれない。
また次の筋書で、上手く行かない純粋な感情を、しましょう。
もう一つの機械仕掛けの使い魔を探すと、それも電源が通っていた。何から供給を受けているのかは分からなかったが、それも今はどうでもいいことだ。
幕引きよ。ウエディングドレスでも持ってこればよかった、ここで燃やせば清々したでしょうね
どの道、着るつもりなんてないのに
当たり前じゃない。着るのはあんたよ
はあ!?ボク、男ですけど!ウェディングドレスって普通女の人が着ますよね!?
大丈夫よ、きっと似合うから
似合いませんって!?
努めて明るくしている幽香さん。そもそもそんな冗談を言う人ではない。エレベータの匣の小さな空間に入ると、なんだか気まずさがより密度を上げて、喉元を締め上げてくる。今度の下りは、長い。
あの夜雀は
ぽつん、と幽香さんが言葉を浮かべた。
はい
あなたと気持ちを通わせることが出来るのでしょう?分かち合っても、大丈夫だって予感はあるのでしょう?
わかりません
……わかりなさいよ
いいえ、わかりません、今のボクには、もう
幽香さんの『ありかた』を知る前ならば、肯定しただろうけれど、今はもう、自信がなかった。
じゃあ何のために来たの
黙っているボク。答えを持っていない。ボクがローリーをどうにかする?ローリーをどうにかしようとする幽香さんをボクがどうにかする?いずれにしても無理な気がする。そのつもりで来たのだけれど、多分、ただの思い上がりだった。
まさかここで私とセックスするために来たんじゃないでしょう
ちがいます。でも、結果的に、そうなってしまうかも
情けないことを言わないの
デコピンされた。
いたい
私の方がもっと痛いわ
そう言われてしまうと、ボクは、何も言えなくなる。
ごめん、忘れて。代わりにちゃんと思い出しなさい、無念だったでしょう、彼女を私に殺されて?
代わりにだなんて、嫌なことを、言う。何もかもが『前の時』と同じわけではないだろう。でも、似たようなルートを通りがちであることは間違いない。要所要所で何とか踏み留まって切り替えをスイッチしないと、同じになってしまうような気もしている。今のところそれには、ことごとく失敗している。結局、ローリーは異変化しているし、チーとルーミィに背中を押される形になったのに、幽香さんとボクは通じ合えていない。このままでは、いけない。幽香さんの『幕引き』はどういった形を言っているのか、ボクには想像できない。聞くことも、出来ない。それは運命とか言う奴なのか?
幽香さんは、今度のシナリオでは、どうするつもりなのだろう。やっぱり、ローリーの心臓を繰り取るつもりだろうか。そうさせないように、自分を止めろと、いうつもりだろうか。幽香さんはボクを終わりのナイフと呼んだ。もしかして、ボクに幽香さんの心臓を刳り貫けと、いうつもりなのだろうか。
ろそろそかしら
幽香さんが言うと、もうしばらくしてから、ぽーん、と何度目か聞く音が響いて、扉が開いた。
そこは、もう忘れられて久しい構造だというのに仄かな光が生きていた。それに縋るように幾つかの植物がまだ生きている。
光がある……
エレベーターの電源とは別みたいね、満足に供給されているわけではないみたい
点、点と散在する小さな光の粒は、それぞれ光の強さはバラバラで色も違う。形も、丸移転の者もあればよく見れば細長い線の物もあった。照明ではなく、何か別の仕組みに付随する明かりなのかもしれない。
この光を纏う小さな四角い箱に向かって、その横に置いてあるドーム型他のガラス鉢に向かって、ボクは毎日、何かを観察していた気がする。それに、その時隣には、いつも誰かがいた。
―いずるさん誰かの声が聞こえたような気がした。きょろきょろと見回してみるけれど、当然幽香さんの声ではなかった。幽香さんには聞こえていなかったらしい、どうかしたの、ときょどっているボクに訝しげな眼を向けてくる。今の声は、幽香さんではない、強いて言えば―
……ローリー
いたの?
いえ。気の、せいです
そうよね、と幽香さんは小さく溜息を吐いた。幽香さんは、きっとローリーがどこにいるのか、知っているのだ。だってここまで一度も、道を辿り直していないのだ。まっすぐに(途中で随分な寄り道はしたけれど)ここまで来ている。
明かりがあるとはいえ、鬼火蛍を引っ込める程強くはない。ボクは追加で更に何匹かを舞わせて、十分な光量を確保する。緑色に白で人のシルエットが描かれた妙な明かりがある。こんな場所にはもう、誰も人はいないのに、その光だけが人の存在を示唆しているみたいで気持ちが悪かった。
椅子があったりテーブルがあったり、その上には何か朽ち切った紙やペンの類が散乱していて、コップや眼鏡の様な生活感を感じるものまで残っている。人がいない様子は、逆に不気味だ。ここは地下何階なのかわからない、なのに、人がいた。人がいたのに、今はいない。それを亡霊の様に示し続ける人型の明かり。 上は聖堂の様だったが、ここは、地下墓所なんじゃないのか。それも埋葬したのではなくて、何か災害があった惨劇の後をそのまま封じ込めたみたいな、黙殺された歴史の一端のような。古今も今や、時間の墓標ね。墓守もいないけれど。新しく来た墓守は、これから狩ってしまうし
っ!?
何か視線を感じてその方を見ると、人がいた。いや、人?これは、人の形をしているけれど……木の根なのか?その割には、表面の質感は肌の様だし、髪の毛の様なものも見えるし、か、顔の様なものはあるけれど、もし顔だとするなら眼孔に当たる辺りからは根っこが出ているだけだ。そんなものが、あちこちにある。金属製の檻の様なものは、時間に忘れられたこの中にあってもまだ形をしっかりと残している。その内側には……他にも何か、いる。動いている。人?動物がいるの?目を凝らすと。
わ、わ、あ、あ、ああああ
人、のように見える形のものが、酷く緩慢な動きで降りの隙間から手を伸ばした地面を爪でカリカリとひっかいている。首がないが、背中らしい部分にホオズキの様な眼球が付いている。他の檻の中にも何かが動いている。あっちではお腹から引っ張り出した何かをもそもそと食べている何か。お腹から引きずり出して食べたものはまたお腹の中に入ってまたそれを引きずり出されて、を酷くゆっくりと繰り返している。頭が二つに下半身も二つ、でも腰あたりからの上半身は一つしかなく体のあちこちから柘榴の様な身をぶら下げてただ立っている何か。四つん這いで歩いているが首は犬の様な位置にはなく、背中の上にちょんと乗ったようになっているもの。お腹の辺りから根のようなものがもっさりと垂れ下がっている。
そうして身を縮こめて耳を顰めると、息遣いの様なものが幾つも聞こえてくる。この地下の空間は、忘れられてどれくらいの時間がたったのだろうか。他の物の朽ち方から見て、100年くらいは経っているような気もするけれど、だとするとあれらは、人ではないのだろう。妖怪?だとしてもあんな趣味の悪い姿の者はほとんどいない。
見ない方がいいわよ。……ロクでもないことを、していたのよ。
幽香さんが、ですか?それとも、ボクが?
ここに、ボク自身の痕跡も残っているのだろう、でも細かなことはなにも思い出せない。脇に分かれる道はだんだんと数を減らしてく。
でも、今私が時間やらなにやらもろもろを抜け出してこうしていられるのは、この忌まわしい研究故なの。リグル、あんただってね
ボクも、ですか?
前世でまともなことをしていれば、朝起きたら蟲になっていた、なんてことはないでしょう。この件の関係者が抗エントロピー場に潜り込んでしまったのは、つまり、心身をすり替えられた上で幻想郷へ来てしまったのは、もし神様っていうのがいたとするなら、天罰ってところでしょうね
蟲の、というか蛍が主体ではあるのだけれど、妖怪になっていたのが記憶にかすかにある何か罪の様なものの所為であるならば、幽香さんのその強くて美しい姿は、何でなのだろう。幽香さんだけが
私の美貌は永遠なのです
私の本性が、知りたい?
ボクの疑問を見透かしたみたいに、幽香さんが言う。
いえ。誰かに見せたいというのなら、構いませんけれど
どうだとするなら、幽香さんが正体を晒すことが出来るのはボクだけなのかもしれない。見たことは、無いけれど。
ふん、偉そうに
そう言って前を向きなおす幽香さん。今一瞬、その口の端に、草の根っこの様なものが、出ていなかった?確かめる必要は、特になかった。そうだったとしてもそうじゃなかったとしても、大した意味は、もはやないだろう。あれだけしっかり自我を持っているのなら、本性が何である妖怪であろうとも、幽香さんに問題など、もうない筈だ。それが、ボクやローリーの様な弱い存在であれば、根源存在に、内側を食い荒らされてしまう可能性はあるけれど。
道は一本道になっていた。まっすぐに奥まで続いていて、大きな扉が見える。あの奥には、何か大きな空間があって、そうだ、あの中で―。
ボク等は、やり直しに来たのか?ただ姿を変えて、同じことを?手を開いて、掌を見てみる。開いたり閉じたりして、自分の体は確かに自分のものだと、認識はしている。でも、それだけじゃない何かがあって、幽香さんはそれを認識しているのだろうか。筋書、という言葉がその通りのものであるなら、もしかして幽香さんが描いたものだとでも言うのだろうか。
そろそろよ。歌姫との決戦の準備は、いいかしら?ウェディングドレスを着る?
着ませんって。それにボクは、ローリーを、倒しに来たわけじゃありませんから。幽香さんは、ローリーの心臓を取りに来たんですか?
……さあ。覚えてないわ
首を傾げる幽香さん。覚えていないわけがない。だとするとはぐらかす理由は一つしかなかった。
扉は拉げて壊れていた。開けるというよりも押し退けて跨ぐ様に入り込むと、そこには異様な光景があった。
植物の根がびっしりと壁面を覆い尽くす四角い部屋が、中央部分にそれよりも少し大きい球体があったように刳り貫かれている、つまりこの部屋は立方体と球体を接合したような立体だった。
覚えている、この球形の刳り貫き部分を作り出したのは、今、目の前にいる。
ローリー……なの?
俄作りの音波塔に特徴的だった角錐状の体と偽典的三位一体の頭部は、なかった。翼はそのままだったが、上半身は人間、それも神聖な仏体を彷彿とさせる。下半身は鳥で、ローリーの本性を考えるならばその通りとも思えた。その姿は。
人間の上半身に、鳥の下半身。翼は雀と言うには美しく、長い尾羽は翼が羽搏くたびにひらひらと揺れて華麗の一言に尽きる。人と鳥の合成獣じみた姿だというのに、神々しささえある。もう、妖怪、ではない?ローリーは、どこへ行ってしまったの?
人の顔部分も、ローリーの面影こそ残しているが、まるで人形のように整いすぎて、贋物じみている。これが、ローリーなの?幽香さんは、いつも離さない日傘を前に着いて両手を柄の部分に重ねるように置いて、絶巓の迦陵頻伽に正対して仁王立ちする。
傘。そうだ、傘。
古墳の見えるカフェで、女の子三人としょうもない会話をした、でも大切な日常。空を閉じられた終末楽園で窒息死を待つ人間と、それに追い討ちをかける神妖。植物だけじゃなく人間をも実験対象にする忌まわしい研究に、生存も未来も消耗して、未来の命と歴史を生贄に僅かな一日を必死に手繰り寄せ自ら滅びを加速させる世界。それでも、生きている間は一生懸命で気持ちよかった。
神妖との戦いのために作り出した、生物兵器。超常的な力を得る人体寄生花卉。この時間の墓標は、古今生命科学研究所の第四プラントにある、秘儀の祭壇、恐怖の舞台。重要免疫区画だ。そこで作り上げられた何かが、幽香さんであり、ボクであり、ローリーだというのか?
そこまでは思い出せない。ただ、幽香さんそっくりな白衣の女性の上半身だけが血の海に浮かんでいるビジョンが、映し出された。
あ、あ、幽香さん……しゅ、に
やっと、全部思い出したのね。遅いわよ
その名前は、ずっと頭の中を駆け巡っていた。人間語が読めないからわからなかったけれど、今ならわかる。幽香さんの部屋に遭った図鑑の裏に書いてあった、三叉矛の形のなり損ないみたいな、みょうな記号は、『出』の文字だったんだ。
赤白チェック柄の幽香さんの上に、白衣の女性の姿がオーバーラップして見える、そのこと自体はあれから何度かあったけれど、今なら、その人の顔も、声も、体温まで、思い出せる。
主任
お帰り、でいいかな、出クン
煙草なんて、幽香さんは吸わないと思っていたのに、どこから取り出したのか、それを口にしている。服装以外のシルエットが、白衣の女性のものとぴたりと一致した。
帰ってきたよ、やっと。キミを連れて。
……ローリーも、います
そうね。あの日のやり直し。
幽香さんは煙草をくわえたまま、絶巓の迦陵頻伽の方へ向き直った。
―りっくん絶巓の迦陵頻伽が、声を発した。まるで洗練された金管楽器のような、清澄だが存在感のある声だ。
言葉が、話せるの?
下級妖魔の変異クラスよ。耳を貸してはダメ
でも
は。下族が調子に乗らないことだわ。あなたの力が、上級妖魔に通用するとでも?
幽香さん!
なあに、出クン
幽香さん、ダメです。ボク等は、博麗に委託されて異変の解決に来たんです。私怨を解消しに来たんじゃ
処置一つで効果は二つ。勢い余って殺してしても……よいでしょう?
幽香さんは問答無用と言わんばかりに傘の先端から魔砲を放ち、絶巓の迦陵頻伽を攻撃した。青白い光線は軽々と撃ったように見えたが魔理沙さんのとっておきのやつと同じくらいの魔力がこもっている。攻撃を受けた絶巓の迦陵頻伽は羽を交えて魔砲を防いでいた。幾つかの筋に分割された後、避雷された雷の様に翼の輪郭に沿って流れるように進み、後方に魔力の飛沫を上げて霧散する。
前とは、違うわよ。この筋書では、私は、強い、あなたなんかよりもずっとね。もうエクストラの力に頼る必要もない。彼にも私にももう、あんた達の力は、不要なのよ
もとより身勝手な感情だと、自覚しているわ。理解などしてくれなくて構わない、自分のために手段を選ばず、自分の手の及ばないものについては関知しない。君達には消えてもらい、出クンは一生私を恨んでくれればいい。それで、この件は落着よ。
そんな
それじゃ、何も変わらないじゃないか。強いだなんて、嘘なのに。だって、さっきあんなにもか弱い少女に戻っていたじゃないか。あっちが、幽香さんの変わらざる本性なのに。そんな強がりはもう、何の意味だってないのに。
それに、これも、あるわ
幽香さんは胸ポケットから、青色フロラシャニダールの種子を見せる。
準備は万端。レベル上げももう十分。さあ、幕を引きを、始めましょう
ボクは、記憶の隅にある、ローリーの分け身たる女の子が取った行動を、思い出してた。彼女もまた、自らの弱さを認めた上で、それを短絡的に補うための手段としてあの花を毟り取り、それを口にした。結果的にそれは失敗に終わり、彼女は生成された子房、乃至は種子を心臓ごと奪われたのだ。それを更に連鎖したのは梨来主任で、それも同じく失敗し、梨来主任はただ寄生植物に身を投げ出して死んだだけの末路を遂げた。また、その繰り返しじゃないか。それを、幽香さんが憶えていない訳がないのに。
そんなの、ダメです!また、おんなじじゃないですか
主役崩れは黙っていなさい
幽香さんがボクを一喝する、それだけでとんでもない威圧感がボクを打ち付けてきた。でも、黙っているつもりはない。もし幽香さんがまたローリーを殺めるつもりなら。
さて、小鳥ちゃん。あなたそのなりじゃ、こんな狭いところじゃ窮屈でしょう?
幽香さんが挑発的な顔で、ローリーを見る。斜め上の天井に向けて、閉じた傘の石突を向け、足を開いて腰を引く落とした。
先端から青白く一筋だけ細い光が発せられて、壁にごく小さな穴を穿つ。その状態で、バンドを開放した。邪恋……あれは。
外で、やりましょう?
口角を上げた次の瞬間、はじきを押し込まれて傘が開くと、先端から出ていた細い光線が突然、直径10メートルほどにまで太さを拡大した。
強烈な衝撃波が周囲に走るが、光は正確に整波されているらしく周囲への漏出はほとんどない。光線自体は目が眩むほど眩しいのに、周りが明るくなることはなかった。魔力のロス熱もほとんどないらしく、これだけの巨大な破壊効果を放ちながらも走る衝撃波には加熱された空気は乗っていない。
太さを急に拡大した幽香さんの破壊光線は、まるで物質を対象にしているとは思えない、写真の上にマジックで絵を描いたんじゃないかという不自然な程にくっきりとした穴を、天井に刳り貫いた。見上げると、そのはるか向こうに光が見える。地上まで、抜けているらしい。
いきましょ
不敵な表情を絶巓の迦陵頻伽へ向け、ちょっと裏庭まで顔貸せや、位のノリで地上へ連れ出そうとする幽香さん。
……でたらめすぎる……ここ、地下何階だと
命名決闘法宣言を伴わない形での、幽香さんの力のけた外れの大きさに、足がすくんだ。紫太妃も言っていたが、こんな大技は、幽香さんはほとんど使わない、むしろ、幽香さんが危険度極大の大妖怪であるという証は、単純なフィジカル以外では初めて見たかも知れない。それを、敢えて攻撃ではなくただの通路作成に使うということは、ローリーに向けられた感情がそうした箍を動かすに足るものだという証明なのかもしれない。
今のを食らったら、異変化して存在を強化されているローリーでも、ひとたまりもないのじゃないか。
ふん、あんな隙だらけの技、戦闘中に使える訳がないでしょう。もっとも、戦闘中に使える程度の隙の小ささの砲撃では、あれほどの威力を持たない、という意味ではないけれどね
さっさと行きましょう、と傘を開いて浮かび上がり、自ら穿った穴を登っていく。
ボクは、敢えて絶巓の迦陵頻伽に速度を合わせて同じペースで、幽香さんについていった。ローリーだけを単独で行かせると、逃げ場のない彼女を幽香さんが上からズドンとやりかねないからだ。
用心深いのね
……
空の元に出た幽香さんとローリー。ローリーは翼を羽搏かせて面目躍如とばかりに自由に空を飛び回る。幽香さんは少し低い高度を、浮遊してそれに正対する。
幽香さん、命名決闘宣言をしてください
あれが、すると思うの?
強制発効を。私刑は、博麗の法度に抵触します
ボクが言うと、幽香さんは目を細めて僕を見る。
あんた、これがただの異変解決だと思ってんの?あんまり邪魔なようだったら、先に殺すわよ。生憎、私はあんたが生きてようが死んでようが、あんまり関係がないのよね
傘の先端が僕の方へ向いた。
さっき、ほんのたったさっき、決着をつけたのに、その感情には。ボク等は一方通行で、お互いが不要だなんて寂しい結末に足をかけてしまったんだから。でも本当は、幽香さんの言うことは否定したい。ボクにとって優香さんはやっぱり必要で、同じようにボクを求めてほしい。
同じように。そう、この高慢な同一化要求が、幽香さんの言う有害な化合物なのだ。ボクではまだ、ダメなのか。
穴を抜けるか抜けないかというところで、突然耳から頭の中へ直接音の存在が怒涛を打って流れ込んできた。
うっ
ち、煩い蚊トンボが……
より高い高度にいる絶巓の迦陵頻伽が、上空で耳障りな妨害音響を撒き散らしている。定期的に発報されるクリック音は、一定程度の暗号化処理を施していない魔術回路を強制的に解呪するものらしい。幽香さんの大型魔砲のようなチャージを要する魔術は、発動コストが跳ね上がる。
絶巓の迦陵頻伽は、障害音響とは別にLRADのような局所音波破砕を投擲してくる。幽香さんが飛び退いて躱したその場所への延長上にある木や岩が、砂の様に砕けて消えた。
ほら、みなさい!夜雀も、ただの異変解決じゃ気が収まらないってさ!はははっ!
ローリー……
さあ、選びなさいな。私か、あの子か。どちらを選んでも、リグル、あなたの望んだ結果にはならないでしょうけれどね。仕方が無いでしょう、これは、バッドエンドへの道行きなんだから
あんな結果を繰り返さないために、ここに来たんじゃないんですか!?
勘違いしないことね。そのために、この双方デッドエンドの分かれ道をあんたに選ばせるために、博麗から異変解決の権利をブン取って来たのよ!もう何だって変わりわしないのだから……あきらめなさい!
そうなの?やっぱり何も変えることが出来ないの?
歴史を変えるなんてそんな大層なことを考えているわけじゃない。でも、これから先に起こるだろうことを何とか回避したいと思うことは、そんなに大変なことなのだろうか。単純に、ボクの力が足りないばかに、繰り返してしまうだけなのだろうか。幽香さんがそれをハンドリングしていて、幽香さんに匹敵するほどの力を持っていない限りそれを変えることが出来ないというのなら、ボクにはもう、打つ手はないのだろうか。
変えることが出来ないのなら、どうしたってそれを覆すことが出来ないというのなら、ボクには選択肢は用意されていないように見える。だって、あんまりじゃないか。あんまりにも酷いじゃないか、ここでボクが、単に異変解決を委任された博麗の代わりに、強者の方について私刑を兼ねた暴力に加担するなんて、幾ら、ボクがいくら、幽香さんの事をすきであっても、それは。
だってローリーは、幽香さんみたいに自分の感情を囲い込む覚悟がないから、こういう風になってしまったのだ。極普通の感情のあり方を、特異で化物じみて強大な力の持ち主に歪められて、終わりだなんて。
幽香さんが言った通り、このまま誰もが納得する綺麗に見える妥当な解決方法に、ボクは同調することが出来ない。幽香さんの方法には。
ボクは、高く飛び上がって……絶巓の迦陵頻伽と幽香さんの間に割って入り、幽香さんの方へ、向いた。
ふふ、あっはははははあ!結局何一つ変えられなかったのね!?結局その子を選んで、あんな正義面しておきながら、同じ選択!でも一つ違うことがあるわよ。前と違って、私は無力じゃない、むしろ、あんたよりもよっぽど強い!その子を選び切れるかしら?さあ、やって御覧なさいな、弱虫!
幽香さんの前に立ちはだかり、絶巓の迦陵頻伽の味方をするように位置取ったボクの目的は、幽香さんを倒すこと、に、見せかけて、本当の目的は別のものだった。それは、ローリーにだって悟られてはいけない。
ローリーが、高速で飛翔しながら局所音波爆発をまき散らす。移動速度が著しく速く、妨害音響も手伝って、まさか幽香さんも近寄ることが出来ない。同時に、音響爆発がボクを狙っていないことが確認できた。ローリーは、ボクが寝返ったことを、誤認しているみたいだ。
魔砲と花弾に注意しながら、音響爆発の間を抜けようとする幽香さんへ火毒蟲を飛ばして攻撃を重ねる。連携は、普段の彼女とはいつもしている、慣れたものだった。攻撃方法はいつもとは全然違うのに、なんとなくで息が合わせられる。
異変化ローリー、すごい。もしかしたら互角に渡り合えるんじゃ……
音響爆発のまき散らしと設置が、幽香さんのフラワーショットをほとんど食い尽していた。大型の魔砲が妨害音響で封じられ、小回りの利く砲撃はそもそも防御態勢で防げているようだった。ボクが放つ火毒蟲の、しつこい追跡と自爆と同時に広範囲に散る毒は、大きく行動を抑制する。追われるように火毒蟲を回避した先に、今度はローリーの音塊が設置されている。
!
急転してその音響爆発を避けた先が、今度はボクの移動先と一致している。
蟷螂之斧!
煩い
投げ放ったカマキリの斧部分。もとより、通る攻撃とは思っていない。ただクリーンヒットすればダメージはある。今は、挑発することが優先だ。それを回避した幽香さんは、石突を立てた傘を絶巓の迦陵頻伽へ向けて投擲した。直線的な軌道、容易に回避するローリーだが、傘は回避されたあとすぐに回頭して、誘導を開始した。自律行動傘、嫌なものを思い出してしまった。それは、ローリーならなおのことだ。
傘は、嫌いでしょう?しばらくその子の相手をしていてね
誘導に対して回避がコスト高だと判断した絶巓の迦陵頻伽は、音波攻撃で傘を撃墜しようとする。が、傘の先細った形は正面から音響爆発を受けても効果が少なく、ステルスして突き通っていく。横から衝撃を与える必要があるが、そのためには設置した音塊の横を通り抜け傘の同部に差し掛かったところでタイミングよく起爆する必要があった。フラワーショットが常に舞っている状態で、それはなかなか上手く行かない。ボクが横から射撃を加えて傘を撃墜しようとしたが、目の前に幽香さん自身が現れる。
あんたの相手はこっちよ
戦力から言えば、傘をボクに投げ、本体で絶巓の迦陵頻伽を追い詰めるべきなのだが……挑発は上手く行っているようだ、事ここに至っては、普段と違う姿をしているローリーよりは同じ姿て敵対しているボクの方にどうしても意識が向くらしい、好都合だった。
ローリーの傘への心理的嫌悪を突くなんて、幽香さんらしくないですね。それとも、絶巓の迦陵頻伽には、敵わないと踏んだんですか?
ほざきなさい
挑発に乗って、真正面から突っ込んでくる幽香さん。
ボクはカマキリの斧を従えた腕を構え、一瞬だけ体にオーバーワークを強いて高速移動する。三人程度の残像が残る多方向からの斧撃で、正面切って突進してくる幽香さんを迎撃する。
蟷螂之斧!
効かないわよ
残像のひとつは気弾で消し飛ばされ、左右の斧撃は左手の掌で受け止められ、右手の拳で相殺された。左手に止められた残像は消え、右手の拳とかち合った斧は砕けて消える。
っ、痛った……
やはり幽香さんとパワーで渡り合うなんて無理な話だ。弾き飛ばされるボク。
来い!
幽香さんが左手を上げると、ローリーを追跡していた傘が、するりと手の中に戻った。ボクがブロッキングで弾かれよろめきの隙を晒すのを見て、幽香さんはすかさず回避行動中で距離を取っていたローリーに傘を向ける。
消し飛べ!
チャージ?妨害音響は未だ響いているはずなのに。見ると、妨害効果のあるクリック音が鳴る度に、だが幽香さんは自らの唇をぎりりと噛んで戦術的痩せ我慢し、出血を厭わずチャージをごり押ししていた。狙っているのは、ボクではなかった。傘と本体の攻撃を、戦力的に必要な割り当てとあべこべにしていたのは、戦術だったのだ。
照準が正確でかつ距離減衰を持たない条件であれば、光学兵器に限って言えば距離は有利に働く。移動距離当たりの回避効率は遠ければ遠いほど悪化するからだ。移動速度が速い絶巓の迦陵頻伽に射撃の照準を合わせるために、自律行動傘で距離を取らせたのらしい。高速移動で回避を試みるローリーだが、距離が離れているせいでどんなに移動が速くても傘の手元自体の角度修正はごくわずかで済んでしまう。光学兵器ゆえに弾速の概念はほぼ存在せず、照射中にそのまま銃口補正をきかせれば弾と異なり巻き込みも考えられる。
ローリー!
回避困難を察した絶巓の迦陵頻伽は巡航軌道に入り地形の凹凸を利用して回避を試みるが、元々はそれは体が小さいから可能だった回避方法だ、大きな体になった今では木々の間を抜けて照準を欺瞞したり障害することは出来ない。森林に突入する寸前でそれに気付いた絶巓の迦陵頻伽は急上昇して太陽を背に設置して目眩暈しを試みる。距離が不利であることは理解しているらしく、常に軸をずらして角度を持った前方移動によって回避をしている。だが、それも弾道上の回避効率をさらに悪化させる移動だ、ギリギリの駆け引きになっていた。
ボクは、幽香さん自身への攻撃を障害するために急に密度と大きさを増したフラワーショットに阻まれて近付くことが出来ない。蟲弾の自動追尾は、うまく誘導されて破壊光線の照射に巻き込み相殺されてしまっている。
蟷螂之斧!
何とかローリーへの攻撃の手を止めようと、腕部斧を外骨格ごとパージして投げつける。回避されても遠隔である程度操作ができるのだが、完全に背中を向けていてこっちを見ていない筈の幽香さんは、どうやってかこれを綺麗に回避してくる。正面のローリーからは破砕音波が放たれていて、これも同時に回避していた。2on状態で照射攻撃を継続し続ける操作性と度胸、それに実際にあれにかすりでもすれば、ローリーの損傷は計り知れないだろう。妖怪存在としての格が違いすぎるのだ。攻め手が見つからない。
ふとそこで突然、回避行動中の絶巓の迦陵頻伽が、急に動きを止めた。幽香さんの破壊光線照射は継続されていて、移動を止めようものなら銃口補正だけであっという間に被弾する。なのに。
なっ……!?
ローリーは足を止め、ホバリングした状態で大きく翼を広げて人型の上半身を反らせた。すぐにバネを付けるように姿勢を戻す。口が大きく開かれていて、LRADを起動するときの様な動きだ。だが、今のローリーならLRADをモーション無しに発射できている。あれはなんだ?
―振動波!足を止めたローリーに、幽香さんの破壊光線が襲い掛かる。当然回避は不可能で、振動波を発動したその場で翼を前方で交差して防御態勢をとるが、防ぎ切ることが出来ずにそのまま地面に叩きつけられる。木々を倒しながら地面を転がる絶巓の迦陵頻伽。鳥の声の叫び声が響いた。
ローリーィッ!?
それと同時に、幽香さんの方も傘が弾き飛ばされ照射が停止する。拉げて変形した傘が宙を舞った。それだけではなく幽香さんも、傘を持っていた右腕から右胸にかけての衣服が千切れ飛び、肉体にも裂傷が生じて血が飛び散っている。指定地点を中心とした広範囲に影響する、超振動領域の形成、俄作りの音波塔にも見られた大技だ。右上半身が血まみれになり再生が進行しているが、その程度で済んでいるのは幽香さんだから、に違いない。
まさか、相打ち覚悟であんな大技ぶち込んで来るなんて……
憎々しげな目付きで歯噛みして墜落した絶巓の迦陵頻伽の方を睨み付けている。畳みかけるなら、今しかないと思った。それを見込んで、ローリーは被弾覚悟で振動波を放ったに違いないのだから。ボクは一気に高度を上げる。蟷螂之斧をパージして投げ捨て、背中に蜻蛉の翅を生やし、負傷しこちらから注意を一瞬逸らした幽香さんに向けて、飛翔する。思い切りだ、ありったけの力をかけて、自分の体を吹き飛ばす。
うぐ……
高Gが体を引き千切りそうになった、いや、実際に一部どこかが千切れた。中身も何か潰れている気がする。体の丈夫さはさほどではないにも拘らず、それに見合わないパワーをかけた高速飛行は明らかに肉体に対してオーバーワークだ。右足だけを前に出して、目標は、振動波を浴びてバランスを崩している幽香さん。
回避行動が間に合わない幽香さんだが、正確に蹴りを、左の掌底で受け止めた。激烈な衝撃が足にかかる。しばらく自由が利かないかもしれない。足を掴まれたら一気に危機に窮するリスクはあったもののその事態には陥らなかった。幽香さんも、ボクの足を掴み切れなかったらしい。
っ、リグルの癖に……生意気だわ!
受け止めた左手のダメージは想定以上だったらしい、左腕が変な方に曲がっている。信じられないという顔の幽香さん。当のボクも信じられない、そんなにパワーが出ているなんて。右腕を振動波で、左手をボクの飛び蹴りで負傷した幽香さんは、それはおそらく一瞬であろうが、弱体化が見える。そもそも幽香さんの『人型』になどどれ程の意味があるのかわからない。人型の状態にどんなに損傷を与えても、大した意味がないかもしれないのだ。その証拠に、まだ血まみれのままの右手を使って左腕を無理やり捻る様に元の位置に戻すと、すっかり元の機能を取り戻したように見える。表情自体は苦々しく、動かすたびに苛立たしい顔をしているところを見ると、本調子ではないのだろうが。
……傘がないと、ダメですか?
傘なんてただの伝導器よ。なくったって不便なだけで!
右の拳の先から、傘による指向性調整のはたらいていない|魔砲ハイペリオン《》が放たれる。単純に放出時の圧力だけで無理やり方向性を与えている、妖怪や神様の中でも圧倒的な霊力容量を持つ者にしかできない荒業だ。それだけに、威力は半端ではない、ボクが喰らえば蒸発してしまうだろう。砲径も一回り太くなっている、回避が難しい。すれすれのところで回避すると、流れ弾の当たった地面にはシールド機で掘ったような不自然で巨大な穴が次々と穿たれる。死の恐怖が、雨のようになって降り注ぐ。でも、怯む訳にはいかなかった。
拳からの気弾は消耗が激しいのと、飛び道具を抑制されたことで、逆にインファイトを仕掛けてくるようになった幽香さん。一方のボクは足を痛めてバランスが欠けてしまっている。元からフィジカルは虫構成による再生力任せみたいなところがあって、格闘を挑まれるとまるで目がない。狙われたときはべた逃げしながらも、魔砲の有効至近距離を離れないように中距離を保ちながら、触手や鈎爪攻撃を繰り返す。それらの攻撃も、幽香さんの拳に当たれば砕けるし、掌に捕まれば潰されて再構成を強いられた。全然敵う気がしない。
蟷螂之斧!
ああ、うざったい……煩い……雑魚共が
有刺大斧になった蟷螂の腕を水平に構えて思い切り振り抜くが、突き出されたまだ血まみれの右拳と激突すると、あっさりと形を形を潰滅させて消え、素の腕が現れる。
効果特効だと思ったのに、再生中の腕が相手でも、だめか。でも
でも、ボクの目標は幽香さんを負かすことじゃない。
今までと同じ、そう言った幽香さんだが、まだ同じ轍を踏んでいない要素が、一つだけある。ボクの狙いはそれだった。それしか残されていない。
ああ、ああ、ああ!夜雀が、いつも、いつもいつもいつも、いつも私の邪魔をする!!夜雀だけならまだしも、クソ蟲だけならまだしも、両方となると目障りが過ぎる!!私はあんたたちに認めてもらおうとなんかしていない!ほっといて!私を貶めるのも、大概にしろ!!
幽香さん、もう、終わりにしましょう
……ハッ、何を。こんな掠り傷で私から優位を取ったつもり?
キュィィィ、と鳥類特有の声を高い声を上げて、絶巓の迦陵頻伽が再び高く飛びあがる。だが先に破壊光線をもろに受けた影響もあってか、動きに機敏さを欠いている。見目麗しかった翼は所々で羽を落としボロボロになっている。ローリーの姿を保った上半身は防御が薄いらしく、翼の防御を抜かれた光線の端が貫けたのか所々に大穴が開いて無残な姿を見せていた。再び振動波を放とうとするが動きも鈍く、
黙ってろ、下族が!
と目線もくれず人差し指と親指を立てて銃の形をした右手だけを向けて放たれた破壊光線の早撃で、今度は左翼が被弾する。再び墜落する絶巓の迦陵頻伽。
そんなちっぽけな物手に入れてはしゃいで、火遊び程ほどになさい
確かに、見た目は随分損傷しているように見える幽香さんだが、動きや性能面で全く遜色を見せていない。連携と初見殺しが通用しなかった時点で、ボクらに目は残されていないだろう。でも、ボクの勝利条件は、幽香さんとも、もっと言えばローリーとも違う。
で、終わらせるってのは?あんたが私をどうにかするってこと?
これを
ボクは、幽香さんから青色フロラシャニダールの種子を毟り取っていた。さっきの蹴りの瞬間に、盗蟲を忍ばせたのだ。離脱後、独自にスったそれを持ち帰って貰っていた。それを幽香さんに見せる。
はっ、種?
ボクの選択は、これです。他の何も、選ばない。
あんたが、そうするの?……そう、そんな選択もありか
ボクが青色フロラシャニダールの種子を使用するのだと思ったらしい幽香さんは、ボクにはその内容を汲み取ることが出来ない複雑な表情をみせ、言葉尻では納得の意を示している。
でも、そうじゃない。ボクは翅を蜻蛉にしている流れから、掌に蜻蛉の口器を上向きに幾つも形成して、その種を噛み砕いた。幾つかあった青色フロラシャニダールの種子は、全て破片に砕けた。僕はそれを地面に放る。もうこれらが発芽することはないだろう。
こんなもの、こんなもの知らない。ボクは、イズルとか言う男のことは知らない。梨来とかいう女のことも、知らない。こんな種、要らない!
種が砕かれて捨てられ死ぬのを、幽香さんは、悲しそうな目で見ていた。きっと幽香さんは、やろうと思えばこの花の種を幾らでもなすことが出来るかもしれない。でも、重要なのはそこではなかった。
それじゃあ、何も変わらないじゃない。今迄と、何も。ずっと弱いままで、私達は
もう十分なんだ。これ以上、望むべくもない。相手に望めば慢で、一人で望めば歪んで、だったらもう、やめにしたい。
もう、ボクには要らないんです。青い花も、こんなものに頼った永遠の命も強い体も、要らない
それに。
それに、幽香さん、あなたも、要らない
幽香さんは何も言わない。ただ黙って、ボクの方を見ている。
ボクの不獲得、それこそがあなたの望みだったのではないのですか。
だのに何で、そんな透明な顔をするんですか。
幽香さんは、ぽつり、一言だけを、吐き出した。
そう。その一言が、欲しかったのよ
何で、何で、そんな透明な顔をするんですか。
幽香さんは、きっとまだ幽香さんは、自分の感情をすっかり自分で囲い込んで自分のものにして外に一滴だって漏らさないような、そんなことが出来るほど強くないのだ。ボクが言うのもおこがましいが、だから、行動がブレブレで、気紛れだと言われるし、それにあんなバカみたいな強い力が付属しているものだから危険度極大なんて言われるけれど、本当は、ボクとそんなに……。
この先にある、めちゃくちゃな結末なんて、誰が望んでいるっていうんですか。ボクは真っ平です。幽香さんだって、これは幕引きなんだって言っているじゃないですか。だったら、せめて痛くないように終わらせるべきじゃないんですか。ローリーだって、本当は
彼女の名前を出すと、ちょうど墜落したローリーが再び飛び上がり、羽搏いていた。上手く飛び上がれないのか、まるで人力滑車のワイヤーアクションで引き揚げているように、上昇して停止し、少し落ち上昇し、落ち、を繰り返しながら。
ローリーも、もういいんだ。やめよ。
ローリーの方へ飛んで行って、ボロボロになっている体を支える。羽根は無残に抜け落ち、何かの細工かと思う位にぽっかり穴が開き、痛々しい姿の迦陵頻伽。今は声も、とても妙声などとは言えない掠れた弱弱しいものになっている。
博麗がさ、勘違いしてるんだ。帰って、説明しに行こ。何事もないって。この変な遺跡の……
まだ、上昇を続ける、絶巓の迦陵頻伽。その視線の先には、幽香さんがいる。こっちを見ているが、特に何かをしようという様子はない。今は妨害音響はすっかり停止している、幽香さんがその気になれば破壊光線で難なく消し飛ばされるかも知れない。
ローリー?もう……
キュ、ィ、と小さく声を漏らしている、恐らく音響系のエフェクトを使用する力が残っていないのだろう。それでも上昇するのは?
今はほぼ地表付近にいる幽香さんが、もう豆粒くらいに見える。かなり高いところまで昇って来た。
と、急に、絶巓の迦陵頻伽は大きく羽搏いた。ボクの体を振り払うみたいに身を震わせる。吹き飛ばされたボクが再度態勢を整え直して視界に入ったのは、幽香さんに向けて鈎爪を立てようと急降下していく彼女の姿だった。なんで?なんでそんなに頑ななの?
ろ、ローリー、だめだよ!幽香さん!
流石に幽香さんは、それを察知している、幾らなんでも回避が間に合うタイミングだ。攻撃にしては無謀だが……既にぼろぼろの体であることを鑑みれば、それは捨て身の攻撃にしか見えない。
距離はある、速度もさほど出ていない。幽香さんは余裕をもって回避できるはずだ。だが、何故か、動こうとしない。迎撃するかと思えば、魔砲を構えることもしない。
竜さえ彷彿とさせる鱗に覆われた足、鋭い爪は人の体を貫いてなお地面に衝き立つほどの鋭さとサイズを有している。迦陵頻伽の大きさとそれによって生まれるエネルギーを考えれば、いくら幽香さんでも無事では済まないだろう。だのに、幽香さんは全く回避行動を取らない。依然として微動だにせずに絶巓の迦陵頻伽の方を見ている。
幽香さん!何して……!
ローリーの方へ視線を向けたまま、動かない。逃げて、逃げて、逃げて!ボクがいくら祈っても、声に出して叫んでも、幽香さんはローリーの方を睨み付けたまま、移動さえしようとしてくれない。
爪は自由落下の加速度で迫りゆく。尖端を立てた絶巓の迦陵頻伽の強襲急降下は、地面へ、幽香さんの体へ。
だめ、だめだめだめだめええええ!
ローリーの爪が幽香さんの体を貫く。ざく、という乾いた音の後に、地響き。突風。遅れて伝わってくる迦陵頻伽の高い体温に温められた空気。息遣い。ボクは目を瞑ってそれを見ないようにする。
あ……ああ……
目を開けることが出来ない。だって、だってあと少しで、違う結果になったかもしれないのに。こんな寂しいエンディングじゃ、誰も報われないじゃないか!
ボクは蹲ってしまう。立ち上がる気力を持てない。幽香さんの説得ばかり試みて、ボクはローリーの方を放っておき過ぎたのだ。ローリーだって、幽香さんに対して、強い情念があることは間違いなかったのだ、だからこそ、あんな姿になったというのに。ボクの思慮が、足らなかったという事だろうか。
バカじゃないの?
えっ?
と、一人で悲嘆にくれていたら、幽香さんの声が聞こえた。顔を上げると幽香さんが立っている。無傷だ。
勝手に殺さないで
アッハイ
確かに大きなクレータが穿たれていて、急降下強襲攻撃の痕跡は見える。クレータの中央にはローリーが立っていた。いつもの姿に、戻っている。
あの子が本気でやるなら、最後の力を振り絞ってでも音響砲使ってるに決まっているでしょう。その方が弾速があるし破壊力も高いんだから。傘のない私にはそれを防ぐことも出来ない
あ、あう、それは
……そうでしょう、夜雀チャン?
もし、それが本当で、幽香さんはローリーが本気でないとわかっていたのなら、何故、幽香さんはローリーの爪が土を穿った瞬間に、よろめいて尻もちをついたのだろうか。
ボクでさえ立っていることは出来たのだ、幽香さんがダウンを奪われるような衝撃ではないはずなのに。本当は、当てるつもりがないだなんて、思ってなかったんじゃないんですか。でも、幽香さんはあの攻撃を回避するつもりさえ見せなかった。
ボクは幽香さんの方へ歩いていく。幽香さんは立ち上がって、ぱんぱん、とスカートを払っていた。
幽香さん
何
やめてください、そういうの
どういうの
そういうのです!!
ボクはつい激昂して、幽香さんの服を、掴んで押したり引いたりして揺さぶった。本当なら、ボクが幽香さんに釣り合う大人の体を持っているならば、胸倉を掴んで怒鳴りつけてやりたかったけど、情けない、子供が駄々をこねているような仕草にしかならない。
あのまま。もしローリーが「当てない」ことを選ばなかったなら、幽香さんの体は爪に貫かれて、真っ二つになっていたかもしれない。幾ら幽香さんの体が丈夫だとはいえ、最初から喰らうつもりでいたのなら。
うるさい
やめてください!
うっさいわね!あんたのそういう、誰彼かまわず優しいところが、■■だっつってんのよ!
幽香さんはボクの体を突き飛ばす。あっさり転がってしまうボク。
その鳥に当てるつもりがなかったんだから、初めからそんなことにはならなかったのよ
顎を使って、ローリーの方を指す幽香さん。突然、ローリーは、クレーターの中央で、しゃがみこんで泣き崩れた。彼女は、今の攻撃を当てるつもりがあったのだろうか。それとも、当てるつもりなんかなかったんだろうか。どちらにせよ、泣き崩れてりる彼女の姿は、痛々し過ぎて目を背けたくなると同時に目を離すことは不安になってしまうものだ。
彼女、泣いてんじゃないの?行ってあげたら?
幽香さんは、ボクの方を見ずに行った。ローリーの方も見ていない。ただ、こんな日なのに抜けるように青い空の方へ向けて、乱暴に視線を放り投げている。
選ばないなんて、出来ないのよ。こんなことも選べない男は、こっちから願い下げよ。さっさと行ってしまいなさい、クソ虫が。
幽香さんは突き放すようなセリフでボクを追い出す。そう言うの、もう慣れっこなんですよね。幾ら乱暴に言われたって、言葉通りには受け取りませんからね。
幽香さんのそういう、本当は誰彼構わず優しいところ、好……嫌いじゃないですよ
ひッ、人の科白を、パクるな!
蹴っ飛ばされそうになるのを飛び退いて躱して、ボクはクレータの中に降りる。
真ん中ではローリーが声を噛み殺して泣いている。ボクは泣きべそをかいているローリーの手を取って立ち上がらせて、そして抱きしめる。しゃくり上げるローリーは、思い切りボクにかぶりついて来た。りっくん……りっくん……!
うん、うん。だいじょうぶ。だいじょうぶだから
ローリーの頭を抱いて、撫でてやる。同じくらいの背丈だから、お互いの体がお互いの体にすっぽりと収まる。彼女がしゃくり上げる声も、涙がボロボロ流れているのも、ボクの体を強く抱きしめているのも、全部等身大で伝わってくる。身の丈に合った大きさ。考え方も感じ方も全部幼くて見通しが甘くて今しか見えなくて、でも、ボク等のサイズってそういうもので。
ローリー、ごめんね
ちがうの……ちがうの、私っ……わたし
いいんだ、今はそのままで、何も言わなくってもいいから。そう告げると、ただボクの中でわんわんと泣き始めた。ボクの腕の中にちゃんと収まる、ボクが守ることが出来る大きさ。そして、彼女にとっても、ボクがそれくらいの大きさと強さでなければ、困るに違いない。見上げるほどお大きくて、手も足も出ない程強くって、何を考えてるのかも感じているかも全然先の方を歩いてる、そんな人には、ボクは不釣り合いで。
交尾と恋心は釣り合ってなきゃいけないと思うのだ。恋心ときっと視線の高さも、合ってないといけないと、ダメなんだ。うまくいかないんだ。子供のボクにはまだそんなことがわからなくて。幽香さんは……きっとわかっているのにそうしてしまって。だから、歯車が噛み合わないんだ。噛合わないから、幽香さんは自分の中で純化しようとして、ボクもそれに倣おうとした。でも、それじゃ、うまくいかないのは、当たり前だった。そんなこと、ずっと前から二人とも、本当は気付いていたのに、目を瞑っていたんだ。見えていて、わかってる、わかってるから一方通行でいい、なんて、それこそが間違いなのに。
負傷しているローリーを抱えて、ただそこに立っている幽香さんの傍へ近づいた。幽香さんは、そこに何かが見えるかのように、視線を泳がせることもせずにじっと、ただうえのほうを見たままでいる。
幽香さん
あの時、私は大きな間違いを犯していた
視線をくれないまま、幽香さんはボクにというよりは、その真っ青に塗り潰されたうえのほうに向かって、言葉を投げている。言葉の内容自体はボクに向けられたものだ。
キミが、そんなに怒っているなんて、思っていなかった、考えてもいなかった。だから私は、そのまま死ねと見捨てられて無様な最期を遂げたのだわ。人の気持ちを顧みないということは、自分の気持ちが顧みられないということだ、当たり前の事なのにね。すごく、悲しかった。キミは、私を迎えに来てくれるものだと、どこかで妄信していたんだ。……馬鹿だね
あの時、ボクは、怒ってなんかいませんでした。ただ、無力で。初恋の人だったのに、ボクの知らないところで、全然わからない人に変わっていてしまって。怒ってなんかいませんでした。でも、何もできなかったんです。止めを刺すことも、救いの手を差し伸べることも、何も。ボクは、まだ弱かったから
そこで、視線をふっと、くれた幽香さん。目が、陽光をいつもよりも多く反射して、揺れている。
キミはもう、弱くなんかないよ。そうだね、私と違って、ちゃんと退院出来たのだもんね。ベッドで寝たまま、管まみれの体で死んだ、私とは違うのだもんね。それでも信じてたんだ、あの時、私に一輪花を持ってきてくれたキミだけが、私を殺すことが出来た唯一のひとだってね。だって、そうでなかったら、私は絶対に退院してやっていた。絶対、絶対にだ。
彼女は、退院できていなかった?ならばそもそも、梨来優花と雲月出の関係そのものが、夢幻だったということなのか。
そう、ですね
その自分を信じる強さだけが、彼女の信じられるものだったのだろう。
幽香さんは、また、ボクから目を逸らした。ただ背中を向けて、その向こう側が今、どうなっているのかボクにはわからない。
私は、誰にも、求めてない。誰にも認めてもらおうなんて思ってない。でも、でも誰か一人くらい、認めてくれたって、いいじゃない
何一つ言葉を返すことが出来ない。ボクに認められることが幽香さんの望みではないだろうし、でもボクには、幽香さんのそうやって踏みしめて歩いて来た雪道みたいな足跡が、しっかり見えているような気がして。どちらであっても、どうであっても、幽香さんの傍に寄り添って彼女を肯定してあげられるのは、結果という事実だけなんだろう。
幽香さんの表情は透明で、顔の表情からだけではその心情の内側は何もわからない。でも、ボクには何だか、さっきローリーがしていたのと同じように幽香さんはしゃがみこんで号泣しているのではないかと、思ってしまう。これは、好きな贔屓目かもしれないが。
でも、死んでません。幽香さんも、ボクも、ローリーも、チーもルーミィも、霧雨さんも、今は、この筋書では、まだ誰も、死んでないです、みんな元気です!だから、いいじゃないですか!このままじゃ、ダメなんですか!?
ボクが言うと、幽香さんは耳を塞ぐように。
でもその仕草は、どちらかというと深刻な拒絶というよりは、ああもううんざり、と笑い飛ばすような感じ。ボクは、急激に緊張感が解けて
そいつがその姿に戻ったなら、この異変は解決?ちょっとリグル、何か歌ってみてよ
ボクはへたり込んでしまった。肩に支えていたローリーが一緒に崩れ落ちて、慌てた声を上げている。二人で団子になって転がっているのを、幽香さんは立ったまま腕を組み、冷ややかな目で見おろしてくる。
この幻想郷はなるほど、なんて溜息が出るほど素敵で、残酷な世界なのかしら。
幽香さん
ああ、優しい幕引きね、反吐が出るわ
九龍、黒十字診療所。フジワラと名乗るヒーローに連れられて、スラム街に住まう変わり者だが凄腕の闇医者、という取って付けたような設定の医者(僕は教授と呼んでいる)の下に転がり込んでいた。ボクがここに来るのは初めての事ではないが、もう20年くらい前のことだ、記憶とは大分変わっていた。
おつかれ
ああ、有難う、ジル……っわわ
ディスポガウンとマスク、それにラテックスの手袋を、まとめてペダル開閉式のダストシュートの中に投げ入れたところで、後ろから声を掛けられた。
ジルの声に振り返るとさらにその背後(それはさっきまでは『前』だったはずなのに)から、瑠美が負ぶさって来た。勢いに負けてジルに倒れて被さってしまう。
どおだった?
後は本人の問題だ、拒絶が出るかどうかは全く分からない。運任せと言った方が適切かもしれない
パウラに毟り取られたティムの二色重複花に、他の個体へ移植予定だった別の通常株を接木したところだ。フロラシャニダールの接木後の宿主生存率を左右する要素は全く不明だし、二色重複個体に通常株を接木なんてのは前例がない。二色重複花についての研究結果は殆どが主任の成果であったし、別チームが発起していたわけではないので、完全に主任の俗人化していた。そして、主任は、亡くなった。通常の手立てで生存するかどうかはもう運任せである。
なあ、出
うん?
離れてくれないか
ああ、ご、ごめん
施術が終わってくたびれたからか、それともそれより手前まで時間を遡り起こった一連の信じ難い出来事への、累積的な疲労によってだろうか。ジルとそして瑠美が触れ合いを持ってきてくれることが、堪らなく心地よかった。パウラを失い、主任を失い、ボクにはもうこの子たちしか残されていないのだ。
その、嫌なわけじゃなんだ。頭が痛いくらい、我慢できる
もう古今は以前と同じ体制で再建される事は無いだろう。存続を強く推進してきたのは他でもない梨来優花所長であって、各スポンサーとのつながりは彼女の提示するエクストラをもとにしたものだ。その他の製薬事業や医療関連の事業は、他の企業に接収された。全て、トリニティに関連する企業だ。
公式には、エクストラは実体のわからない防衛設備開発として伏せられたままとなっている。だがその多くは密かに、こうして黒十字診療所、ひいては見境なき医師団に流出している。僕と真矢が、ここに匿われているためそうなっているが、実際はエクストラの情報で僕と真矢の頭の中に残っていることなどほんの一握りでしかなく、ほぼ、再現は不可能になっている(憶えているのははメンテナンス関係の事ばかり)。成果物のほとんどはトリニティ関連企業に接収された端末の中に残されており、それらは研究者自身のログインがなければ消去されるようになっているからだ。
……条件付けと暗示については、軽減していきたいね
あ、あんだよー、あたいらとソーユーコト、したいってのかぁ?ん?
違うよ。もう、古今は存在しない。エクストラとして二人が、僕に服従する必要なんかないってことだよ。
最も、条件付けと暗示の強度について再調整するための手順については、ほとんどがマニュアル・自動化されていて、僕が手動で何かを行う事は無かった。設備が失われてしまった今からでは、いろんなことを少しずつ試していくしかないのだが。
ジルは元から反抗的だったけどね
っちょ、そんなことねーだろぉ!?
どーかなあ
僕は、主任も、それにパウラも失ってしまった。この結果は、何かの報いだったんだろう。僕が、何かを誤ったから?
これだけの大惨事に至るような大失態を、僕は犯したのだろう。誰かが恣意的に古今に対して悪意を向けていた様にもおもえるが。だがこの結果を、まるで主任は自らの手で招いたような口ぶりだった。最後に、青色フロラシャニダールに食われることになる結果について彼女の仮説の通りに行かなかったというだけで、すべては主任のシナリオ通りだったのだろうか。僕らはただ、巻き込まれた脇役でしかなかったのだろうか。
ティムは、00年式1000番台が見てくれてる。さ、茶の間に戻ろう。
茶の間、とは黒十字診療所の生活棟「永遠亭」のリビングの事だ。診療棟から生活棟まではぼちぼち歩く必要がある。戻ろう、といって足を踏み出したとき、ジルが僕の裾を掴んだ。
なあ
何だい?
あたいは、シたいぜ。ソーユーコト
この子たちは、普通の女の子なのだ。胸に花が寄生しているという以外は、ボクに性的な感情を抱くと不快感や吐き気を催したり激しい頭痛に襲われたり、神妖の様な妙な能力をちょびっと使えるという以外は、全く普通の女の子なのだ。決して、人知の及ばない思考回路や反社会的な思想を持っているわけでも特定の政治思想に染まっているわけでもないのだ。
子供が生意気を言うんじゃありません。
僕は、ジルの頭を優しく撫でて、やんわりと断る。せめて条件付けと暗示くらいは解除しないと、そんな気持ちにこたえることも出来ない。もしそれが出来ないなら、他の普通の男の子に理解者を作った方が、余程健全なのだから。
あははははは、ふられてる!
う、うるせーよ!瑠美だって相手にされてねーだろ
「(ぷん)」ジルはちょっと涙目で頬を膨らせて、僕の脛あたりを蹴っ飛ばす。
そっかよ。出は、もう少し日焼けしてる子が好きなのかよ
何でそうなるんだい……
ティム、もう起きて平気?
ああ。世話かけたね
真矢が、起き上がろうとするティムを抑止するが、ティムはもう平気だからとすっく、立ち上がった。真矢は接木後のティムを随分と甲斐甲斐しく世話していた。ティムのメンテナンスには、クローバーズのそれがほとんど適用できなかったから、ティムについては真矢を中心にすることにしたのだ。
じゃあ、着替えもってくるね、ちょっとまってて
特徴的に白と黒のブチな不思議な色合いのエクストラだったが、不思議なことに通常株を接木すると色の差は縮まってきた。流石に完全に一色になることはないみたいだけれど、数日間ですでにコントラストは大分弱くなったように見える。
雲月、感謝する。お前のおかげで、命拾いしたぜ
でもまあ花を毟ったパウラの管理者は僕だったしね
もとはと言えば、あいつのせいだ。気にすんな
そう言って主任の名前を出すたびに、顔を顰めるティム。それは、単純に自分の花卉を毟り取られる原因を作った相手への嫌悪感からではないようだ。心配そうに声を掛けるジル。
ティム姉
別に、優花は私の管理者じゃないからな。なんともねえよ
じゃあ、何で泣いてたんだよう。姉貴は、ほんとにあいつのこと
……心因性グリッチだ。しょうがなかったんだよ。優花は間違ってた。あんな方法で強くなれるなんて。もしオレの管理者が優花だったら、アイツが間違ってたとしても、お前達と戦う嵌めになったかもしれないしな。これで、よかったんだ
ティムは確かに主任を管理者としていたわけではないが、何かと主任の傍についていたし、主任もティムに対しては二色重複花としての性能ばかりを見て、ティムを傍に置いていたとは思えない節があった。
一夜にして全てが変わるなんて、ありないんだぜ。何であんな頭のいいやつが、そんなことに気付かなかったんだろうな。
入院用のガウンから、真矢が持ってきた着替えに着替えるティム。
そんなこと言ってほんとはすっげえ悲しいの、わかってるよ!あたい出が死んだらあんな風にできないな。でもそれを隠しちゃう姉貴、カッコイイっす!そこにしびれる、あこがれるぅ~
勝手に僕を殺さないでくれ……
いーっ!あたいをもらってくれねー出なんてしるかー!ってなんか叫んでいるジル。
でも、もうこういうことはこれっきりにしたいな
そうだね
何かを決めたように頷いて、ティムは立ち上がった。つかつかと迷いなく真矢の方へ歩いていく。
どしたの?
真矢。オレの管理者になってくれ
はぇ?
突然脈絡もなく、そんなことを言われて、真矢は固まっている。
ま、守るったって、何から?私そんな重要ぴーぽーじゃないし、もう古今はないんだから管理者とかないし
人間から見ればなくなった仕組みだが、私達にはまだちゃんと残ってるんだよ。お前と雲月は、古今の生き残り二人だ、これからはトリニティの手が及ぶかもしれない。それに
そ、それに?
もう、何かを守れない存在ってのには、疲れたんだ。こないだので、懲りた。昔ほど強くはないけど、お前にとってのヒーローくらいには、なれると思う
真矢は、突然顔をトマトみたいに真っ赤にして取り乱し始める。ティム自身も真矢の慌てっぷりには驚いているようだった。
そーお?全く人間にしか見えないアンドロイド娘もいいけどさ、こう、あきらかーに改造されてます感出てる魔改造娘も、そそるっていうかさあ!いいよね、縫い目!縫目付既死女子!
なぜそこで僕に話を振る。真矢の趣味にはついていけないって何度も言ってるだろう
真矢の目は救いを求めるよう。でも、嫌なのではない、緊張とか、どうしたらいいのとか、そういう困惑の目だ。
だから、ほっといた。お前の変態具合を聞いているんじゃない。どうなんだよ、こんなナリでも狂気はないぜ
どどど、どうって、そんなこと急に言われても、心の準備が
まどろっこしい奴だな、今決めろ。でなきゃこの話はナシだ。明日には掃除でも粛清でも勝手にされてろ
まっ、ままままま待って!
手を振ってその場を去ろうとするティムだが、もう、ちょうど人に構って欲しい時の猫みたいにすぐに跡を追っかける真矢。そして振り返ったティムに、わけがわからんくらい深々と頭を下げて、言う。
ふっふつつかものですが!よろしく、おねがいします!
……なんだそれ
あ、姉貴がプロポーズもしてない相手から結婚OKされてる
まあ、真矢の趣味ならいいんじゃないの
ティムねえ、たいへんなの
現状、フロラシャニダールの維持には、宿主以外の血液を少量花に供給してやることが、活性効率に寄与するということが分かった。恐らく別の餌だと認識するのだろう。そうすることによって、フロラシャニダールはジル、瑠美、そしてティムに対して安定的な定着を見せている。それが判明したのは、黒十字診療所の医療設備を存分に使用することが出来たからである。見境なき医師団の持つ設備に対してほぼ無制限の仕様が可能だったのだ、ただの亡命者であった僕らが最高水準の機材を使用できたのは、幸運中の幸運だった。
教授。一つ、質問をしてもよいですか
あら、なんなりと
妖魔として長い時間を生きていると言われるこの教授に、僕はどうしても聞いてみたいことがあった。
僕は、ご存知の通り過分な領域でデザイニングを行っていました。そこでは、性別なんて不要でした。どんな細胞も、元を正せば一つで、遺伝情報に全て記されていますから。
そうね、その通りだと思うわ。
でも、この間、一方通行の感情というものに晒される経験をしたんです。勘違いの恋愛、ではなくて、その、相思相愛を拒まれるなんて、おかしな経験をしまして
まあ。モテる男の聞き捨てならないセリフ
冗談で返すが、そのまま、続けて?と促してくる教授。
もし、生命科学の力によって、性別というものが生殖から切り離されて、性別を根底にした愛欲も分離されたとしたら、感情というものはどこに寄り添えばいいんでしょうか
安っぽい質問ね、自由でしょう。愛の形は自由。
そう、ですよね
それは、その通りだ。そう返されてしまえば、この話はこれで終わりなのだ。だが、教授は少し口角を上げつつも、自嘲気味な表情で言葉をつづける。
……なんて、安っぽい回答をしてしまいたいのだけれどね。知っての通り、月面都市は幾らか、地球よりも幾らかではあるけれど、文明水準が進んでいるわ。遺伝子操作もかなりハードルが低い。同性婚も認められているし、同性同士でも生殖も許可されている。技術的にはクリアされているし、民間の思想もそれにしたがっている。全て法と書類上の問題だけ。性別なんて旧時代の不要パラメータだと身分証明書への記載も停止されわ。そうしたら、月はきっとユートピアになる筈でしょう?
そう、ですね。男女平等の観点から言えば
でも、そうはなっていない。なっていないのよ。
男女の差さえ塗り潰して、個体とその関係性の効率と可用性を求めて、結果的に月人は生物的に完全に無個性化した。その結果が、あの無気力で灰色の社会よ。生命科学の越権ばかりが、原因とは思っていないけれどね。月人側の生命リテラシに問題があったのよ。それまで異形配偶子生殖でつながれてきた種にとっては、それは目に見えない線で想像以上にいろんなものと連結されているのでしょうね。男女は単なる二値パラメータなのに、どうしてもデジタルじゃない。
性、と一言に言って、法整備、精神面で解決できるものなどほとんどないのだ。多くは肉体に依存している。そう付け足す教授。そのまま僕の顔を覗き込む。妖魔らしくこの人の姿形はチート級に整っている。そうして覗き込まれると視線の遣り先に困るというものだ。
もし、女しかいない世界に放り込まれて、君も女の子になったら、まあ君は美人でしょうね
何の話ですか
まあ、もし、の話よ。女しかいない、あるいは女ばかりが極端に多い世界では、女同士で子をなす手段がある、そうでなければ種が繋がれていないからね。でも、その世界はきっとすぐ……月と同じ道をたどるでしょう。個体で見れば長い時間、種にすればあっという間に。
月面都市は地上とはかなり様子が異なるのらしい。何もかもが同じ轍を踏む訳じゃない、その通りに考える必要はないのだが、人間が今信じ(ようとし)て進んでいく道が、正しいのかどうかなどわからない。その中で、失敗例が1回中1回あったと、それだけのことだ。
私はレズビアンだし、そんな自分を卑下するつもりも劣等感もこれっぽちもない。ただ、それなりの慎ましさを忘れぬようにはしているよ。行為と好意は、何らかの形で癒着しているのが正しいんだと、思うね。
無駄に長い時間を生きている医者の他愛もない戯言だ。と言い置いてから、言葉を切った。
こんな回答で、いいかしら?
参考になりました。有難うございます。
頭を下げて教授へ礼を言うと、今度は教授がボクを引き留めてきた。
ああ、ああ、あれだ、あの3人娘
えっ、ジルと瑠美とティムですか
そうだ。あれに、キミは血を与えているのか
はい
一応、書類上はそういうことを報告してあった。エクストラ―という呼称はそろそろやめたいのだが―に対しての調査・研究については、現在は見境なき医師団へ報告することになっている。
彼女達の花を枯らさないためには、これが良い方法だと判断しています。ティムには真矢が献血しています。現状それで問題はないんですが、花自体に何等か別の障害が発生した時に、人間用の設備でどれくらい対応できるのか、不安は否めません。もっといい環境を与えてあげたいんですが、もう古今はありませんし
ふうん。血の契約ね。あなた、人間の癖に、やっていることはそこら辺の妖魔よりよっぽど妖魔的よ。知り合いに吸血鬼がいるけれど
……あなたの知り合いってことはほぼ、僕が知り合うはずのない人です。あまり、聞きたくありませんね
あら、あら?そんなことを言ってもいいのかしら。今よりよっぽど、彼女達のためになる環境よ?
環境?聞き直す僕。
彼女達が働きたいというのなら、口を利いてあげてもいいわ。あなたは、ここの卒業生ですもの、特別。院内学級のことも慧音が憶えてたわ。
上白沢先生、まだお勤めなんですか
勿論。あなたのことも覚えているって。えっと……リグル君、だったかしら
誰ですかそれ。僕は……雲月出です。
風見花果店は営業を再開し、同じくお休みしていたフラワーデザインの方も、また紅魔館を含めたお客さんのところでやらせてもらえることになった。色々なことを、思い出してしまった。けど、戻ってきた日常には、その前のそれと大した変化はなかった。
長いこと放り出してしまっていたのにまたクライアントとなって頂いたお詫びとお礼に、今年の紅魔館には特別の待遇をさせてもらうことにした。ボクが言わなければ幽香さんはいつも通りの対応をしただろうけど、流石に客商売でそんな恩知らずは出来ないと説得した。
レミリアさんは
何があったんだか……は、知らんことにしておくが、まあそういうことなら折角だ、上客を紹介してやる。また薔薇ばかりで風見には骨が折れるかもしれんがな
代り映えのない日常。でもそう、ほんの少し、変わったことと言えば。
脚立、持ちます
いいわよ、あんたじゃ危なっかしい
持ちます
ちょっと強引に、幽香さんが持っている脚立を受け取る。
ボクもちょっと、胸をはってみたいんです
そう言うと、何か言い返したげな眉で目を逸らして黙る幽香さん。前までなら、まるで自分に力があることを誇示するように、力仕事の多くは幽香さんが一人でやり譲ってなんかくれなかった(目立つものだけ。こまごまとした地味な作業は全部僕だったけど)。僕の方もそれに甘えてしまっていたし。それでも実際には幽香さんの方が力持ちで、結局頼ってしまうこともあるのだけど、ちょっとだけ、ボクの方も変わろうと、思っていたから。
幽香さんは脚立を放し軍手が放り込まれただけのバケツを持つ、少々物足りなさそう。口をとんがらせて、顔を背けて言う。
じゃあ私も、女の真似事、させてもらおうかしら
えっ、何するんですか
僕が気を回しきれずに空気の読めない返しをしてしまうと、幽香さんは何も答えずに少し先を行ってしまった。うわ、なんだろ、凄く照れくさいぞ。急のことでしばし立ち呆けてしまっていると。
やっぱり、そういう関係だったのじゃない。すっかり騙されてしまったわ
と、いつの間にいたのか、ボクの真横に、十六夜さんがいた。
うわわわわわ
何がただの従業員よ。あんなに鼻の下を伸ばしあう雇用関係があって堪るものですか
あっ、いえ、あのですね
ボクより少し背の高い十六夜さんが、珍しい、悪戯っぽい流し目でボクを見ていた。
はぇひぇへ……
変な声が出る。くすり、と、笑われ、そこで急に声を切り替える十六夜さん。
風見様、お食事の前に湯浴みをと、スカーレットより伝言でございます
ボクの素っ頓狂な声を無視して、幽香さんの背中へ言葉を投げる十六夜さん。幽香さんはそれに振り返った。
あんたのとこの主人は、人に食事をさせるのが好きね?
まあ、力の誇示の一種、なのだと思います。
あんたも主人に向かって随分な言い様ね
……まあ、存在の誇示の一種、です
なるほど?業が深いのは私達だけじゃないみたいね、と鼻で笑う幽香さん。
じゃ、厄介になろうかしら。いいでしょう、リグル?
はい
―女の真似事は、先延ばしね。ほら、あんたが持つって言ったんだから、きびきび運びなさい
幽香さんにお尻を蹴っ飛ばされながら、ボクは十六夜さんに案内されて館内へ向かう。その十六夜さんの背中に向けて、幽香さんは放り投げるように言った。
一つ訂正させてもらうけど
はい、何でしょう
私とこいつは、ただの労使関係よ。こいつはもう、既婚者なんだから。
耳が、胸が、ちくりと痛んだ。
でも、これが全員で紡ぎあげた『筋書』の結末だった。
でも、イングリッシュブルーベルみたいな青い血なら、ちょっと綺麗かもなあって、思います
悪かったわね、赤色で。はあ、やっぱ完全に変わっちゃえばよかったかしら。誰かの後をつけて魔界に行ったときに向こうの神様でも恐喝すれば、生粋の魔族になれた気がするわ。そうしたら邪魔立てする何もかもを恋焦がれるように虐殺して、あんたを私の物に出来たかもね
そ、そんなつもりでゆったんじゃないですよぅ!
冗談よ、という幽香さん。冗談なのだろうけれど、そう聞こえないところがあるからどきりとしてしまう。
空を見上げると、その霧雨さんがぶっ飛ばしているのだろう箒雲が真っ白な一文字を描いている。魔砲の実験で大怪我したって聞いている。この間お会いしたら確かに縫い目だらけの痛々しい姿だったけど、それは姿ばかりで本人は平気そうに笑っていた。
そんな真っ青、塗り潰したような青。望んでいたのは、こんな青だったのだろうか。今にしてみれば綺麗なものだけれど、思い出した青はいつの間にか随分くすんでいて、ちっともきれいじゃなかった。過去。思えば彩度の低い光だった。色褪せたそれの元の姿に焦がれる必要なんか無い。その褪せた色の褪せた様を愛おしいと思えるようになって、初めて前に進めるのだと思う。捻くれていく想い出さえも大切に抱えて、廻り始める歪みの中へあなたと堕ちて、その心地よさに、呑まれたかったのかもしれない。
玩具の剣を振り回すみたいに手っ取り早い強さを手に入れて逆に傷ついたあなた、二人で、堕ちて。前世?来世?今なんて、有意義な暇つぶしなんだから。過去は事実だけど、眺める場所によって姿を変える。未来は未確定だけど、それは姿を変えるのではない、そもそも、未来なんてものに意味はないんだ。
ボクは、幽香さんの目を真っ直ぐに見て、言う。
思い出せて、よかったです
幽香さんは一瞬だけボクの目を見て、そのまま何も言わずに過ぎてしまう。それを振り返ってボクは、声をつなげた。これを言えば、幽香さんもきっと無視できずに大声を上げるはずだ。
ボクが思い出さないままでいた間、幽香さんは、ずっとボクに片思いしてくれてた、ってことですよね
はあ!?なんでそうなるのよ!それじゃ私ばっかりが……!
今すぐ何かを投げつけてきそうな剣幕。
なんでもなにも……その通りじゃないですか。幽香さんに好意を抱いていたボクはもういなかったのかもしれないのに、幽香さんは憶えてたっていうのなら。実際には、一方通行では、なかったですけど
幽香さんそっぽ向いた。耳まで、真っ赤だ。
ですよね?
うるさい、殺すわよ
幽香さんがボクを誘って花屋をやろうなんて言ったときは、なんでだろうと訝しんだ。でも、もしかしてたら、ボクに思い出させるためだったのだろうか。そういえば、ボクを人里まで引っ張り出して「ここで花屋をやるわよ」なんて仏頂面をボクに向けたのも、こんな風に突き抜ける青い空の日だった。
……色々ありましたけど
筋書通り、ってね
それが本当なのかはわからないけれど、かなわないな、幽香さんには。苦笑いしてしまう。
何がですか
全部よ。悪戯も、優しい言葉も、悲しい話も、嫌いなモノも、ね.全部。―文句ある?
……いいえ
毎朝ベランダで背伸びをしている雀は、どれ位の世界を見たんだろう。これも、筋書通り?
幽香さんは、全部、と言った。だとすると、紆余曲折があって辿り着いた今のこの状況も、筋書通りだというのだろうか。そんなことは、無いと思う。でも、そんな不本意も失敗も、悲しい話も嫌いなモノも、排除せずにひっくるめて全部、と、そう言ったのだ。ボクも、そうだと思う。そうあれるように、強くなりたい。
誰も皆がそれぞれの想いを隠したまま、決められたシナリオを演じてるだけなのだ。願うほどに遠ざかる明日は見えず、流れる風にただ吹かれるままの毎日は続いていく。
忘れない懐かしさ。明日は風に乗る、それも、やっぱり気分次第だけれど。
ほら、お迎えが来ているわよ
消えかけたシナリオが明日も続くなら、悔やんでた過去さえも間違いじゃない。今ここでめぐり合うすべての偶然は、輝く未来へと導いてるのだから。
りっくんー。おかえりーっ
遠くで手を振っているローリー。ボクも手を振り返して、それから、幽香さんにも。
じゃあ、また明日
だから、そんな
筋書通りのスカイ・ブルー。